東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

日比谷図書館の展示

2013年07月12日 20時21分41秒 | Weblog
今回は江戸から伊勢という内容で、江戸時代の人たちの旅の様子である、江戸時代はみんな国内長距離の旅行が趣味の時代であって、川の渡り方、パスポートにあたる通行手形、旅籠の泊まりかた、全てシステム化しているのだ、


伊勢のDVD


おそらく世界各地で、こんなに安楽に旅が出来た国はなかったのではなかろうか、

そして現代でも日本は世界一旅が楽に出来る国である、日本のパスポートは世界一の有効度を誇る、
たとえばいつも同じ国で申し訳ないがウズベキスタンのビザに関しても日本人は2000円、アメリカ人は200ドル(20,000円)

シナにいたっては日本人のように10年パスポートなんてとんでもなくてそのつどパスポートを発行してもらうそうである、




中央アジアの予定

2013年07月10日 21時07分22秒 | Weblog
タシュケントに2泊したあと、キルギスのイシククル湖に行こうと思うのだけど、これがなかなか大変である、直行の飛行機は日、月、木と週3回、日曜日はとんでもなく遅い時間である、だから月曜日に行くと、木曜日には帰ってこないといけない、

その金額が90,000円(2人)である、あいだ2日間だけのために90,000円を使うのはおもしろくない、しかもタシュケント、ビシュケク両空港ともテツズキにずいぶん時間がかかり、さらに両替、タクシーと問題を抱えるといやになってしまう、

陸路国境をこえるのはさらに問題が大きくなるので(ウズベク、キルギスは仲がよくない)
ある、それで、現地の飛行場で、もう少し安い切符を買えれば格別、変えなければウズベク西部のたびを増やそうと思う、

キルギスで、上高地の10倍はあろうかという、雪山のふもと、温泉に行くのはだめになりそうである、

タシュケント、サマルカンド、夏の熱帯はどうかというと、昨日今日は26度27度、夜間は17度で、東京みたいなことはない、ただこれからは40度の世界もありうるので注意して行こうと思う、

中山恭子さん

2013年07月09日 09時37分47秒 | Weblog
ウズベキスタンのことを勉強していると、
ここの大使を勤められた

中山恭子

さんのことを書かざるを得ない、


ねずさんのひとりごとさんより



中山さんはこの国で、タリバンに拉致された4名の日本人鉱山技師を救いに、単身キリギスのゲリラの元に向かった、最後には通訳と二人になった中山さんはタリバンと交渉し、日本人4名を救い出し、このあと、タリバンは武装兵を護衛につけて帰した、


北朝鮮拉致被害者問題で、小泉首相が訪問した時、北朝鮮は5名の日本人を返した、しかし田中ほか外務省筋は一週間後に5人を帰すことにしていた、徹底して反対し、返してはならないと主張したのが、安倍現首相と中山さんであった、

このほか、いろんなエピソードがあり、中山さんは将来総理になってほしい人である、

これらのことは「ねずさんのひとりごと」というブログに詳しいので見てほしい、

21日の参議院選挙にウズベキスタン旅行中でいけないので、13日に不在者投票に行く、「ねずさんのひとりごと」さんにならって、比例区には中山恭子と記入しようと思っている、

老人ホームのムクドリの子

2013年07月08日 08時33分02秒 | Weblog
義母の居住しているホームにムクドリの子供が入居した、





建物の周囲に落ちていたそうだが、職員が保護したとのこと、それらしくしてあるがわらの代わりにちぎった新聞紙、排泄物のトレイはそのまま交換するそうである、

地面に落ちて暴れていたので大きくなるまで保護することにしたのだろう、

これがカラスの赤ちゃんだったろどうしたのだろうか

親日的なキルギスはなぜ出来たか、アシアナ機

2013年07月07日 12時35分26秒 | Weblog
先回キルギスの親日国になった話を書いたが、IMFからキルギスの中央銀行最高顧問として派遣されたた田中哲二氏の著書である、

大統領自ら著書の推薦をもらうなどたいしたものである、
ご紹介したいとおもう、




アシアナ機

本日サンフランシスコでアシアナ航空機が着陸失敗を起こした、
その乗客名簿をみて驚いた、

日本人  1名

中国人 141名

韓国人  70名くらい

アメリカ人 70人くらい

日本人はみんな分かっていたのだ、

じつはタシュケント行きの航空券では、ジンセン経由のアシアナ航空のほうが安い値段をつけていた(私はウズベキ航空)アシアナだけには乗りたくないと思ってやめたのだが、アメリカ行きの飛行機もこんな状態とは思っていなかった、

自転車専用道路

2013年07月06日 12時25分38秒 | Weblog
青山一丁目から帰るとき、青山墓地横の道路を通った、ここが先日から

自転車専用道路

に、なった、都内では初めてではないか、たった600メートルでも、この設備が出来てとてもうれしい、文句を言えばでこぼこがあったり、狭くなっていてスピードを出せないことがあるけど、何とか都内に100キロくらい、

世田谷ー港区

など長距離を走るものが出来てほしい、



キルギスについて、

2013年07月05日 16時37分00秒 | Weblog
キルギスは中央アジアで唯一ヴィサがいらない、これはどうしてだろうと思っていたら、「キルギス写真館」というサイトを読んでよく分かった、

信じられないくらい親日的なキリギス人、

なんとこちらに抑留されていた満州国からの日本人抑留者は全員帰国に成功した、抑留中の仕事はとても高く評価された、

ということで、全文コピーした、ぜひ読んでいただきたい、
キリギスに行くのがとても楽しみになってきた。




キルギス人と日本人は兄弟?!


キルギス人は、信じられないくらい親日的だ。
日本人だとわかると、キルギス人(特に中年以上)の方はても喜び、
質問攻めにあってしまうことが多い。
日本人というだけで、こんなに相手に好感触を持ってもらえる国は他にないだろう。

そして彼らは口をそろえて、「キルギス人と日本人は兄弟だ」という。


いろいろ調べてみたけれど、キルギス人ー日本人兄弟説の明確な出所はよくわからない。
恐らく、いろんな要素から親日感情が高まって、この説が自然と出てきたのだろう。

なぜ日本人がこれほどキルギス人に好かれる様になったかを考えた場合に、
以下の5つの理由が考えられる。



ビシュケクの日本文化交流イベントで盆踊りを踊る「キルギス人」の少女たち



1、顔が似ていること

まず最初に挙げられるのが、見た目が非常に近いということ。
中国人や韓国人よりも、日本人の方がキルギス人に顔が似ている。
(と、キルギス人からは見えるらしい。)

まぁ日本人からするとキルギス、中国、韓国、日本なんてどれもそんな違いがないように見えるけど・・・
キルギス人から言わせると目の形なんかが、キルギス人と日本人が一番似ているとのこと。

あと、よく言われるのが、蒙古斑。
赤ちゃんの時にお尻に青いアザが出来るのもキルギス人と日本人の特徴らしい。


確かに街を歩いていても、しゃべらなければ外国人と気付かれることも少ないないし、
キルギス人を見ていると、日本の〇〇さんに似ている!なんて人にざらに出会うことができる。



2、周辺国との関係がよくないため、遠い日本に親近感を持った

陸続きで国境を接している国々の常だが、
隣国のウズベキスタンや中国などと多くの問題をかかえている。
当然、彼らに対する国民感情はあまりよくない。
その結果、直接的に利害関係のない遠い日本に親近感を抱くようになったのだろう。

また、歴史的に見て大きいのは日露戦争の影響。
1900年初頭、アジアのほんの小さな国でしかなかった日本は、
超大国ロシアと堂々と正面から戦い、世界中の予測を大きく裏切って大勝利を手にした。

この番狂わせの勝利は、当時のヨーロッパから中央アジアに至るまで、アンチロシアの国々から大絶賛を受けることになる。
トルコやフィンランドなど、この時の印象のおかかげで今でも日本に親近感を持ってくれる国も多い。
当然、ロシアと軋轢のあったキルギスでも、このニュースが人々に与えた影響は大きかっただろう。


3、日本人抑留者の功績

第二次世界大戦終了後、多くの抑留者がソ連からキルギスに連れて来られた。
彼らは主に土木作業や建築に従事した。
彼らの働きぶりや誠実な人柄がキルギス人に感銘を与えたという。

例えば、イシククルにあるタムガの保養所建築のため、日本人抑留者が働かされていた。

日本人の仕事ぶりはとても丁寧で、しかもよく働いた。
キルギス人たちもそんな日本人に対して親切に接し、
シベリアに抑留された日本人には多くの犠牲者が出たが、ここではなんと全員が生還したという。

またこの時タムガで作られたサナトリウムの建物のうち、
他のものが壊れても、日本人が作ったものだけはその後ずっと壊れなかったとそうだ。
この様な日本人の勤勉さや誠実さが、キルギスにおける日本人観の原型を作ったと言える。


4、日本の開発援助、ODA

独立後のキルギスの発展に日本が与えた功績は大きい。
特に独立から2000年代までは日本の援助額は飛びぬけて多く、
今でも国内を移動していると、日本の援助で作られたという橋や道路などのインフラ設備によく出会う。

またニュースの少ないキルギスでは外国からの援助関係の話は、番組作りの貴重なネタになる。
海外の機関が何かを行うと、ことごとくニュースとして報道してもらうことができる。
日本関係の事柄がこれほどメディアに露出する国もないだろう。
今でも頻繁に、日本が関係するニュースを見ることができる。


5、二人の親日的なキーパーソン

独立後のキルギスにもっとも大きな影響を与えた二人が実は親日だった。

一人目がキルギス共和国初代大統領のアカエフ。

90年から2005年までの15年もの間大統領を務めたアカエフは日本好きであった。
大統領顧問を務めた日銀の田中氏の影響も大きい。
(興味のある方は中公新書「キルギス大統領顧問日記」を読んでみてください。)
彼の任期中に日本人はビザなしでキルギスに行けるようになった。
政策的にも、戦後の日本の経済発展を見習いたいという趣旨の話を何度も公言している。


二人目がキルギス最高の小説家のチンギス・アイトマートフ。

思想家、政治活動家でもある彼はキルギスで最も人気の高い人物。
日本ではあまり知られていないが、彼は日本に対して大きな興味を持っていて、度々来日している。
彼の2番目の妻は、キルギス人だが、彼の日本訪問中に出会ったという逸話もある。

独立キルギスの政治的、思想的に最も影響力の強いキーパーソン2人が日本好きだったとこはキルギス人の親日姿勢を強める意味で影響が大きかった。



娯楽が少なく、冬はこもりがちなキルギス人にとって、テレビが人々の意識に与える影響は大きい。
上記の5点が繰り返しいろいろな形でテレビで放映されることによって、
親日感情が高まり、「キルギス人と日本人の兄弟説」が形作られたのだろう。



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キルギス人と日本人の兄弟説

旅先での友達

2013年07月04日 10時23分32秒 | Weblog
旅先での友達はすぐできて、親密に話すのだけど、

どうして家に帰ってから、メールとかしてもながつずきしないのだろうか?

この新婚さん(の奥さん)の写真も送ったのだけど、届いていなかった、

このブログをごらんになったらご連絡してほしい、






おそるべきリコーカメラ

2013年07月03日 10時36分17秒 | Weblog
元部下のNさんに会って、飯を食った、



 

彼の持っていたリコーカメラ(ここに映っている)が、とてもいい機能を持っている、四角いものを写すと、変形してどちらかが小さく写ってしまう、それを補正する機能だ、たとえば、テーブルの上の敷物を写すと、このようになる、





おなじ写真が、こうなる、





これはいい、旅先でなんかの説明文をとる、書道家の彼は書の石碑なんかを撮ってすぐ補正しているんだって、

これはいいなあ、

海を見に行く

2013年07月02日 18時23分08秒 | Weblog
日曜日

海に行った、

某ショールームではコンサート、今終わったところだった、


東芝ビルのアプローチ


運河の水門勢いよく水が流れ込んでいた

竹芝桟橋のモニュメント


海岸に向かってのアプローチ

どんな海を見せてくれるのか楽しみになる、

海は狭かった

勝鬨橋方面ビルにうまったってしまった



この立派な設備は日中まるっきり暇になっているのはとてももったいない、ニューヨークのにたような港湾設備は、スタテン島に渡る無料フェリーでとてもにぎわっている、千葉港、横浜港行きのフェリーが30分に一回くらい出ないものか、いずれにせよ昼間はレストランも休みになることは分かっているのに、

もったいないなあ、

芝七曲がり

2013年07月01日 08時23分10秒 | Weblog
芝七曲がり道路を、久しぶりに通った、


まがりを曲がるとすぐ次の


まがりを曲がるとすぐ次の


まがりを曲がるとすぐ次の


七曲は健在であった、ネットで検索すると、以外にちっとも出てこない、きっとこのページが先頭に出てくることだろう、

特な形以外にちっとも特徴のない道路であった、