当時、まだまだ小僧っ子だったぼくらの間では、「一触即発」(四人囃子)とか、「私は風」(カルメン・マキ&OZ)などの大作をコピーしたがる傾向がありました。
しかしロックが歌えるオンナのコはほとんどいなかったんですね。
「私は風」に関しては、みんな涙を呑んで断念していました。
腕利きのミュージシャンを従えて、一種「女王」の雰囲気を漂わせていたカルメン・マキはどこまでもカッコ良かった。
ぼくらマキ・ファンは、憧れと畏敬と愛を込めて、ひそかに「マキちゃん」と呼んでいたものです。
名盤の誉れ高いファースト・アルバムの歌詞カードを開くと、マキ嬢のステージ姿を捉えた写真を見ることができます。
いや~、美人。
そしてまた、この近寄りがたい雰囲気が良いのだ。
しかも、ロングのスカートがスラリとした体によく似合う。
よくよく見ると、なんと!ノーブラ!?
高校をドロップ・アウトしたマキ嬢は、寺山修司主宰の伝説のアングラ劇団「天井桟敷」で舞台女優として研鑽を積むうち、レコード会社の目にとまります。
1969年に「時には母のない子のように」でデビューするとこれが大ヒット、紅白歌合戦にも出場しました。
この大ヒットのお祝いとしてCBSソニー社長からレコード・プレイヤーとLPレコードを贈られたのですが、その中に入っていたジャニス・ジョプリンのアルバムがマキ嬢に強い影響を与えることになります。
マキ嬢はロック・シンガーに転向し、日本の女性ロッカーの草分けとして1970シーンを年代のシーンを席巻するのです。
当時の女性ロック・ヴォーカリストといえば、英米では故ジャニス・ジョプリンやグレース・スリック、スージー・クアトロなど、日本でも他には麻生レミくらいしかいませんでした。
しかしマキ嬢は決して稀少価値と話題性で名を売ったのではありません。
トラッド・フォークっぽい、ほの暗いけれど伸びやかな彼女の歌声は独特の存在感がありました。そしてあのメタリックなシャウト!
もうホレボレです!!
のちに結成したOZには、春日博文(guitar)のほか、古田宣司(drums のち佐野元春、奥田民生 etc)、樋口晶之(drums のちクリエイション etc)、鳴瀬喜博(bass のち金子マリ&バックスバニー、カシオペア etc)らの、そうそうたるメンバーが在籍していました。
ファースト・アルバムには、現在の日本でも有数のキーボード・プレイヤーである深町純や、アコースティック・ギターの名手である安田裕美なども参加しています。
このアルバムは6曲が収録されていますが、いずれも名曲ぞろい。
とくに「午前1時のスケッチ」「私は風」は、古今を通じて日本のロック界を代表する名作、と言いたい!
OZは「ハード・ロック・バンド」のイメージが先行している感もあります。
しかし、加治木剛の映像的かつ叙情的な歌詞は聴いているぼくたちに独特の情景を感じさせてくれます。
それに加えて春日博文の書く曲は、ハード・ロックの要素だけではなく、和製フォークの持つ情緒をもミックスしたような、オリジナリティあふれるものです。
OZの生み出す独自の重い雰囲気は、まさにOZしか出せないものだと思うのです。
もっともっと評価されるべき素晴らしいバンドです。
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間違いなく、素敵ですね。
カルメンマキ。
私は風は、本当に素敵!!
roosters from so-netさんこんにちは~
全く同感です!
ジャニス・ジョプリンとマキ嬢が、ぼくにとっては永遠に別格のボーカリストであり続けるでしょうね。
まさかこんなところで名前を拝見するとは。
マキさんとはご近所で、親しくお付き合いさせていただいてます。いっしょにご飯を食べたり。
先日はプライベートな場でしたが、私が伴奏してマキさんが数曲歌うという機会がありました。
ジャズも歌ってみたいということで、最近、マキさん用に何曲かみつくろっているところでございますよ。
本当に生きることに真摯で、素敵な方です。
羨ましいと思う反面、実際に身近におられたら、きっとぼくはしどろもどろでしょう。もうそれくらい憧れていた方なんですよ。
マキさんには、本当に、いつまでも心に響く歌を歌い続けて頂きたいと思っています。
私はリアルに母と縁が薄かったもので
自身とオーバーラップして
聞いたときは本当に泣けました。
曲もスケールが大きいけれど、歌詞もしみじみ味わい深いものがあると思います。仰る通り、重なるような実体験を持つ方にとっては胸にぐっとくる曲ですよね。ぼくも大好きな曲です(^^)。