不可能なことを可能にしたフィリップ・プティ・・・・・。
京都みなみ会館にて鑑賞。2008年度、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門受賞作品だったんだ。知らなかった・・・・。
オスカー像でパフォーマンス!
予告編を観て気になっていました。ワールドトレード・センターといえば、9,11でTEROにより崩壊されたビルですね。もう今はそのビルもないんですよね。そのニューヨーク、いや世界で一番高いツインタワーのビルの間に綱をかけてその上を渡ったというフィリップ・プティ。観るまではあの風貌から、何か凄く線の細くて、かよわいってイメージだったのですが。
まったく違いました。ユーモアたっぷりで、パワーのある人です。そのパワーがこの一大パフォーマンスをやり遂げる原動力なのでしょうね。
世界一高いツインタワーは地上から411mもあるそうです。ちょっとイメージが沸かないです。そういえば、神戸の六甲山系にある再度山がだいたい400mくらいの標高だそうで、小山くらいの高さと考えるといいのではないでしょうか。しかしビルは垂直ですから、崖だと考える方がいいでしょう。
現在のフィリップ・プティ。今年60歳。
1974年8月7日、23歳のフランス人が世界で一番高いニューヨークのワールド・トレード・センターのツインタワーのビルの間、411mの高さに張られた細い綱の上を渡った。
彼は45分間、8往復の綱渡りを披露し、その後逮捕された。何と、ニクソン大統領が辞職する前日だった。
しかし、フィリップ・プティの違法な秘密計画であったこの綱渡りが、次の日の新聞の見出しを大きく飾ることとなった。
彼はこの6年前に、歯痛のためパリにある混雑した歯医者に治療に行った際、雑誌に載っていたツインタワー建築計画に芸術家として興味を持った。そして直感的に、彼は2つの屋上の間に鉛筆で線を引いた。これだ!
「皆が見ている。しかし僕はその記事を手に入れたかった。だから、一瞬のうちにそのページを破り取って外に出た。もちろん歯は痛いまま。でも、痛みが何だ。僕は夢を手に入れたんだ!」
後に「史上、最も美しい犯罪」として知られることになる彼の最初の違法行為だった。彼は権力を軽蔑していた。通った全ての学校を辞めさせられていた。またSURIやストリートジャグリングの罪で、500回以上の逮捕歴があった。チェス、マジック、彫刻、フェンシング、闘牛を学ぶ。ついには綱渡りに行き着いた。17歳の少年は究極の挑戦に対して準備が整ったと自身で感じていた。
初めの違法な綱渡りは1971年6月。
パリにあるノートルダム大聖堂の2つの尖塔間において。
ジャン=ルイ・ブロンデュー、ジャン=フランソワ・ヘッケルの2人に支えられて1年間の準備を行う。違法だけれど、ひどく悪い卑劣なことではない。むしろ素晴らしいことだと話すジャン=フランソワ。ただこの光景はフランス人には刺激的すぎて失敗した。フィリップの勇敢な挑戦を賞賛するのは、世界中の人たち。但しフランス人以外。フランス人は全く感動しなかった。
その後、フィリップは2回目の挑戦としてオーストラリアのシドニーに向かった。
今度は世界最大の鉄鋼アーチ橋、シドニー・ハーバー・ブリッジ。北側の鉄塔の間に綱を張った。冬の朝、ラッシュアワーの交通を麻痺させ、呆然とした通行人たちが若き「空中の詩人」の挑戦に驚いて集まった。
いよいよツインタワーでの綱渡りに挑戦。マッハッタンの街角でジャグリングしているときに出会ったジム・ムーアに協力を求めた。事前に下調べした際に同行してくれた人物である。色々な人物になりすまして、逮捕されないように一緒に屋上へ行ってくれた。全ては計画を上手く進めるための準備だった。
その後8カ月にわたってニューヨークとフランスの田舎町を行き来きした。
練習場となった広場は子供時代からの遊び場で、そこには「ワールド・トレード・センター・アソシェーション(協会)」の看板がかがげられた。仲間は友人、ジャン=ルイ、オーストラリア人の仲間マーク、そしてフィリップの恋人ア二―がいた。挑戦を成功させるため、3つの難問もクリアしなければならない。
①約200kg(長さ60m)のワイヤーとその他必要な道具を持って警備の厳しいワールド・トレード・センター南タワーに気づかれないように忍び込む。
②南タワーから42m離れている北タワーに鋼鉄の重いワイヤーを渡す方法を考える。
③風やビルの揺れを抑えるためのワイヤーの固定方法や張りの保ち方を見つける。
リスクは高い。たとえ小さなミスでもフィリップの命に関わるので、細かいことにいたるまで全て計画どおりに行わなければならない。色々なことを学び、変装・侵入、ごまかしの達人になろうとした。チームの結束と仲間への信頼も。フィリップとジャン=ルイは特に計画をめぐって対立。途中で去る者もいたが、新たに加わる人もいた。
ついに計画の日がやっきた。いまだにトレード・センターは工事中。そのことを良いことに、フィリップ&ジャン=フランソアは南タワーへ。ジャン=ルイ&アルバートは北タワーに。それぞれ工事作業員とビジネスマンになりすましタワーに・・・・・。
南タワーの82階の保険会社で働いている内部の人間バリーが装置の運搬を許可しエレベーターで82階へ・・・・。運よく104階まで上手く昇れることに。作業員が人間違ったのがラッキー!この場所で防水シートの下に隠れて待機する。
一方北タワーの屋上でジャン=ルイが南タワーに矢を放つための合図を待っていた。矢には細い釣り糸、さらにより重たい釣り糸、ナイロンの糸、そしてロープ、最終的には綱渡りのケーブル。暗闇の中で矢を見つけるのは難しいため、フィリップは服を脱ぎ、素肌なら矢を感じることができるのではと考えた。(凄~い!)
「くじけそうな心で、ビルの端まで行ったところで、足のももの部分に釣り糸が触れるのを感じた。矢は、ビルの角の先端に不安定な状態であった。少しでも風が吹いたら、簡単に落ちてしまいそうだった。」
闇夜の中、2つのチームは準備を始めた。全ては計画通りに思えた。ところがケーブルが緩み始めた。そして長い重い鉄のワイヤーが突然スルスルと落下!やっとの思いでジャン=ルイとアルバートは素手で引っ張った。しかし予想以上に大変。途中アルバートは諦め去っていく。そのためジャンは一人で解決せざるを得なくなった。夜が明ける、時間が無くなる。屋上に作業員が!やっとのことで、ワイヤーを固定。フィリップも疲れきっているだろうし、ワイヤーの設置も理想的とはいえない。ジャンに不安がつのった。
でもフィリップはもう心に決めていた。
「これが恐らく僕の綱渡り人生の最期になるだろう。だが一方で、反抗できない何かが僕に綱渡りするように呼びかける。今まさに、死が近づいている・・・。」
ジャン=ルイによって撮られた写真は最初の数歩、綱渡りした時を見事に捉えている。
「僕はワイヤーを何度も往復したよ。そして、底が見えないビルの谷間、いや、自分だけの世界を誇らしげに見つめた。僕の運命は、もはや世界一高いタワーを征服することでなくなった。むしろ、ツインタワーに守られているように思えた。これは素晴らしいことだ。」
警官たちが2つのタワーの屋上に駆け寄った。彼らを無視し、フィリップは2つのタワーの間で綱渡りを続けた。45分かけて8往復した後、自ら綱から降り、「不法侵入と治安紊乱行為」の罪で逮捕された。
調書の「苦情の詳細」の欄に警察官は単純に「マン・オン・ワイヤー(綱渡りの男)」と記録した。その後この違法綱渡りにめぐって裁判が行われた。だが、セントラルパークで子供たちに向けてジャグリングを披露するという条件で容疑は撤回された。
法廷を出たら、若い女性が自分に手を振る姿に気付いた。そのとき微笑み返した。
フィリップの大胆不敵な綱渡りの写真が世界中の新聞のトップページを飾る。また彼の並はずれた曲芸はニューヨーク市民に受け入れられた。それだけじゃあない。彼は一瞬にして有名人になったのだ。そして港湾管理委員会は彼にワールド・トレード・センターの展望デッキへのVIP許可証を贈呈した。そこには「永遠に有効」と書かれている。
フィリップ イン 東京 渋谷区桜丘(2009年5.19)
映画のプロモーションで来日したフィリップが予告なしにパフォーマンスを披露したそうです。
60歳の今もパワーみなぎるフィリップ・プティ。不可能な事を可能にするということを、皆に教えてくれていると思いました。でもその目的に向かって行くには、決して容易いものではないということも伝えているのだと。何かに向かって取り組もうとうる時に少しづつ進んでいく、そしてきちんと準備することの大事さ。それらをクリアできれば、驚くようなことができるのではないでしょうか?フィリップの挑戦は頑張れば、何でもできるのだという素晴らしいメッセージだと思いました。
しかし凄いです。あんなに細いワイヤーに乗り、渡るという行為。見ているだけで怖くなりますよね。しかも命綱なしという凄技!精神力に、集中力に、そして努力・・・・。
計画を練って練っての挑戦。とにかく凄い人です。
メディア | 映画 |
上映時間 | 95分 |
製作国 | イギリス |
公開情報 | 劇場公開(エスパース・サロウ) |
初公開年月 | 2009/06/13 |
ジャンル | ドキュメンタリー |
空に、夢に、近づきたかった。
1974年、ニューヨークのワールド・トレード・センター。人生を賭けた綱渡り。美しき自由の伝説。
音楽はプティ本人のアイデアで起用された マイケル・ナイマンの楽曲の数々。