晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

雨の日の坂道練習         270

2011年05月29日 20時28分52秒 | マラソン
■本日(5/29<日>)は朝から雨が降っている。来週は“鋸南ヒルズマラソン”なので坂道練習
に出掛けました。


■雨の日の坂道練習
TV BSで「中国に君臨した女」を観ていましたが、雨が小降りになったので急いで支度をする。
トレラン用キャップ(サロモン)、半袖Tシャツ(カッパー)、上にジャケット(ノース・フェイス)を着こみ、
ロングタイツ(アシックス)、マラソン用シューズ(アシクス)、グローブ(カッパー)と着替えとタオル。

“内みのわ運動公園”に16:00到着、雨がポツポツと直ぐにスタート。
君津市クリーンセンターに通じる坂道に向かう。
千葉国際高校横の坂を上ると、君津市クリーンセンターの焼却エントツが見えて来ます。
3往復しましたが、気付いた事。
①.ジャケットの撥水性がなくなっているので防水スプレーでメンテが必要。
②.マラソンシューズで走りましたが、雨の日坂道の上り、下りは滑るので
トレランシューズが良い(でも大会の天候は晴れ・曇り)。

大雨となり、これ以上走るのはあきらめ、“内みのわ運動公園”に戻り、17:10ゴール。
公園内のグランドは水浸し状態でした。

あとは、大会まで体調を整えよう。




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野口 健の「落ちこぼれてエベレスト」を読んで         269

2011年05月29日 13時51分49秒 | 山登り
■本日(5/28<土>)は、05:00に目が覚め小原庄助さんではありませんが、朝湯。
昨日は久しぶりに夕食、“梅酒”を一杯飲むと下戸の私は直ぐにZzz・・(経済的(笑))。


■野口 健の「落ちこぼれてエベレスト」を読んで
千葉県君津市立中央図書館で借りていた野口健の“落ちこぼれてエベレスト”を朝から読書。
(山の神や娘は休みなのでお寝坊すると・・・。)

野口健というと、清掃登山のイメージがあり、それ以外はあまり知りませんでした。
今回、本書を読んで、野口健の認識を新たにしました。いくつかのポイントを。

○世界7大陸の最高峰
地球上にある7つの各大陸で最も標高が高い山
・アジア大陸:エベレスト(ネパール・中国) 8,848m
・旧ヨーロッパ大陸:モンブラン(フランス) 4,810m
・新ヨーロッパ大陸:エルブルース(ロシア) 5,642m
 (冷戦の終結はヨーロッパ最高峰が変わる)
・北アメリカ大陸:マッキンリー(アメリカ合衆国) 6,194m
・南アメリカ大陸:アコンカグア(アルゼンチン) 6,959m
・アフリカ大陸:キリマンジャロ(タンザニア) 5,895m
・オーストラリア大陸:コジアスコ(オーストラリア) 2,228m
・南極大陸:ビンソン・マッシーフ(南極半島付近) 4,892m

○生い立ち
父は外交官、母はギリシャからの移民でエジプト国籍(JALカイロ支店で働いていた)、
次男でアメリカボストン生まれ(1973年8月21日 両親はその後離婚、共に再婚)。
カイロ日本人学校の小学部に通い、父の転勤によりイギリスのブライトン郊外にある
立教英国学院で中学校・高等学校で学ぶ。
成績が悪く、不良。学校の先輩と喧嘩して、謹慎処分後、1ヶ月の停学処分で日本に戻り、
関西方面に一人旅、たまたま入った大阪の書店で“植村直己”の著書「青春を山に賭けて」
と出会い、人生が変わる。

○高校生で世界7大陸の最高峰に挑戦
▲:モンブラン (フランス:1990年8月)
山頂に達した。ヨーロッパ最高峰の頂からの眺めは素晴らしい。
次は、キリマンジャロだ! 植村さんに続くんだ。
モンブランに登って、本当にやりたいことをやっと見つけたような気がした。

▲:キリマンジャロ (タンザニア:1990年12月)
やっと頂上だ。頭痛で朦朧とする頭を抱え、よし、これで2つ終わった。あと5つだ。
キリマンジャロの山頂で、7大陸最高峰の登頂を決心した。

○大学
亜細亜大学に一芸一能入試で受験。
面接で面接官に「僕はモンブランとキリマンジャロを登っている。入学したら、在学中に世界
7大陸の最高峰のすべてに登ってみせます」と。合格通知 「山登りで大学生になっていた」。

▲:コジアスコ (オーストラリア:1992年9月)
コジアス山頂は、スキー場の上にあった。リフトで上がってきた連中は、「スキー場まで何しに
来たんだ」地元の人は、コジアスコがオーストラリア最高峰であることに何の関心もないようだった。
地図を見ながらやっと山頂にたどり着いた。感動はなかった。最も楽な最高峰だった。

▲:アコンカグア (アルゼンチン:1992年12月)
風邪を引いて高熱、ベースキャンプのテントで寝ていると時、急に呼吸困難に陥った。
息をすると肺がものすごく痛む。鎮痛剤を服用しながら、高山病となるが、一歩一歩足を
進め頂上へ。

▲:マッキンリー (アメリカ合衆国:1993年6月)
腰に2mくらいの竹竿を着けていた。視界は白一色、完全なホワイトアウトだ。
軽い衝撃があった。気が付くと、両足が地面に触れていない。
ピッケルを対岸に刺して這い上がったと思うが、まった記憶にない。
早く登りたい、植村さんの眠るこの山の頂に・・・・。
僕はマッキンリーの山頂に立った。下は一面の雲海。爽快な気分だった。
あとは、南極とエベレストだ。

▲:ビンソン・マッシーフ (南極:1994年12月)
強風の中、僕たちは山頂に立った。
「植村さん、僕は登ったよ」自然に涙が出てきた。
その日、僕は日記を記した。
「植村さん、俺はエベレスト、なにがなんでも登るぞ!」。

○ラムとの結婚
 (1995年2月~3月)
エベレストの前に、ネパールのメラ・ピークだ。過去2回挑戦して、頂上に立つことができなかった山。
シェルパ頭の家に招待された。娘は頭(父親)に言われて、僕の身の回りの世話をしてくれた。
彼女(ラム)は英語ができなかった。父親は、15か16だと言う、娘の正確な年齢がわからない。
ラムとの会話は従兄弟にあたるデンディに通訳を頼んだ。
ラムのことが好きになり、シェルパの民族衣装を身のまとい、結婚式。
帰国の時、ネパールには戸籍という考え方がない、そして15歳では結婚できない。
彼女に町の生活に慣れて貰うためカトマンズの彼女の親戚に預け住んでもらう。
毎月、送金4万円がやがて10万円となり、そして離ればなれの結婚生活は2年余りで終止符。

▲:エルブルース (ロシア:1995年12月~1996年1月)
2度目の挑戦。僕らはついに登頂した。吹雪のため、視界がまったくない。
下山してすぐにルートを見失う。トレースは強風のため、きれいになくなっている。
ガイドのギーナが叫んだ。風でガスが晴れた一瞬、パスツーコフ岩の陰が見えたという。
僕たちはやっと登山ルートに戻ることができた。

▲:エベレスト (ネパール:1999年3月~5月)
世界最高峰へ、3度目の挑戦。
前日、山頂にアタックをかけた隊員が続々と山を下りてくる。皆ふらふらになっている。
シャルパに担がれている者、高山病で顔が膨れ上がっている者、凍傷で顔がグシャグシャに
なっている者もいる、やはり、この山はそう簡単に頂きを踏ませてくれない。
10年間こだわり続けた、7つの山の最後の頂へ。
植村直己さんに導かれてやってきた、あの高みへ。

○登頂最年少記録
1995年:アメリカ人の登山家が29歳で達成
1999年5月13日:日本の野口健が25歳で達成
2001年5月23日:日本の石川直樹が22歳で達成
2007年:アメリカ人のサマンサ・ラーソンが18歳で女性最年少記録も同時達成

○その後の野口健の活動
エベレストの“清掃登山”やシャルパの遺族を救う“シャルパ基金”を設立。
現在は、日本の国立公園や各地の山、講演会、自然教室など、環境問題の普及を提唱。
亜細亜大学卒業後、青森大学大学院環境科学研究科環境教育学専攻。
了徳寺大学客員教授。

※一気に読み、野口健が好きになりました。講演会でもあれば行きたいし、応援もしたい。

※やはり登山は自己責任ですね、体力と技術、そして強い意志、さらに運(天候・雪崩・落石等)
も必要となります。失敗は次への強い意志と原動力となり、そして頂きの達成感と充実感、満足
感が高まります。登山は奥が深いと感じました。


★2013.03.09:千葉県環境大使 野口健さん講演会を聴きに行く



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