5月12日 海外ネットワーク
去年の秋
アフガニスタンで初めてロックフェスティバルが開かれた。
タリバンが支配していた10年余前まで
音楽が禁じられていたこの国でロックが新たな歴史を刻んだ。
歌には戦争への怒りと
平和の願いがこめられている。
♪My Voice
私の声 あなたの声 アフガニスタンの声
みんな明るい未来と平和を望んでいる
アフガニスタンではタリバン政権が崩壊してから10年が過ぎたが
国内の治安は一向に改善されていない。
国の将来が見えない中で母国への思いをロックを通じて訴える若者たち。
アフガニスタンの首都カブールの夜8時
高い壁に囲まれた敷地の一角でロックの大音響が鳴り響いている。
アフガニスタンの若者にいま大人気のロックバンド「ディスクリクト・アンノウン」。
近くアルバムを発売する予定で毎晩のように曲作りに打ち込んでいる。
彼らが歌うのは戦争への怒りである。
2008年い実際に起きた事件を題材にしている。
国際舞台が結婚式場を誤爆し新郎新婦が亡くなった。
♪死んでいく花嫁
美しい花嫁を 彼女の瞳をもう一度見たい
しかし全てが失われた
「ディスクリクト・アンノウン」ぺドラム・ファウシャンジさん
「誤爆した国際舞台を非難したいのではなく
事件に悲惨さを伝えるためにつくった。
多くの人に事件を思い出してもらいたかった。」
今 首都カブールの町にはショッピングモールやファストフード店もオープンし
禁止されていた音楽は今では人々の娯楽となっている。
しかしタリバンが勢力を盛りかえす地域では
CDショップが爆破される事態が相次いでいる。
東部の都市ジャララバードでは全ての店が閉鎖に追い込まれた。
結成当初のディスクリクト・アンノウンは白い仮面で顔を隠していた。
ロックを西洋の音楽だと嫌う人たちから
嫌がらせや脅迫を受けたからである。
去年10月 カブールではじめて開かれたロックフェスティバルに参加したとき
仮面はつけなかった。
「ディスクリクト・アンノウン」カイス・シャガシーさん
「命を狙われても良いから素顔で演奏し
自分たちのロックを世界に示したいと思った。」
若者の仕事が少ないアフガニスタンでは
音楽も貴重な職業訓練のひとつとなっている。
国際機関が資金を出し2年前に開校したアフガニスタン発の音楽学校。
授業料は無料で戦争で両親を亡くしたこどもなど150人が学んでいる。
音楽学校の校長
「ここではプロの音楽家の要請に力を入れている。
主に世界の伝統音楽を学ぶが
ポップスやロックが好きな生徒も多い。」
ホジャット・ハミードさん(20)はバイオリンの腕前は校内トップクラス。
しかし放課後はロック一色。
学校の仲間と結成したバンド「ホワイト・ページ」。
真っ白なアフガニスタンのロックの歴史に自分たちの名前を刻もうと名づけた。
「ホワイト・ページ」ホジャット・ハミードさん
「ロックは自分の気持ちを素直に表せるから好き。」
ハミードさんをロックに駆り立てた出来事があった。
一番上の兄の死である。
1979年に始まった旧ソビエト軍の侵攻で国内の医療体制は崩壊
病気を患った兄は治療を受けられず
ハミードさんが生まれる6年ほど前に亡くなった。
「ホワイトページ」ホジャット・ハミードさん
「両親は兄を病院に連れて行ったが医師は誰もいなかった。
両親は兄を失ってほんとうに辛かったと思う。」
ハミードさんが今取り組んでいる新曲のテーマは戦争への怒り。
「ホワイトページ」ホジャット・ハミードさん
「アフガニスタンの国民がどんな経験をしたか
ロックで世界中に伝えたいと思う。」
治安が回復せず国の将来の姿が見えないアフガニスタンで
若者たちは国への思いや自分の気持ちを
ロックに乗せて伝えようとしている。