8月24日 NHK「おはよう日本」
新型コロナウィルスの感染拡大で
一部に東京パラリンピック開催を危ぶむ声があがるなか
見直されている言葉がある。
“失ったものを数えるな
残されたものを最大限に生かせ”
「パラリンピックの父」と呼ばれるドイツ人の医師
グッドマン博士(1899~1980)の言葉である。
気軽に食事に行けなくなったり旅行ができなくなったりと
多くの人たちがさまざまな制約に直面している今
日本で開かれるパラリンピックの価値とは何なのか。
陸上走り幅跳び 視覚障害のクラスの高田千明選手(35)。
去年の世界選手権で日本記録を更新。
東京パラリンピック代表に内定した。
(高田千明選手)
「シュッと浮かぶ
体のふわっとした感覚ときもちがとてもいい。
目が見えてないというのが
自分の中でなくなる瞬間。」
病気で目が全く見えない高田選手。
来年の大会に向けて不安を感じているのが接触による感染のリスクである。
練習道具を用意するのも両方の手で触って確認。
コーチが隣で走ったり
助走の方向を修正したり。
どうしても直接 人やものと触れることは避けられない。
(高田千明選手)
「2m以上離れなさいというのは不可能に近い。
今後 大会はどうなっていくのか
練習はできるのか できないのか。
不安がいっぱい。」
そんな中パラリンピックを開く意味はどこにあるのか。
人生を変える力がそこにはあると
訴える人がいる。
星義輝さん(72)である。
72才になった今でも車いすテニスに打ち込む星さんは
56年前
1964年の東京パラリンピックを会場で観戦し
人生が大きく動いた。
障害者がスポーツをすることはほとんどなかった当時の日本。
生き生きとスポーツを楽しむ海外選手を見て衝撃を受けたという。
(星義輝さん)
「我々はそんなことなかったから
憧れましたよね かっこいいなって。」
その後スポーツにのめり込んでいった星さん。
車いすバスケットボールと陸上でパラリンピック4大会に出場し
金メダルも獲得した。
その原動力となったのは“パラリンピックの精神”を表すあの言葉だった。
(星義輝さん)
「グッドマンの
“失ったものを数えるんじゃない
残されているもの
自分の得意とするものを生かすように”
あるものをとにかく最大限に生かそう。
やっぱり支えですよね。」
パラリンピックで社会をよりよく変えられる。
そう考えているのが建築士の吉田紗栄子さん(77)である。
自宅の冷蔵庫に貼っているのはグッドマン博士の言葉。
“失ったものを数えるな
残されたものを最大限に生かせ”
(吉田紗栄子さん)
「人生のどの場面でもこの言葉は響いてきていた。」
前回の東京パラリンピックに吉田さんはボランティアとして参加した。
選手村に設置されたスロープや手すりなど
当時の日本では珍しかったバリアフリーの設備を驚きを覚えたという。
(吉田紗栄子さん)
「障害があっても建物がちゃんとしていれば
何の不自由もなく暮らせることが分かった。
それを仕事にしようと思った。」
吉田さんはその後建築士となり
日本のバリアフリー建築の先駆者として
半世紀以上にわたって住宅の設計に携わってきた。
車いすを置くスペースを設けた玄関。
テラスと部屋との段差をなくしたフラットな設計。
吉田さんが手がけたバリアフリーの住宅は100軒を超える。
(吉田紗栄子さん)
「すべてのことが東京パラリンピックが基準になって
法律とか施策とか
いろいろなことが整備されてここまできて
将来はバリアフリーは当たり前
バリアフリーという言葉がなくなればいいと私は思っている。」
2回目の東京オリンピックを前に
世界が新型コロナウィルスの脅威にさらされている今こそ
東京パラリンピックの精神が必要とされていると感じている。
(吉田紗栄子さん)
「今回 コロナで失ったものってものすごくたくさんあるけれど
それが戻るとか
なくなっちゃったとか嘆くのではなく
じゃあどうする
今ある資源でどうすればいいのか
もう1回考える。
2020年があったからここまでいい世界になりましたと
ぜひ言ってほしい。」
パラリンピックには人生そして社会を変える力がある。
そう信じて練習を続ける高田選手。
“残されたものを最大限に生かす”
その自らの姿を通じて
子どもたちにパラリンピックの持つ力を感じてもらいたいと考えている。
(高田千明選手)
「目が見えない状態でも
音を聞いて全力で走って跳びます。
千明さんは走り幅跳びで新国立競技場で跳びます。」
「コロナっていう目で見えない
匂いもしない
怖いものがあったとしても
目標がなくなっているわけではないので
あきらめずに何でも続けて
やり続けることの大事さを診てもらいたい。」