【Live Information】
【ディープ・パープル(Deep Purple) 1968~1969】
ロッド・エヴァンス(Rod Evans:vocal)
ジョン・ロード(Jon Lord:keyboard)
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore:guitar)
ニック・シンパー(Nick Simper:bass)
イアン・ペイス(Ian Paice:drums)
ディープ・パープル。
いまではハード・ロックの代名詞ともなっているこの偉大なバンドは、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、デヴィッド・カヴァーデイルら多くのロック・ヒーローを輩出しています。レッド・ツェッペリンと並ぶ、ハード・ロックのパイオニアと言ってもいいでしょう。
ぼくがディープ・パープルを聴き始めたのは中学時代。すでにバンドは解散した後だったと思います。
当時のパープルのイメージは、やはり「凄腕のメンバーがそろっているハード・ロックのトップ・バンド」でした。
とくにギターのリッチー・ブラックモアに対しては、少なくともぼくの周りは「驚嘆」や「憧れ」を通り越して、もはや「尊敬」の念を込めた眼差しを送っていたように記憶しています。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ブラック・ナイト」「チャイルド・イン・タイム」「レイジー」など、いまやロック・クラシックスとなった数々の名曲に加え、いわゆる第2期~第3期(1969~1975)に在籍したメンバーすべてがスター・ミュージシャンといってもいい存在感を誇っていました。
ところがパープルの第1期について語られることがほぼないのに気づいたぼくは、次第に第1期パープルに対する興味を強めてゆきます。そして、1969年までにリリースされた3枚のアルバムからピック・アップした2枚組オムニバス・アルバム「紫の軌跡(Purple Passages)」を買ってみたんです。
「紫の軌跡(Purple Passages)」 1972年
アメリカ(ビルボード)57位
これがとても良かった。
ハード・ロックを指向した第2期以降とは明らかに異質のサウンドでしたが、1960年代後半のロック界の新鮮な空気をたっぷり感じることができたからです。
粗削りですが、新しい時代の形成に伴って押し寄せてくる大きな波、あるいは逆らうことのできない瑞々しくも強いエネルギーが満載だった、と言うとおおげさでしょうか。
のちのハードなサウンドの片鱗はそこかしこに見えますが、オルガンの醸し出す雰囲気がかなり重要であるところが第2期と大きく異なるところです。
リッチーの使用ギターがストラトキャスターではなく、ギブソン社のセミ・アコースティックギターES-335であることもサウンド面での大きな違いのひとつでしょう。やや乾いた感じのトーンから繰り出すフレーズの数々からは生々しい人間味が感じられます。自分としてはとても好みな、いわが「血の通ったギター」なんです。
当時のロック界は「ニュー・ロック」とか「アート・ロック」と呼ばれていた新たな波に席捲されていました。
ジミ・ヘンドリックスやヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、フランク・ザッパ、テン・イヤーズ・アフターなど多種多様なバンドが生まれ、独自の音楽を追求していましたが、パープルもそのうちのひとつと見られていました。とくに、同じくオルガンを重要性を特徴とするヴァニラ・ファッジとはライバル視されていたようです。
「ハッシュ(Shades of Deep Purple)」 1968年
アメリカ(ビルボード)24位 (発売当初の邦題は「紫の世界」)
パープルのサウンドの源は(当時主流だった)ブルースよりも、クラシックやトラディショナル・フォークなどからの影響が大きいように思います。
そのうえオルガン特有の音色をうまく使い、幻想的でサイケデリックな香りをもたたえていました。
当時のボーカリストであるロッド・エヴァンスの甘みと深みのバランスが絶妙な声質は、陰影に富んでいた当時のパープル・サウンドにはまことにぴったりマッチしていると思うのです。
「詩人タリエシンの世界(The Book of Taliesyn)」 1968年
アメリカ(ビルボード)38位 (発売当初の邦題は「ディープ・パープルの華麗なる世界」)
サイケデリックなイントロから鮮やかなオルガン・サウンドを主体として豪快に押しまくる「アンド・ジ・アドレス」、ボレロ風のパートを加えてヘヴィーに、かつドラマティックに迫る「ヘイ・ジョー」、オルガンのクラシカルな響きとブルース・フィーリング、そしてハード・ロックのエッセンスを融合させた「ハード・ロード」「何故ローズマリーは」、ロックンロールの醍醐味が味わえるエネルギッシュな「ハッシュ」「ケンタッキー・ウーマン」、クラシックの要素を大胆に取り込んだ「4月の協奏曲」、アフロ・ビートが独特の雰囲気を醸し出す「影を追って」、ポップな作風の中にサイケデリックな雰囲気を湛える「ワンモアレイニーデイ」「エマレッタ」など、この頃のパープルも名曲を数多く世に送り出しています。
クリームの「アイム・ソー・プラウド」、ビートルズの「ヘルプ」「恋を抱きしめよう」などを独特なほの暗さでアレンジしているところも聴きものです。
「ディープ・パープルⅢ(Deep Purple)」 1969年
アメリカ(ビルボード)162位 (発売当初の邦題は「素晴らしきアート・ロックの世界」)
「ラヴ・ポ-ションNo.9」などのヒットで知られる「サーチャーズ」のクリス・カーティス(drums, vocal)が組んだバンド「ラウンドアバウト」がディープ・パープルの前身です。
カーティスが失踪したため、ふたりのマネージャー(トニー・エドワーズとジョン・コレッタ)と、メンバーだったジョン・ロード、リッチー・ブラックモアの4人が改めて集まり、ロッド・エヴァンス(ex. The Maze)、ニック・シンパー(ex. The Garden)、イアン・ペイス(ex. The Maze)をバンドに加え、1968年3月にバンド名を「ディープ・パープル」と改めたのです。
1968年6月、ディープ・パープルはファースト・アルバムに収録していた「ハッシュ」をシングル・カットしました。「ハッシュ」は同年9月にビルボード4位のヒットを記録、これ以降彼らはニュー・ロックのホープとして活動することになります。
バンドはジョン・ロードの影響でクラシカルな路線を進み、地道に成果を上げるのですが、次第にリッチー・ブラックモアが主導権を握るようになったため、ハード・ロック指向を強めてゆきました。
その結果、ボーカリストがエヴァンスからイアン・ギランに、ベーシストがシンパーからロジャー・グローヴァーに交替し、ディープ・パープルは黄金の第2期に入ってゆくわけです。
左から ジョン・ロード、ニック・シンパー、ロッド・エヴァンス、イアン・ペイス、リッチー・ブラックモア
ディープ・パープルは1976年にいったん解散しますが、再結成した1984年から現在にいたるまで活動を続けています。
デビューから50年が経ったわけですが、第1期はそのうちのわずか2年。
しかし、ぼくの中では強烈な印象が刻まれたままなのです。
【ディープ・パープル(Deep Purple) 1968~1969】
ロッド・エヴァンス(Rod Evans:vocal)
ジョン・ロード(Jon Lord:keyboard)
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore:guitar)
ニック・シンパー(Nick Simper:bass)
イアン・ペイス(Ian Paice:drums)
ディープ・パープル。
いまではハード・ロックの代名詞ともなっているこの偉大なバンドは、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、デヴィッド・カヴァーデイルら多くのロック・ヒーローを輩出しています。レッド・ツェッペリンと並ぶ、ハード・ロックのパイオニアと言ってもいいでしょう。
ぼくがディープ・パープルを聴き始めたのは中学時代。すでにバンドは解散した後だったと思います。
当時のパープルのイメージは、やはり「凄腕のメンバーがそろっているハード・ロックのトップ・バンド」でした。
とくにギターのリッチー・ブラックモアに対しては、少なくともぼくの周りは「驚嘆」や「憧れ」を通り越して、もはや「尊敬」の念を込めた眼差しを送っていたように記憶しています。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ブラック・ナイト」「チャイルド・イン・タイム」「レイジー」など、いまやロック・クラシックスとなった数々の名曲に加え、いわゆる第2期~第3期(1969~1975)に在籍したメンバーすべてがスター・ミュージシャンといってもいい存在感を誇っていました。
ところがパープルの第1期について語られることがほぼないのに気づいたぼくは、次第に第1期パープルに対する興味を強めてゆきます。そして、1969年までにリリースされた3枚のアルバムからピック・アップした2枚組オムニバス・アルバム「紫の軌跡(Purple Passages)」を買ってみたんです。
「紫の軌跡(Purple Passages)」 1972年
アメリカ(ビルボード)57位
これがとても良かった。
ハード・ロックを指向した第2期以降とは明らかに異質のサウンドでしたが、1960年代後半のロック界の新鮮な空気をたっぷり感じることができたからです。
粗削りですが、新しい時代の形成に伴って押し寄せてくる大きな波、あるいは逆らうことのできない瑞々しくも強いエネルギーが満載だった、と言うとおおげさでしょうか。
のちのハードなサウンドの片鱗はそこかしこに見えますが、オルガンの醸し出す雰囲気がかなり重要であるところが第2期と大きく異なるところです。
リッチーの使用ギターがストラトキャスターではなく、ギブソン社のセミ・アコースティックギターES-335であることもサウンド面での大きな違いのひとつでしょう。やや乾いた感じのトーンから繰り出すフレーズの数々からは生々しい人間味が感じられます。自分としてはとても好みな、いわが「血の通ったギター」なんです。
当時のロック界は「ニュー・ロック」とか「アート・ロック」と呼ばれていた新たな波に席捲されていました。
ジミ・ヘンドリックスやヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、フランク・ザッパ、テン・イヤーズ・アフターなど多種多様なバンドが生まれ、独自の音楽を追求していましたが、パープルもそのうちのひとつと見られていました。とくに、同じくオルガンを重要性を特徴とするヴァニラ・ファッジとはライバル視されていたようです。
「ハッシュ(Shades of Deep Purple)」 1968年
アメリカ(ビルボード)24位 (発売当初の邦題は「紫の世界」)
パープルのサウンドの源は(当時主流だった)ブルースよりも、クラシックやトラディショナル・フォークなどからの影響が大きいように思います。
そのうえオルガン特有の音色をうまく使い、幻想的でサイケデリックな香りをもたたえていました。
当時のボーカリストであるロッド・エヴァンスの甘みと深みのバランスが絶妙な声質は、陰影に富んでいた当時のパープル・サウンドにはまことにぴったりマッチしていると思うのです。
「詩人タリエシンの世界(The Book of Taliesyn)」 1968年
アメリカ(ビルボード)38位 (発売当初の邦題は「ディープ・パープルの華麗なる世界」)
サイケデリックなイントロから鮮やかなオルガン・サウンドを主体として豪快に押しまくる「アンド・ジ・アドレス」、ボレロ風のパートを加えてヘヴィーに、かつドラマティックに迫る「ヘイ・ジョー」、オルガンのクラシカルな響きとブルース・フィーリング、そしてハード・ロックのエッセンスを融合させた「ハード・ロード」「何故ローズマリーは」、ロックンロールの醍醐味が味わえるエネルギッシュな「ハッシュ」「ケンタッキー・ウーマン」、クラシックの要素を大胆に取り込んだ「4月の協奏曲」、アフロ・ビートが独特の雰囲気を醸し出す「影を追って」、ポップな作風の中にサイケデリックな雰囲気を湛える「ワンモアレイニーデイ」「エマレッタ」など、この頃のパープルも名曲を数多く世に送り出しています。
クリームの「アイム・ソー・プラウド」、ビートルズの「ヘルプ」「恋を抱きしめよう」などを独特なほの暗さでアレンジしているところも聴きものです。
「ディープ・パープルⅢ(Deep Purple)」 1969年
アメリカ(ビルボード)162位 (発売当初の邦題は「素晴らしきアート・ロックの世界」)
「ラヴ・ポ-ションNo.9」などのヒットで知られる「サーチャーズ」のクリス・カーティス(drums, vocal)が組んだバンド「ラウンドアバウト」がディープ・パープルの前身です。
カーティスが失踪したため、ふたりのマネージャー(トニー・エドワーズとジョン・コレッタ)と、メンバーだったジョン・ロード、リッチー・ブラックモアの4人が改めて集まり、ロッド・エヴァンス(ex. The Maze)、ニック・シンパー(ex. The Garden)、イアン・ペイス(ex. The Maze)をバンドに加え、1968年3月にバンド名を「ディープ・パープル」と改めたのです。
1968年6月、ディープ・パープルはファースト・アルバムに収録していた「ハッシュ」をシングル・カットしました。「ハッシュ」は同年9月にビルボード4位のヒットを記録、これ以降彼らはニュー・ロックのホープとして活動することになります。
バンドはジョン・ロードの影響でクラシカルな路線を進み、地道に成果を上げるのですが、次第にリッチー・ブラックモアが主導権を握るようになったため、ハード・ロック指向を強めてゆきました。
その結果、ボーカリストがエヴァンスからイアン・ギランに、ベーシストがシンパーからロジャー・グローヴァーに交替し、ディープ・パープルは黄金の第2期に入ってゆくわけです。
左から ジョン・ロード、ニック・シンパー、ロッド・エヴァンス、イアン・ペイス、リッチー・ブラックモア
ディープ・パープルは1976年にいったん解散しますが、再結成した1984年から現在にいたるまで活動を続けています。
デビューから50年が経ったわけですが、第1期はそのうちのわずか2年。
しかし、ぼくの中では強烈な印象が刻まれたままなのです。
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