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タイ芸術局第7支所が掲げたランパーン県諸窯はいずれも未見である。それは、トゥンタオハイ、スームガーム、ハンチャート、バーンメーターの各窯址は未見である。これらについて未見なるも多少の下調べや、北タイ陶磁の泰斗で英国人のJ.C.Shawの著書の引用などから、知っている範囲で紹介したい。先ず前回の第7支所が掲げたGoogle Earthでは分かりにくいので、ランパーン県に絞って窯址位置を掲げておく。但し、トゥンタオハイ古窯址の位置は、そのものズバリなるも、ハンチャート古窯址は図示の近辺を、スームガーム古窯址はスームガーム郡スームサイ地区に存在すると云うものの、所在地を突き止めることができなかったので、スームサイ地区にスポット表示した。尚、バーンメーターは良く分からないのでタンボル(地区)役所にプロット表示した。
【トゥンタオハイ古窯址】
トゥンタオハイについては10数年前、ランパーン出身の知人・T氏に事前調査をお願いしたところ、1週間後に場所が特定できたと写真付きで連絡があった。それが、下に示した位置である。
その写真を見ると竹や雑木の藪のなかである。入るには毒蛇の可能性があるので、長袖と長靴更には藪を払うための山刀が必要であるという。あわせて、そこは呪われた窯址との噂もあり、結局行くことを断念した。
呪われた窯址とは、一人の男が瘤牛の褐釉肖形を掘り出したところ、その頸が折れた。2日後、男はバイクで事故を起こし、自分の頸が折れたのである。それ以降、呪われた窯址との噂が立ち、実際村人の誰も発掘などしないと云う。立ち入って身に危険が及べば大変である。T氏が送信してくれた写真も、内部に立ち入ったものではなく、道端から写した写真であった(残念ながらその写真ファイルが見当たらない)。
以下、Shaw氏の著作より引用して説明する。”ランパーン市街地の中心部から6km行くと、タオハイ村のワット・チェディーソウが横たわっている。その近くの田圃のなかに窯群が存在し、20-30基の窯が1平方キロの中に散在している。そこには2つのメイングループが在る。一つは藪の中、もう一つは灌漑用水路の向こうである。そして3-4基の窯が田のなかの小さな丘に在る。タイ芸術局は、1970年代の灌漑用水路工事の際に、窯群が発見されたが、窯址調査は行われなかった(これは先に記述した呪われた窯址の噂が、関係しているように思われる。尚、この話は50年前の話であり、今日は調査済みとも思われる)。
幸運にも呪いに屈しなかった人もいるようで、ある程度の情報は得られている。窯の概要は、炉壁が4.4mにわたって地表に露出しており、25.0×7.5×4.5cmの煉瓦が4列に並んでいた。それらの煉瓦の内側は、灰色や緑がかった釉薬に覆われていた。
窯址から分かることは、パーン古窯址と同じ大きさであった可能性がある。窯体には煉瓦の破片が充満し、焼成時の灰と混ざっているように見えると云う。”
以下、焼成陶磁については次回紹介する。
<続く>
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