京都シネマにて鑑賞。オードリー・へップバン主演の映画「ティファニーで朝食を」で有名な人気作家、トールマン・カポーティが、ある死刑囚と出会い、現代文学最高の傑作「冷血」を書いたこの映画「カポーティ」はその執筆する経過や体験などの苦悩を綴った物語である。そしてこの「冷血」以降、彼は一冊の本も完成さす事はなかった執筆中にカポーティが見たものは、いったいなんだったのか・・・・その体験が与えたものとは?と同時に奪ったものは?
お話1959年、カポーティは新聞の小さな記事に目を止めるカンザス州の田舎町で一家4人が惨殺されるという悲惨な事件興味を抱いたカポーティは、文学の新たな新境地を切り開くという野望のために、取材に向かう。保安官や発見者を訪ねたり・・・。遺体や現場も見てまわる。ついにこの事件の犯人2人も逮捕となり、何と接見するのだとりわけ、犯人の一人ペリー・スミスとの出会いは彼の創作意欲を刺激し・・・・壮大なノンフィクション作品へと繋がろうとしていた彼の中で、作品タイトル「冷血」にと構想も出来ていた裁判は進み、やがて彼らに「死刑」という判決が下される取材を重ねていくうちに、ペリーが、自分と同じ孤独で、傷つきやすい心を持っていること感じるお互いに社会的な存在は関係なく、心通わせたように見えたが・・・・この小説のクライマックスとなる、「殺人の動機」については、ペリーは語ろうとしないその上死刑確定なのに、執行の延期という思わぬ方向にその事では、小説の完成に繋がらないペリーの死を恐れると同時に、死刑執行を切望するカポーティの揺れ動く心
この結末はどうなるのかトールマン・カポーティを演じるのは、フィリップ・シーモア・ホフマン、今回の作品は彼自身が制作総指揮をとっている自身のプロダクションを設立した記念すべき第一作目だそうだ。最近作では「MiⅢ」でトム・クルーズと共演している。
さて、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるカポーティの話術が何といっても面白い社交界の頂点に立っていた彼は、さまざまなパーティの席で話をして皆を大いに楽しませていた実際のカポーティがそうなのだ。誰もが「甲高い声」と語っている。そしていつも人とのキャッチボール的な会話ではない。もっぱら自分の話をする。そして自慢話なのだ不幸な事・失敗した事・幸せな事・成功した事、すべて自慢する。独特なしゃべり口調で、たえまなかったその裏には隠れた意図があるのかも?と・・・。不思議だったようだ。そんなカポーティの独特なジェスチャーやクセを徹底的に研究したホフマンは凄い俳優さんだ
※いまだに、あの高い声、喋り方が耳に焼き付いている
公式サイト カポーティ
ホフマンこそがカポーティじゃないかと思うぐらい
演技は凄かったですねー。
淡々とした映像で、疲れもありボーッと観ちゃいました。。
でも題材的には、面白い作品でした!
華やかな社交界の中心にいるカポーティに、かえって孤独の深さを感じてしまいました。
ホフマンの演技は見事でした。
>その裏には隠れた意図があるのかも?
そうですね。他人には触れられたくない繊細な部分をもっていて、それをあの語り口やユーモアセンスで覆い隠そうとしていたのかも知れませんね。
主人公のキャラクターには最後まで馴染めませんでしたが、カポーティが抱えた苦悩や葛藤が垣間見えるような作品でした。
カポーティ、彼自身を知らないけれど、まるでホフマンがカポーティその人のように感じるほどの演技でした。
ペリーの中に自分と同じものを見たカポーティの心理変化がとても見事に演じられてましたよね。
それにしても、名誉を手にするために、凄い代償を払ったもんです。
それにしても作家の業の深さを思い知らされました。
でも、あまりに人の人生に介入しすぎたためにその後の彼は没落の一途だったわけで、彼もまた裏口から出た一人だったのかなと思います。
読ませてもらいました。感謝します。 冨田弘嗣
私、この映画の感想、「ら行」のところに
入れていたことに今気づきました!
「冷血」がよほど頭にあったんでしょうね。
映画を観てからもう一度読みたい気持ちになりました。
PSHの熱演はお見事!!