東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

西安から天水、麦積山の石窟を見る

2005年02月01日 17時10分20秒 | Weblog
西安旅行2005/1/16~23

 10月の三峡クルーズ、12月の桂林につづいて西安、北京行きです。兵馬庸はぜひみたいし、できたばかりの西安―北京ノンストップ寝台特急Z20列車にも乗りたいものです。
もし見られれば炳霊寺、麦積山の石窟は、中国5大石窟のなかでも秘境に位置してとても魅力があります。
 列車の予約など日本からでは不可能なので、西安のホテル、シェラトン2泊だけをきめて出発しました。

 1・16(日)14時30分 西安空港着

風のない穏やかな天候である。ただこの黄色い世界はただものではない。とんでもない悪質なスモッグのようだ。その昔の東京のスモッグと違い黒っぽくないのが救いか?市内までタクシー160元というのでリムジンバスに乗る。

こちらの空港からも立派な高速が通じており、途中のインターの立派なこと、漢字がかいてなければどこの国か分からない。

シェラトンホテル
リムジンバスは有名ホテルに寄るシステムでないらしく、タクシーに乗り換えてシェラトンに。エントランスを入るといきなり廊下??? 工事中で、ホールがないのだ。うわさの超豪華シャンデリアもおがめなかった。
 もちろん部屋とか食事とか、もんくはないけど。

 CITS(ホテル内の国営旅行社)

 やはりといおうか鉄道関係は予約出来ないとのこと。ややあって、職員の友達に頼んでみるからお金預かるという話になった。
北京までノンストップのZ20列車は、JRの北斗星より豪華な最新寝台特急なのに、旅行社のだれも知らないとは。
これが中国なのだ。

 一休みして市内方面に行く。シェラトンは市の西、シルクロードに面している。タクシーは西門とおぼしき城門を少し迂回して、高い城壁を越えて旧市内に入る。市の中心にある鐘楼を回って南門で車を降り、城壁に登るようなところを探すがみつからない。城壁と、お堀にそって西にあるく。次の門は朱雀門だ。

平城京の朱雀門はメインストリートにあったと思うが、ここのは一つずれている。この堅固な城門を見て考える。わが朱雀門はご存知木造である。きっと平城京入り口の象徴のようなものであったろう。日本の昔の戦いは基本的に武士対武士であり、防御ラインは城だった。対してシナでは都市に城壁があり、突入した軍隊は市民を皆殺しにするのだ。

彼らは、南京を落とした日本軍も当然大虐殺をした、三光作戦をしたに違いないと思ったのであろう。日本では、皆殺し、略奪、強姦の習慣はなかったのだ。
バスで都心にもどる。周辺はすごいひとごみである。大交差点の中央に有名な鐘楼を見上げ、デパートに行く。

夕刻になった。周辺はデイズニーランド(未だ行ったことないが)にいるように超派手派手ネオンに彩られ、きれいといえばそのとおりである。そのど派手ネオンに飾られたレストランで今回最初の食事をとる。メニューに絵がついているので注文楽勝と思うとそうでもない。スープに浸かった餃子を頼んでいるつもりが、なんだかんだ言われるのである。 やっと判断するに、どんな餃子を入れるのか聞いているのであった。これはすばらしく旨かった。
周囲を見ると、ほぼ全員がパンをちぎってボールの中にいれている。それに熱いスープと具をいれる、名物の何とか言う料理のようである。

 ホテルにバスで帰る。他の都市よりやや高く2元(30円)。

1月17日(月)

ホテルの窓から、昨日とまったく同じ黄色いスモッグごしに街が見える。
バスで駅に向かう。気温は3℃という、少し暖かいほうであろうか。風がないのがありがたい。バスの車内に暖房がない、それどころか何箇所か窓をあけてしまう!先回の常春の都、昆明じゃないというの。

西安駅(東)を乗り越してしまい駅西で降りる。
戻ろうかと思っているところへ、西安―兵馬庸高速と、ボデイに大書した小さなバスがやってきた。ラッキー!ためしに手を挙げると乗せてくれた。実はこのバス、高速に乗っても、インター付近に人が待っていたりして、どこでも止まって人を乗せるのである。

30キロほど高速を走って5元!(70円)

今日は安くついた。日本人用の一日ツアーは軽く1万円するだろう。

秦の始皇帝稜 
死後40年かかって、70万人を要して完成したピラミッドである。登ると結構な高さである。地下宮殿から盗賊をまもるため水銀の池とか、自動弓装置とか数々のセキュリティ装置があったようだ。

兵馬俑
兵馬俑は上記の稜から、1.5キロも離れたところに埋めてあったので1975年まで発見できなかったようである。兵と馬の人形が整然と並ぶ様はやはり見物だ。発掘途中のばらばらの人形はなるほどである。

土産売り
出口には昔の秋葉原青物市場のような広大な土産売り団地があり、シーズンにはさぞたいへんな目に会うのだろう。
今は観光客がほとんどいないので数百人の売り子も遊んでいたが。2人ほどはバス乗り場まで着いてきた。兵馬俑の人形四体ほどが箱に入ったのがメインプロダクトのようである。5000円、3000円、100元でいいよ、いくらでかいます?そういわれてもいらないものはいらないよ。50元、500円までいくのだった。(買わなかった)

CITS

18日(明日)西安―天水 18:10発 25元×2枚 OK
20日(水) 天水―西安 メイヨウ(取れません)
 21日(木) 西安―北京 軟フ(グリーン寝台)400元×2枚 OK

予想どおりの結果だ。手数料が一枚50元(25元の切符に!)!を多用するのが中国旅行記の特徴である。西安―天水は350キロもあるのに25元(300円)はやはり!でしょう。

1月18日

 天水までは山岳線でとても景色がよいという。18時過ぎの列車ではしょうがないのでバスで行くことにする。天水行きのバスは駅前で難なく見つかった。70元である。11時発という、一番前の席を確保しているのに30分過ぎても発車しない。そのうち少し駅に近いところに動いて、車掌の女の子が必死で客寄せをしている、「天水行くよ」というようなことをいって。12:30過ぎ、ようやく発車した。市内の渋滞にはまったりしてまた遅れ、高速に入ったのは1時!

 例によって高速道路でもいろんなところで人が手を上げると乗せてあげる。とても便利なシステムである。というより、システムは現場でいかようにも改良してしまうのが中国流と感じた。途中乗車は自動的に乗務員の収入になるのだろうか。

 さて、中間地点、宝鶏までは平地である。言うのを忘れたが西安市内では警笛禁止が徹底しており、中国流運転がまったく無警笛で行われるのはおそろしい。
高速に入ると運転手は警笛を鳴らしっぱなしで追い越し車線を劇走する。昨日から乗ったバスやタクシーがいつも一番早く走った気がするのは気のせいだろうか。

 宝鶏―天水190キロは黄河の大支流に沿って走る。л型に流れる大黄河の右下から左下にゆく大きな流れである。この川は、黄土高原を削ったグランドキャ二オンになっていて、大きく蛇行している。道路はキャにオンの右岸にへばりつき、左岸を見ると鉄道のたくさんのトンネルと橋が見える。
新しくできたのぼり線?(西安方向)はかなり直線で、古い線路とは何回も直交し、長大なトンネルと、コンクリートの高架橋でグランドキャニオンの真ん中をとおったりしている。こんな景色は世界中でもまれであろう。あさっては何としても昼間の列車で帰ろうとおもう。

 さて、道路は右岸を苦労して抜けていくので、数百メートルの高さを上り下りし、短いトンネルで曲がった川の向こう側に出る事を繰り返す。
すべて改良済みの道路ではあるが路面がとても悪い。メンテナンス不足で壊れたままになっているのだ。この区間で工事中の箇所、あるいは資材を積んで直そうとしている場所を一箇所たりとも見ていないのである。九十九折の山道を僕たちのバスはあらゆる車を追い越していく。全線黄色ラインの片側1車線で、しかも舗装がかなり壊れていて飛び跳ねながら。

後ろの乗客が何人も前にやってくる。用意してあるビニール袋をもらって吐こうというのだ。

 雄大な景色と豪壮な運転のほかにもいろんなことがあった。
 途中警察の検問があって運転手が取り調べられ30分も止められたり、その間警官の目の前でつれし○んしたり。
 6時、やっとのことで天水の街に到着した。ガイドブックにここしかないよと書いてある天水賓館入り口でバスを止めてもらう。
天水賓館ほとんど真っ暗であった。たった一灯だけ電気のついたフロントに、女の子がひとりいた。暖かい部屋にありつけるか、はなはだ疑問である。あげく6階の部屋だがデンチメイヨーという。でんちとはエレベーターだとようやく理解して、このホテルをあきらめる。
少し手前にちゃんとネオンがついているホテルがあったのだ。
 結論からいうと、このホテルは正解で、暖かい普通のツインルーム、熱いお湯OKでなんの問題もなかった。料金は90元(1300円)!
 こちらのレストランもとてもおいしかった。熱いお風呂に入って寝るとしよう。

 さて、国営テレビの何チャンネルかを押すと、今日も八路軍少年兵のドラマをやっている。昨日から繰り返し放映しているようだ。この上なく憎らしい面相の将軍に率いられた日本兵と、かぎりなく凛々しく美しい少年ゲリラの戦いであるが、日本兵が銃剣に日の丸を下げているのがいい。日本軍は君たちシナ兵が軍服をぬぎすてていたのと違ってフェアに戦っていたんだよ。

 1月19日(水) 曇り、小雪

 西安の黄色いスモッグから開放されてうれしい。麦積(メイジ)山石窟にうまく行けるだろうか。天水市は、このホテルのある天水地区と、駅のある北道地区に分かれており、その間昨日とおった黄河支流にそって、高速道路で結ばれている。8キロ位だろうか。まずこの道をバスで駅まで行く。市内は広大な道ができている。自転車道路もある。大きなビルもあって、昨日グランドキャニオンを越えてきたシルクロードの秘境とは思えない。

 さて、駅に着くと、偶然麦積山行きのバスがでようとしている。例によって手を挙げると止まってくれた。車内では青年がこれは遅いからタクシーで行ったほうがいいですよなどといってくれる。しかし、市内を抜けると高速道路をどの車より早く飛ばすのだ。
 25キロを5元!先行するバスに追いつくと、どういうわけかわれわれを乗り換えさせる。

 終点は石窟の5キロ手前で、ここから軽4輪タクシーにのりかえるのだが、バスに同席した女子大生が、これに乗ってと案内してくれる。帰省した彼女を両親が迎えに来ていて、同乗させてやるというのだ。
 われわれ日本人を見て、運転手たちが携帯電話で相談したに違いない。彼女とお父さんを下ろして、お母さん運転手が、目的地まで行ってくれる。このお母さんがタクシー業をやっているのだ。
 入園料11元づつだというので52元渡すとお釣りをくれない。親切なのかがめついのかなんというか。

 麦積山石窟

 高さ150メートルの絶壁に大小190の石窟を掘り、7000体の仏様がいる。すべての石窟に、桟道がかけてあって全部見るのには3日かかるといわれるが、その一部を見てもたいしたものだ。

大仏さまのように巨大なのからミニサイズまで、2500年前の人々の秀作である。
 お顔がすばらしい。中国のお寺にあるよく見るファニーフェイスの仏様と違って、ほとんどが奈良の仏様と変わらない姿かたちなのである。

 苦労して来た甲斐があったというものである。入場料32元

 バスの発着所まで例の軽4輪で戻り、食事をしてタクシーで駅まで帰る。
 明日の西安行き列車の切符をとりたい。
 窓口は少ししか並んでいなかった。
 必要事項をメモして見せるが、メイヨーのひとこと。無座と書いてもメイヨーとにべもない。自由席が無いとは何事だ。ふと見ると服務台と書いたデスクに赤いたすきをかけた女性が座っている。
 軟臥(一等寝台)と書いたメモを見せるとこちらに来いと案内してくれる。立派な軟席待合室の奥にささやかな旅行会社のデスクがあった。メモを見せると一人107元ですなどという。
 コンピューターをたたかなくても切符を在庫しているのだ。お金を払うと、切符を印刷してくれる。窓口と同じ切符である。額面92元だから手数料が入っているのだ。察するに軟臥の切符はすべて旅行会社に丸投げしてあるのだろう。ひとつ知恵がついた。
ありがたい。14:43発、グランドキャニオンの景色を堪能できるだろう。

タクシーでホテルに戻る。
ここ天水では、交通信号機が変わっている。なんと長方形の一灯式。どんな表示でもできて便利だけどはじめてみるといヨウだ。

1月20日(木)

午前中天水の街を見に行く。インフラ整備中で道路が広く、美しく整えられている。
京都か奈良のように、お寺がたくさんあるようにみえる。ただしいろいろな用途に転用されてお坊さんが勤務しているところは無いようだった。
功棒
十二支を発明した人を祭ってあるとのことだが単なる小さいお寺に20元とるとは何事だ。昨日の石窟との格差は1000倍以上あるだろうに。

食事してややはやめに駅に行く。軟座待合室にはゆったりしたソファが備えられ、まさにVIP待遇である。軍人の一団がいる。床に寝かされている病人が一人。西安に治療にいくのだろうか。

特急2030列車漢口行きは14:36定刻に到着した。ところが、先刻の軍人たちがすばやく乗り込むと、われわれの部屋の荷物置き場にトランクを入れてしまっているのだ。ほか2名の同室者(中国人)と顔をみあうが僕たちはリュックひとつなので我慢する。

西安まで約5時間。宝鶏までGキャニオンを堪能、食堂車でビールを飲み早めの食事をして、ベッドを使って一眠りする。昼間の汽車でも、枕や布団はセットされているのだ。
快適な特快軟臥の旅が終わり、見覚えのある城壁に沿って走る。黄色いスモッグに煙る城壁のネオンが美しい。

定刻17:36西安に到着した。出口は出迎え人で大変な混雑である。数百メートルの間、満員電車の中状態を全財産を確保しつつ抜け出さなければならない。雑踏を抜けると、パンフレットを持ったホテルの客引き集団がついてくる。西安南方賓館(150元)なかなかよさそうなのでついてゆく。
フロントも英語を話せて話がよく通る。セミスイート280元に決める。部屋はなんの問題も無い。テレビをみて快適に眠る。

1月21日(金)

今日は北京行き豪華特急に乗る日である。
チェックアウトは12時までだそうだが早めに荷物をあずけて町に出る。何しろ中心地にあるホテルだから便利だ。

2階バスのルートがあるので乗ってみる。高価そうな新しい車体なのに車内はとてもきたない。掃除やメンテナンスがされていない。2階の屋根を街路樹にごんごんぶつけて平気だし、そのせいかフロントガラスにひびが入ったままである。

中国人はメンテとか掃除とか下積みの仕事を嫌うのだろう。非常に問題である。
昨日の鉄道も長い高い高架橋が、すべて鉄筋コンクリート製であった。ひびの発生状況などを調べているのだろうか、10年後が気にかかる。
終点は電視塔(テレビ塔)だった。スモッグのせいで市内からはぜんぜん見えなかった。登るまでも無かろう。

ホテルにかえって、1Fにあるサウナによってから駅に行く。

西安駅にはZ20列車用特別待合室が用意されている。何しろオール軟寝台だから今までの軟座待合室ではとても入りきれないからといって、一日一本しかない列車のために待合室を新設というのもねえ。
時間が来ると、美しいおねーさんに案内され、特別通路から1番線にでる。真新しい全て一等の寝台列車が巨体をあらわしている。見ると、個室車が連結されているではないか。
車掌のおねーさんに聞いてみると一室空きがあるとのこと。1両に8室、定員たった16名である。案内された8号室は、2段ベッドに大きめのソファーもひとつあり、トイレ洗面所がついている。残念なことにシャワーはない。先ほど入浴してきたのが正解だ。

定刻に発車する、隣の食堂車にゆく。街の中華食堂と同じようなメニューだ。洋食っぽいのもある。えびフライをとると、、、なんと7つ載っている。あと、ちんげんさいとビール、満足だった。

2月22日(土)

途中ほんとに無停車で、定刻北京西到着。車内誌の立派なのが置いてあり、国鉄推薦のホテルにゆく。西駅の地下道では、例によってたくさんのホテルの客引きが待っていて、そちらも魅力的に見えたが折角なので件の賓館にゆく。
朝早くからチェックインできたし、王府ちんにあって、便利でもありまずまずだ。北京ダックレストランが付属していた。

一休みして天津に出かける。北京駅で、天津行きの切符売り場をさがす。(これがたいへんなのです)中央越線橋の中ごろにある。
ホテルに帰り、北京ダックの店に行く。焚き木を使って豪快に焼く作業をみる。スープもほしいというと、それはついているとのこと。いつものことだが、2人で、この量は無いね。特大洗面器にいっぱいのスープ、20人分はあろうか。おいしかったけど。

2月23日(日)

もう帰国の日だ。朝、天安門まで歩く。お堀の水が凍っている。折角なので登門してみる。ここに上るにも、中国特有のびっくりがたくさんあるのでみなさんぜひ上ってみてください。

ハンドバックなどを持っているとめんどうなのでホテルにおいて手ぶらでいくのがいいと思います。(はるか遠い場所に、預けに行って来いといわれ、しかも有料)
以上