貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

健康の要因、振り返り!「健康十訓」

2022-08-21 12:18:33 | 日記
令和4年8月21日(日)
 大慈寺、もう一つの興味を引いたもの。
 「健康十訓」。

「健康十訓」とは、
1、少肉多菜(肉を少なく、野菜を多く)
2、少塩多酢(塩を少なく、酢を多く)
3、少糖多果(砂糖を少なく、果物を多く)
4、少食多噛(小食で、よく噛かむ)
5、少衣多浴(薄着にして、陽にあたる)
6、少言多行(口先よりも、行動本位で)
7、少欲多施(欲は少なく、他に尽くす)
8、少憂多眠(思い悩まず、よく眠る)
9、少車多歩(車に乗るより、よく歩く)
10、少憤多笑(怒らず、よく笑う)
ということ。
 1の「少肉多菜」は実行していないかな?
 魚と肉、必ず食べているので、
「多肉多菜」かな?
 後は、最近実行しているかな?
 自分の健康の要因となることの
振り返りの参考になったかな?
 有り難し!

  


可愛い、小僧碑!

2022-08-20 11:24:52 | 日記
令和4年8月20日(土)
須賀川市: 大 慈 寺     
 また、須賀川市に入り、大慈寺へ。
 ここもぐるぐる2回ほど回って到着。
 一方通行の道ばかりが一因?
 
 芭蕉の句は、

「閑かさや 
   岩にしみ入る  
      蟬の聲」
 
 その他、目にとまったのが
「健康十訓」と「小僧碑」。
 先ず、小僧碑。
その2



その4




ほんと可愛い!
一人ずつ頭を撫でてあげ、祈る!
続く!

波風 寄せぬ日ぞなき!

2022-08-19 15:26:01 | 日記
令和4年8月19日(金)
第26番 室戸市: 金剛頂寺       
 大同二年(807)、平城天皇の勅願により
弘法大師が開基。

密教道場として七堂伽藍が建立された。

 山門の正面に建つ本堂には、
大師が一刀三礼を尽くして刻んだ
薬師如来が安置されている。
 この尊像は、大師が堂を構えると同時に
自ら本堂の扉を開けて堂内に入り、                     厨子に鎮座したと伝わる。
 その当時は、金剛定寺を呼ばれていたが、                     嵯峨天皇が金剛頂寺とした勅願を奉納され                     たことから寺号を改めた。

 本寺への参道も男厄除け、女厄除け階段
があり、今日は朝から階段の昇降が多く、
右足がパンパンに張り気味!

 次の淳和天皇も勅願所として尊信したが、
文明十一年(1479)、
火災のために堂宇を焼失。
 すぐに再興し、
文明十八年(1486)に
金堂が建立された際には、
根来寺学匠道瑜阿闍梨が来寺して、
盛大な曼荼羅供養が行われた。
 長宗我部氏や山内氏など代々の土佐藩主から
も篤い信仰を集め、立派な伽藍が整えられる。
 しかし、明治三十二年(1899)には
再度の火災に遭い、全焼。
 現在の堂宇はそれ以降に再建されたもの。

 また、寺内には、寄生植物ヤッコソウも
自生しており、これは県の天然記念物に
指定されている。



あの辺は つく羽山哉?祈念平和!!!

2022-08-18 10:46:02 | 日記
令和4年8月18日(木)
須賀川市 長 松 院   
   
 長松院は文明年間 (1467~ 1487)に、
当時岩崎郡一帯を支配していた
須賀川城主二階堂山城守行詮の室が
開基となり、麟山禅師が開山した
曹洞宗の寺院。

 長禄寺の末寺で、
当初は牛袋村に開かれ、
慶長18年(1613)に現地へ移る。                  
 境内には松尾芭蕉と縁が深か った
相楽等窮の墓や

等躬の句碑

「あの辺は 
    つく羽山哉 
        炭けふり」
がある。
 新たに、平和記念塔が造られている。
 
 宗教にしろイデオロギーにしろ、
経済にしろ、兎に角均衡が保たれること.
 調和、バランスの保持しか、
解決の道なし。
 戦争を回避する知恵と優しさを、
全ての国のリーダーが持たんことを
切望するのみ。
 平らかに、平らかに!
    穏やかに、穏やかに!

 地球も人類も生滅するひとつ。
 全ての生存するもの、その祖先。
 見えないものにも生存への気配りを
と祈るのみ・・・!


楫取という地蔵山、信仰篤し!

2022-08-17 11:13:37 | 日記
令和4年8月17日(水)
第25番 室戸市: 津照(しんしょう)寺  
 駐車場が不明瞭で散々迷う。
 二度目の所で、犬を散歩している人に
聞く。
「どこでも大丈夫ですよ。」
と言われる。
 迷惑をかけない場所を選んで駐車する。

 階段が狭く急なので、
本堂に着いた時は足はパンパン、
息づかいも荒くなっていた。
 初めて!

 本寺は、
大同二年(807)弘法大師により開基。

 大師が修行中に山の形が地蔵菩薩の持つ                     宝珠に似ていることから霊地として感得。 
 漁民の安全と豊漁を祈り、
延命地蔵菩薩を刻み、安置。
 本尊は楫取(かじとり)地蔵とも呼ばれ、
地元の信仰を集める。

 戦国時代に土佐国を支配した長宗我部氏が、
江戸時代には藩主・山内氏が深く帰依した。
 急な階段は百二十五段あるという。
 その途中に鐘楼門があるので、
余計だったかも知れない。