銅版画制作の日々

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画家泉茂の写真展 ニューヨーク60年代 街はキャンパスだったあの頃

2006-06-11 | アート

木曜日の夜に風邪で、パワーダウンになってしまい・・・次の日は休む事にしました。ようやく回復したので滋賀県立近代美術館へ「画家泉茂の写真展」を観に行ってきました。泉茂は抽象絵画の作家という事は知っていましたが・・・版画や写真もやっていた事は、この作品展で知りました。あの瑛九の勧めでエッチングを始め、その後吉原英雄とともにリトグラフの研究所もやり始めたようです。さまざまな展覧会での受賞後、1959年に渡米、ニューヨークで活動。この頃あの有名なベン・シャーンと出会い、彼の推薦により、国際版画協会のための版画を制作。4年近くニューヨークで、個展を中心として活動。1963年にはパリに拠点を移します。今回の展覧会はタイトルの通り、ニューヨークの街の60年代の風景が中心です。マンホールや壁に書かれた文字など・・・彼はこう書いてます。「ある友人に貧乏人とは付き合うなと忠告された。彼いわく、ここではノーマルな勤労意欲がある限り、貧乏しない。望めば、即働けるのだ!それをあえてやらないのは精神状態がアブノーマルやつだ!と言いたかったのだろう。貧乏人は狂人だというわけだ。この言葉に、これが芸術家の言葉だろうか。この言葉で一瞬とまどったニューヨークの酔いどれたちが、かなりこういう連中であっても、すべてが狂人だと思いたくなかった。アメリカは中間の思考が欠けている。白か黒かなのだ」パリはその点違った。あるフランスの婦人が酔いどれて、地下鉄で寝ている人を、「彼はソクラテスかもしれない」と言った時、泉は共感をおぼえたと言っている。そういえばフランスはビジネスの国ではない。ビジネス以外に大切なものがあるはずだと彼らは考えている。とは言えカフェで浮かない顔した人の多いパリはニューヨーク馴れした泉にとっては、怠け者の集団のような気がして、カンにさわったようだ。そういいながら、パリに5年いたのは何故?アメリカでは味わえなかった灰色思考の安堵感のせいかもしれない。(泉茂 欧米生活の印象より抜粋)パリに移ってからは、写真を撮らなかったようです。何故かというと、パリの街はすべて絵になる風景だったからだそうです。

  


      

                        
                   今回の展覧会のパンフレットです

          展覧会の詳細はこちらから

    滋賀県立近代美術館の次回の企画展です。

      私の大好きな作家 イサム・ノグチの展覧会です

    

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