東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

キルギスについて、

2013年07月05日 16時37分00秒 | Weblog
キルギスは中央アジアで唯一ヴィサがいらない、これはどうしてだろうと思っていたら、「キルギス写真館」というサイトを読んでよく分かった、

信じられないくらい親日的なキリギス人、

なんとこちらに抑留されていた満州国からの日本人抑留者は全員帰国に成功した、抑留中の仕事はとても高く評価された、

ということで、全文コピーした、ぜひ読んでいただきたい、
キリギスに行くのがとても楽しみになってきた。




キルギス人と日本人は兄弟?!


キルギス人は、信じられないくらい親日的だ。
日本人だとわかると、キルギス人(特に中年以上)の方はても喜び、
質問攻めにあってしまうことが多い。
日本人というだけで、こんなに相手に好感触を持ってもらえる国は他にないだろう。

そして彼らは口をそろえて、「キルギス人と日本人は兄弟だ」という。


いろいろ調べてみたけれど、キルギス人ー日本人兄弟説の明確な出所はよくわからない。
恐らく、いろんな要素から親日感情が高まって、この説が自然と出てきたのだろう。

なぜ日本人がこれほどキルギス人に好かれる様になったかを考えた場合に、
以下の5つの理由が考えられる。



ビシュケクの日本文化交流イベントで盆踊りを踊る「キルギス人」の少女たち



1、顔が似ていること

まず最初に挙げられるのが、見た目が非常に近いということ。
中国人や韓国人よりも、日本人の方がキルギス人に顔が似ている。
(と、キルギス人からは見えるらしい。)

まぁ日本人からするとキルギス、中国、韓国、日本なんてどれもそんな違いがないように見えるけど・・・
キルギス人から言わせると目の形なんかが、キルギス人と日本人が一番似ているとのこと。

あと、よく言われるのが、蒙古斑。
赤ちゃんの時にお尻に青いアザが出来るのもキルギス人と日本人の特徴らしい。


確かに街を歩いていても、しゃべらなければ外国人と気付かれることも少ないないし、
キルギス人を見ていると、日本の〇〇さんに似ている!なんて人にざらに出会うことができる。



2、周辺国との関係がよくないため、遠い日本に親近感を持った

陸続きで国境を接している国々の常だが、
隣国のウズベキスタンや中国などと多くの問題をかかえている。
当然、彼らに対する国民感情はあまりよくない。
その結果、直接的に利害関係のない遠い日本に親近感を抱くようになったのだろう。

また、歴史的に見て大きいのは日露戦争の影響。
1900年初頭、アジアのほんの小さな国でしかなかった日本は、
超大国ロシアと堂々と正面から戦い、世界中の予測を大きく裏切って大勝利を手にした。

この番狂わせの勝利は、当時のヨーロッパから中央アジアに至るまで、アンチロシアの国々から大絶賛を受けることになる。
トルコやフィンランドなど、この時の印象のおかかげで今でも日本に親近感を持ってくれる国も多い。
当然、ロシアと軋轢のあったキルギスでも、このニュースが人々に与えた影響は大きかっただろう。


3、日本人抑留者の功績

第二次世界大戦終了後、多くの抑留者がソ連からキルギスに連れて来られた。
彼らは主に土木作業や建築に従事した。
彼らの働きぶりや誠実な人柄がキルギス人に感銘を与えたという。

例えば、イシククルにあるタムガの保養所建築のため、日本人抑留者が働かされていた。

日本人の仕事ぶりはとても丁寧で、しかもよく働いた。
キルギス人たちもそんな日本人に対して親切に接し、
シベリアに抑留された日本人には多くの犠牲者が出たが、ここではなんと全員が生還したという。

またこの時タムガで作られたサナトリウムの建物のうち、
他のものが壊れても、日本人が作ったものだけはその後ずっと壊れなかったとそうだ。
この様な日本人の勤勉さや誠実さが、キルギスにおける日本人観の原型を作ったと言える。


4、日本の開発援助、ODA

独立後のキルギスの発展に日本が与えた功績は大きい。
特に独立から2000年代までは日本の援助額は飛びぬけて多く、
今でも国内を移動していると、日本の援助で作られたという橋や道路などのインフラ設備によく出会う。

またニュースの少ないキルギスでは外国からの援助関係の話は、番組作りの貴重なネタになる。
海外の機関が何かを行うと、ことごとくニュースとして報道してもらうことができる。
日本関係の事柄がこれほどメディアに露出する国もないだろう。
今でも頻繁に、日本が関係するニュースを見ることができる。


5、二人の親日的なキーパーソン

独立後のキルギスにもっとも大きな影響を与えた二人が実は親日だった。

一人目がキルギス共和国初代大統領のアカエフ。

90年から2005年までの15年もの間大統領を務めたアカエフは日本好きであった。
大統領顧問を務めた日銀の田中氏の影響も大きい。
(興味のある方は中公新書「キルギス大統領顧問日記」を読んでみてください。)
彼の任期中に日本人はビザなしでキルギスに行けるようになった。
政策的にも、戦後の日本の経済発展を見習いたいという趣旨の話を何度も公言している。


二人目がキルギス最高の小説家のチンギス・アイトマートフ。

思想家、政治活動家でもある彼はキルギスで最も人気の高い人物。
日本ではあまり知られていないが、彼は日本に対して大きな興味を持っていて、度々来日している。
彼の2番目の妻は、キルギス人だが、彼の日本訪問中に出会ったという逸話もある。

独立キルギスの政治的、思想的に最も影響力の強いキーパーソン2人が日本好きだったとこはキルギス人の親日姿勢を強める意味で影響が大きかった。



娯楽が少なく、冬はこもりがちなキルギス人にとって、テレビが人々の意識に与える影響は大きい。
上記の5点が繰り返しいろいろな形でテレビで放映されることによって、
親日感情が高まり、「キルギス人と日本人の兄弟説」が形作られたのだろう。



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