12月13日 編集手帳
太宰治の『斜陽』に「経済学」を語ったくだりがある。
〈人間というものはケチなもので、
永遠にケチなものだという前提が無いと全く成り立たない学問…〉であると。
ケチというよりも、
“惜しむ”学問だろう。
お金を惜しみ、
資源を惜しみ、
時間を惜しむ。
経済活動という地図上に、
無駄のない最短の道順を追求してやまない。
国の財政も家計のやりくりも、
地道ながら尊い“惜しむ”心があって初めて成り立つ。
その対極にあるものは、
一獲千金を狙う賭博だろう。
「惜」という字の心(立心偏)が金に置き換わると、
錯誤の「錯」になる。
心が金に…は、
ギャンブル依存症の悲劇そのままである。
歳末恒例「今年の漢字」は〈金〉だという。
メダルラッシュに沸いたリオの夏を思い出す前に、
与野党の攻防がつづく通称「カジノ解禁法案」を連想してしまった。
日本選手団の面々には少々申し訳ない気持ちでいる。
経営上の妙味がどれほどあろうとも、
カジノは人の不幸と不運を養分にして咲く徒花(あだばな)である。
日本経済の定評であった優秀の「秀」の字が悲しい金にまみれ、
「銹(さび)」に変わる。
見るに忍びない。