6月17日 おはよう日本
泣きながら走ってくる子どもたち。
ベトナム戦争のさなかに撮影され
世界中に衝撃を与えた写真である。
撮影したのはベトナム出身のカメラマン ニック・ウトさん。
この写真が撮影されてから45年になる今年
次の世代を担う若者たちにメッセージを送った。
ニック・ウトさん(66)。
ベトナム戦争当時AP通信の現地カメラマンとして
10年間戦場の最前線を撮影し続けた。
(ニック・ウトさん)
「落ちてくる爆弾を撮っていると
その先でナパーム弾が爆発したんだ。」
45年前ウトさんが21歳のときに撮影した「ナパーム弾の少女」。
爆撃で燃えさかる村を背に
泣き叫びながら逃げてくる子どもたちをとらえた写真である。
子どもや女性など一般の住民が犠牲になっている現実を世界中に知らしめたとして
世界的に権威があるピュリツァー賞も受賞。
反戦の機運がさらに高まり
ベトナム戦争が終結に向かうきっかけとなった。
ベトナム戦争のあとアメリカに移り住んだウトさん。
この写真とウトさんが当時使っていたカメラをベトナムの博物館に寄贈することになり
5月に式典が開かれた。
(ニック・ウトさん)
「泣き叫びながら逃げる姿は
誰が見ても悲惨さが伝わってきます。」
ウトさんは世界各地を回り
この写真を通じて戦争の悲惨さを訴えてきた。
式典の翌週
ウトさんはこの写真を撮影したベトナム南部のチャンバン村を訪れた。
写真を撮った通り。
そのときの様子を撮影した貴重な映像が残っていた。
空爆する飛行機をウトさんが撮り終えたところ
ナパーム弾が村を直撃。
住民たちは逃げ惑った。
そのときウトさんに向かって走ってきたのがやけどを負った子どもたちだった。
(ニック・ウトさん)
「とてもおびえながら『水が欲しい』と叫んでいました。」
その場にいたジャーナリストの多くが一刻も早く写真を現像しようと村を離れたという。
しかしウトさんはカメラを置き
取材に使っていた車で子どもたちを病院に搬送。
大やけどを負った女の子は一命をとりとめた。
(ニック・ウトさん)
「子どもたちは車の中でも泣き叫び
なんとか助けたいと思ったんです。」
写真の中の子どもの1人が今も現場近くに暮らしている。
食堂を営むヒエンさんである。
今回久しぶりに再会することができた。
「まだ戦争のことが忘れられない?」
「大きな音を聞くと思い出してしまうんです。」
あのとき近所の子どもたちと遊んでいて爆撃に巻き込まれたヒエンさん。
ウトさんは自分たちを救ってくれた恩人である。
(ヒエンさん)
「ウトさんは家族の一員のようです。
毎年でも会えれば本当にうれしいですね。」
ウトさんはこの村を訪れるたびにジャーナリストとしての原点を思い出すという。
(ニック・ウトさん)
「毎日多くの人の死を目の当たりにし
戦争を止める写真を撮りたいと思いました。
誰も人の死なんか見たくないのです。」
ふだんはアメリカで暮らすウトさん。
今回のベトナム訪問にはもう1つ目的があった。
ジャーナリストを目指す学生たちとのシンポジウムである。
母国の若者に戦場で取材を重ねてきた自らの経験を語り継ぎたいと考えていた。
(ニック・ウトさん)
「ヘリコプターに乗っていたとき
竹林を見下ろすと
兵士が我々に向けて発砲するのが見えたんです。
“ああ私はここで死ぬんだ”と覚悟しました。」
ウトさんが見せたのは戦場の真っただ中で撮影した写真の数々。
学生たちからは戦争を取材することの難しさについて質問が投げかけられた。
(学生)
「ベトナム人が米軍に殺される様子を写真に撮るのはつらくなかったのですか。」
(ニック・ウトさん)
「そうですね。
でもこれが仕事なんです。
戦争の真実とは何か
伝えようと努力してきました。」
(参加した学生)
「あの写真は才能だけではなく彼の心から生まれたんだと思います。」
「いつか僕も戦場に行って
社会に大きな盈虚を与え世界を変える写真を撮りたいと思いました。」
世界を動かした1枚の写真。
戦争の無い世界を目指してきたウトさんの思いは
ベトナムの若者たちに受け継がれようとしている。
(ニック・ウトさん)
「写真には人々に訴えかける力があると信じています。
若い人たちに写真を通じてそうしたメッセージを伝えたいのです。」