昭和35年私は就職して、月12,800円を貰い、
夢のような、自分で働き、自分で使える生活を始めた、
一カ月おきに発行される「暮らしの手帳」を買った、楽しみだった、
今やられているキッチンの特集、
それから20年ほどたって、家を建て直すことになり、設計を進めた、夜も寝ないでたくさんの図面を書いた、住宅会社の持ってくるのは気に入らない、そして1年半ほどたったある夜、一つのアイデアが浮かび、一時間ほどで書いたのが今のいえである、
暮らしの手帳で言っていた明るいキッチンとお風呂を工夫し、玄関のドアは透明ガラス張り、床は全部紫色の絨毯、一階は床暖房というものである、40年前によくここまでやったのだが、
先日某福祉機器メーカーの営業部員が来て、見まわしてほめてくれるものだから家に挙げてみてもらった、こういう人はうれしいね、会社で建築の仕事をしているそうだ、
あさのテレビでたまに見るとと姉ちゃんを見て思い出したことである。
夢のような、自分で働き、自分で使える生活を始めた、
一カ月おきに発行される「暮らしの手帳」を買った、楽しみだった、
今やられているキッチンの特集、
それから20年ほどたって、家を建て直すことになり、設計を進めた、夜も寝ないでたくさんの図面を書いた、住宅会社の持ってくるのは気に入らない、そして1年半ほどたったある夜、一つのアイデアが浮かび、一時間ほどで書いたのが今のいえである、
暮らしの手帳で言っていた明るいキッチンとお風呂を工夫し、玄関のドアは透明ガラス張り、床は全部紫色の絨毯、一階は床暖房というものである、40年前によくここまでやったのだが、
先日某福祉機器メーカーの営業部員が来て、見まわしてほめてくれるものだから家に挙げてみてもらった、こういう人はうれしいね、会社で建築の仕事をしているそうだ、
あさのテレビでたまに見るとと姉ちゃんを見て思い出したことである。