左から皆木秀樹、宮下博行、河村恭子
今月10日(金)は、岡山セカンド・シンプソンでのライヴでした。
関西屈指のピアニスト・宮下博行さん(from西宮)、クール&ビューティーなヴォーカリスト・河村恭子さん(from宝塚)とのステージでした。たくさんのお客様も素敵な時間を共有していただけたようです。みなさまどうもありがとうございました。
前日に旧知のOさんにピアノの調律をお願いしておいたおかげでピアノが絶好調!弾いている宮下さんもノリノリでした。
実は宮下さんはベーシストとしてステージに上がることもあるので、今回は「ツイン・コントラバス」という、普段あまり見ることのできないシーンが実現したり、ぼくと宮下さんが交替でピアノに座る(正確にはピアノの前の椅子、ですが^^;)、なんて仕掛けや、河村さんのドラマ風語り入りの歌もあったりして、バラエティに富んだ楽しさ満載のステージになりました。
さて、つい最近こんな詩を教わりました。
某SNS上では「小学生が書いた感動的な詩」として広まってしまったみたいですが、かえってこの詩が有名になることにつながったという気もします。
消しゴム まど・みちお
自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが いそいそと けす
そして けすたびにけっきょく
自分がちびていってきえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて
まど・みちおさんは、山口県徳山町(現・周南市)出身の詩人です。その名を知っている方も多いのではないでしょうか。『ぞうさん』(作曲:團伊玖磨)、『やぎさんゆうびん』(作曲:團伊玖磨)、『いちねんせいになったら』(作曲:山本直純)、『ふしぎなポケット』(作曲:渡辺茂)などが広く親しまれていますよね。みんな、知らず知らずのうちにまどさんの作品に接していることと思います。
『いちねんせいになったら』なんて、「友だち100人できるかな」→「100人で食べたいな」→友だち+自分で101人と違うんか~い、などと悪友たちとツッコミあってよく笑ったものです(^^)。※詩に対しての悪口ではありません。あくまで「ネタ」です~(^^;)
「消しゴム」、初めて読んだ時、なんだかちょっと泣けました。
勇気が湧いてくるような、嬉しくなるような、切なくなるような、大きなエネルギーに満ちた詩だと思います。
「いそいそ」というのが良いですね。「うまく消すことでみんなから褒められよう」とか「いいところを見せよう」などという計算や欲にはとらわれず、ただやるべきことを淡々とこなす、というふうに受け取れます。
しかも消す対象は自分に責任のないことばかり。ふつうなら「なぜオレが」なんてグチのひとつも出るところなのに、この消しゴム君は、ただ「いそいそ」と。
消す対象は自分で決めるのかな。やっぱり消しゴムの持ち主の意思がダイレクトに反映されるのでしょうか。
消すたびに自分がちびて行くのは、ちょっぴり悲しいです。なんの報酬も評価も得ることなく、ただただ(人のやりたくない)「消す」という作業に身を削りながら、代償として自分が消えてゆく。。。
でも、消しゴム君は「評価されたい」などという余計な欲はなくて、自分がちびて行きながらも、達成感みたいなものを味わっているのではないでしょうか。いや、そうあって欲しいです。
最後の「のこしておいて」。文章上ではひらがな表記ですが、「残す」ではなくて、「遺す」という字が浮かんできて仕方ありません。
でも、なんて言うんでしょう、単に言葉をうまく使って「人生の一片」を表しただけの詩ではなくて、明日からも心穏やかに頑張りたいという気持ちにさせてくれる、温かみのある作品だと思います。
「人生をより良く過ごすためのヒント」あるいは「幸福が訪れる」的な言葉をひんぱんに見かけます。
もちろんそれらの言葉は万能ではありません。またすべての言葉を消化するのもたいへんなので、まずは自分に必要なことだけを心がけよう、と思っています。
そして、幸せになることというのは決して「お金持ちになる」「よいことが起こる」「災いが来なくなる」式の、物質的満足とか、打算的なものではない、というのがぼくの価値観です。自分の人生の終わりに「満足感」とか「達成感」を味わえればそれでいいや、みたいなところがあるので、「良いことがあるから」なにかを信じる、というのは眉唾くさく思えるのです。
良くないできごとがあっても構わないから、しっかりした信念や正しい価値観を持って心豊かに生きてゆきたいですね。
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今月10日(金)は、岡山セカンド・シンプソンでのライヴでした。
関西屈指のピアニスト・宮下博行さん(from西宮)、クール&ビューティーなヴォーカリスト・河村恭子さん(from宝塚)とのステージでした。たくさんのお客様も素敵な時間を共有していただけたようです。みなさまどうもありがとうございました。
前日に旧知のOさんにピアノの調律をお願いしておいたおかげでピアノが絶好調!弾いている宮下さんもノリノリでした。
実は宮下さんはベーシストとしてステージに上がることもあるので、今回は「ツイン・コントラバス」という、普段あまり見ることのできないシーンが実現したり、ぼくと宮下さんが交替でピアノに座る(正確にはピアノの前の椅子、ですが^^;)、なんて仕掛けや、河村さんのドラマ風語り入りの歌もあったりして、バラエティに富んだ楽しさ満載のステージになりました。
さて、つい最近こんな詩を教わりました。
某SNS上では「小学生が書いた感動的な詩」として広まってしまったみたいですが、かえってこの詩が有名になることにつながったという気もします。
消しゴム まど・みちお
自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが いそいそと けす
そして けすたびにけっきょく
自分がちびていってきえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて
まど・みちおさんは、山口県徳山町(現・周南市)出身の詩人です。その名を知っている方も多いのではないでしょうか。『ぞうさん』(作曲:團伊玖磨)、『やぎさんゆうびん』(作曲:團伊玖磨)、『いちねんせいになったら』(作曲:山本直純)、『ふしぎなポケット』(作曲:渡辺茂)などが広く親しまれていますよね。みんな、知らず知らずのうちにまどさんの作品に接していることと思います。
『いちねんせいになったら』なんて、「友だち100人できるかな」→「100人で食べたいな」→友だち+自分で101人と違うんか~い、などと悪友たちとツッコミあってよく笑ったものです(^^)。※詩に対しての悪口ではありません。あくまで「ネタ」です~(^^;)
「消しゴム」、初めて読んだ時、なんだかちょっと泣けました。
勇気が湧いてくるような、嬉しくなるような、切なくなるような、大きなエネルギーに満ちた詩だと思います。
「いそいそ」というのが良いですね。「うまく消すことでみんなから褒められよう」とか「いいところを見せよう」などという計算や欲にはとらわれず、ただやるべきことを淡々とこなす、というふうに受け取れます。
しかも消す対象は自分に責任のないことばかり。ふつうなら「なぜオレが」なんてグチのひとつも出るところなのに、この消しゴム君は、ただ「いそいそ」と。
消す対象は自分で決めるのかな。やっぱり消しゴムの持ち主の意思がダイレクトに反映されるのでしょうか。
消すたびに自分がちびて行くのは、ちょっぴり悲しいです。なんの報酬も評価も得ることなく、ただただ(人のやりたくない)「消す」という作業に身を削りながら、代償として自分が消えてゆく。。。
でも、消しゴム君は「評価されたい」などという余計な欲はなくて、自分がちびて行きながらも、達成感みたいなものを味わっているのではないでしょうか。いや、そうあって欲しいです。
最後の「のこしておいて」。文章上ではひらがな表記ですが、「残す」ではなくて、「遺す」という字が浮かんできて仕方ありません。
でも、なんて言うんでしょう、単に言葉をうまく使って「人生の一片」を表しただけの詩ではなくて、明日からも心穏やかに頑張りたいという気持ちにさせてくれる、温かみのある作品だと思います。
「人生をより良く過ごすためのヒント」あるいは「幸福が訪れる」的な言葉をひんぱんに見かけます。
もちろんそれらの言葉は万能ではありません。またすべての言葉を消化するのもたいへんなので、まずは自分に必要なことだけを心がけよう、と思っています。
そして、幸せになることというのは決して「お金持ちになる」「よいことが起こる」「災いが来なくなる」式の、物質的満足とか、打算的なものではない、というのがぼくの価値観です。自分の人生の終わりに「満足感」とか「達成感」を味わえればそれでいいや、みたいなところがあるので、「良いことがあるから」なにかを信じる、というのは眉唾くさく思えるのです。
良くないできごとがあっても構わないから、しっかりした信念や正しい価値観を持って心豊かに生きてゆきたいですね。
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