ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ビートルズとの出会い

2008年11月01日 | 名盤
          ♪ビートルズの通称「青盤」。なつかしい~


 ぼくは小学校4年の時に転校しました。
 それまでのぼくは、とくに音楽好きというわけでもなく、野球やドッジボールが好きな、ごくごく普通の小学生でした。
 それでも音楽の授業の時や、給食の時間、下校の時間などにかかっていたクラシックの曲のメロディーのきれいなものには惹かれていたし、テレビの番組やCMなどの中で聴かれる音楽の中にも強く印象に残るものがありました。その頃に好きになった、記憶に残っている曲といえば、シューベルトの「ます」とか、ホルストの「木星」、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」などがあります。
 でも特別音楽が好きだったわけでもないし、自分が今のような音楽を手放せない生活を送るなどとは思ってもみませんでした。


 転校したての時は、「転校生」という一種特殊な存在のせいでちょっとばかり周りから浮いた雰囲気を味わったりもしましたが、それでも子供同士のこと、月日がたつにつれ友達もできたし、学校が楽しくもなってゆきました。
 授業の合間の休み時間に遊ぶだけでなく、次第に同級生の家へも行くようになったある日、クラスのリーダー的存在だったマキノ君に「今日、うちへ遊びに来いよ」と誘われました。


 何人かの友達と一緒に、学校の帰りがけにマキノ君の家に寄りました。
 そこで通された彼の部屋にはオーディオ・セットが置いてありました。まだミニ・コンポなんてない時代のことです。プレーヤーからアンプ、チューナー、カセット・デッキなんかもついた大きなコンポーネントでした。
 「アニキのレコードだけど」と言ってマキノ君がかけてくれたレコード、それは初めて聴く「洋楽」というものでした。それまでは、音楽といえば、学校で聴くクラシックと家のテレビで聴く歌謡曲ぐらいしか知らなかったぼくにとっては初体験の「洋楽」だったんです。


 その日何をして遊んだかとか、何を話したとか、他に誰がいたかなんてことは一切覚えていません。強烈に記憶に残っているのは、窓から射し込む夕日が部屋じゅうをオレンジ色に染めていたこと、そしてそのオレンジ色の中で聴いた、ピアノが印象的な曲のことだけです。ジャケットの青色が印象的なレコードでした。そう、その曲がビートルズの「レット・イット・ビー」で、レコードがいわゆるビートルズの「青盤」だったんですね。


 子供心にも郷愁を誘うような見事な夕日の中で聴いた「レット・イット・ビー」の感動、今でも忘れません。そして、この時に漠然と思ったのが、「ああ、ピアノが弾けたらなぁ。。。そしたらこの曲を弾いてみたい。いつか弾いてみたいなぁ」ということでした。
 初めて触れた「洋楽」がロックで、しかもビートルズだったというのは、今思えば、ぼくにとってみれば人生の方向が変わってしまったくらいの衝撃だったんだな、と思いますね。


 その後すぐにビートルズ熱に火が点いたか、というと、そうでもなかったんですね。なにせその頃のぼくの家にあったのは、子供用のおもちゃみたいなポータブルのモノラル・レコード・プレーヤーだけでしたから、とても音楽を聴くような環境ではなかったんです。ちなみに、当時わが家にあったレコードといえば、何枚かの童謡のほかには歌謡曲と軍歌が少しあるだけでした。覚えているのは梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」、皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」なんかがあったことですね。


 たしか小学校5年生になってからだと思いますが、ラジカセ(ラジオ付きカセット・テープ・レコーダー)を買ってもらいました。家でも洋楽をよく聴くようになったのはそれからです。その洋楽熱は中学に入ってから本格的に燃え上がり、ビートルズを出発点としてクィーン、ウィングス、キッス、エアロスミス、イーグルス、シカゴなどなどを聴くようになっていったというわけです。


 今日は「ぼくとビートルズの出会い」というささやかなお話でした~(^^)
 音楽との邂逅譚を心にしまっておられる方、きっと多いことでしょうね。



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コメント (12)
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