☆近所の<MOVIX昭島>や<ワーナーマイカル日の出>・<ワーナーマイカル武蔵野ミュー>で公開されている作品は軒並み観てしまったか、その他のは、あまりにも下らなさそうなので、<立川シネマシティ>まで、面白そうなのを観に行った。
◇
・・・ジョージ・クルー二ー演じる「リストラ宣告人」・ライアンは、不況下の企業に請われて、アメリカ中を飛び回っていた。
旅慣れたライアンは、飛行機の中や空港こそが自分の家とばかりに、その旅支度の整え方やチケットの受け渡しも、職人のような動きで無駄がない。
人間関係も「出張貴族」てな感じで、同じような境遇のキャリアウーマンと後腐れのない関係を楽しんでいる。
家族からの連絡も、鬱陶しがるような奔放さ。
この辺の性格設定は、ジョージ・クルーニーに絶妙に合っている。
だが、そんなライアンにも、やや子供染みた目標があった。
1000万マイレージを貯めて、航空会社の殿堂入りをする夢だ。
しかし、そんな折、大学を主席で卒業してきた新入社員のナタリーが、会社の合理化をぶち上げた。
遠くの町にまで出張し、対面してリストラを通告するよりも、このネット全盛時代、テレビ電話でクビを言い渡す方が出張費削減になるというのだ。
面白いのが、ドライな人間関係、わずらわしい所有物と距離を置いていたライアンが、そのナタリーに、「人に解雇を告げることは、そんな画面を通して言うべきことじゃない」といった理由で反対する矛盾であり、
また、ライアンの、相手を唯一無二のものとして見ない恋愛を非難するナタリーが、非情なテレビ電話による契約解除通告システムを発案する皮肉である。
ナタリー役(アナ・ケンドリック)は、大学を出たばかりの理論優先の、仕事も恋も理念ありきでチャキチャキしている初々しさが可愛かった^^
◇
この作品は、しかし、ライアンの「都合のいい関係」の相手となるアレックス(ヴェラ・ファーミガ)の「いい女」っぷりが良かった。
この人、『エスター』のお母さん役、『縞模様のパジャマの少年』のお母さん役とは全く違った「お母さん役」を見せてくれている(魅せてくれている)。
曲線で構成された顔、そして、ボディライン、後ろからの寸止めショットのオッパイ、最高である。
この作品の優れた点は、ライアン、ナタリー、アレックス、ライアンの上司、リストラされた人々の表情を、やや長いカットで見せてくれる点だ。
個々の役者が、セリフのないショットで、絶妙の「間」の演技を見せてくれる。
ナタリーに、恋愛のことで説教されたライアンが、アレックスを、自分の妹の結婚式のパートナーに誘う。
アレックスの表情がいい。
いかにも、自らを「都合のいい女」と言いつつ、実はライアンとの深いつきあいを求めているという嬉しいような表情をするのだ。
ライアンも、自分の母校にアレックスを連れて行ったりして、あたかも、この物語の終着点は、本当の人間関係を築き上げることに収斂しそうだった。
だが、出張のなくなったライアンが、寂しさに耐えかねアレックスの家を訪ねると、そこにはアレックスの家族がいたのだった。
こうなると、男は情けない・・・。
情けないけど、それは、多くの男の姿でもあり、そのペーソスに共感せざるを得ない。
◇
私は独身貴族を気取るつもりは更々なく、しかし、女には精神的な自立を求める方である。
だから、女とつきあう時でも、その前段階で、甘ったるい依存から遠い女であることを自分なりに確認する。
だが、今までに知り合ったどんな女も、結局は、べったりな関係を指向していたことがすぐに分かる。
私には、やらなくちゃならないことがあり、女の家に泊まるといっても、女が寝静まった午前3,4時には女の部屋を抜け出す。
別れを切り出され、「私は、あなたが部屋を抜け出すときにいつも起きてたんだよ!」とか言われても困っちゃう。
でも、その折々の女は必要だから、別れを切り出されると、私はいつも情けなく、腑抜けになる。
私は、ジョージ・クルーニーの姿を見ながら、そんなことを思い出した。
◇
最終的に、ナタリーのやり方は机上の空論の合理化でもあり、崩壊し、ライアンの出張行脚は続くことになる。
この作品は、安易な教訓を残さない。
ライアンは、アレックスとの関係で、その顔の相を著しく変えつつも、その生活は変わらないのだった。
・・・物語の終わり間近で、ライアンは念願の1000万マイレージを達成する。
ここで「オチつけマン」として、航空会社の名誉機長役のサム・エリオットが出てくるのだが、このシーンが、自分でも何だか分からないけど、妙に感動した。
(2010/04/02)
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・・・ジョージ・クルー二ー演じる「リストラ宣告人」・ライアンは、不況下の企業に請われて、アメリカ中を飛び回っていた。
旅慣れたライアンは、飛行機の中や空港こそが自分の家とばかりに、その旅支度の整え方やチケットの受け渡しも、職人のような動きで無駄がない。
人間関係も「出張貴族」てな感じで、同じような境遇のキャリアウーマンと後腐れのない関係を楽しんでいる。
家族からの連絡も、鬱陶しがるような奔放さ。
この辺の性格設定は、ジョージ・クルーニーに絶妙に合っている。
だが、そんなライアンにも、やや子供染みた目標があった。
1000万マイレージを貯めて、航空会社の殿堂入りをする夢だ。
しかし、そんな折、大学を主席で卒業してきた新入社員のナタリーが、会社の合理化をぶち上げた。
遠くの町にまで出張し、対面してリストラを通告するよりも、このネット全盛時代、テレビ電話でクビを言い渡す方が出張費削減になるというのだ。
面白いのが、ドライな人間関係、わずらわしい所有物と距離を置いていたライアンが、そのナタリーに、「人に解雇を告げることは、そんな画面を通して言うべきことじゃない」といった理由で反対する矛盾であり、
また、ライアンの、相手を唯一無二のものとして見ない恋愛を非難するナタリーが、非情なテレビ電話による契約解除通告システムを発案する皮肉である。
ナタリー役(アナ・ケンドリック)は、大学を出たばかりの理論優先の、仕事も恋も理念ありきでチャキチャキしている初々しさが可愛かった^^
◇
この作品は、しかし、ライアンの「都合のいい関係」の相手となるアレックス(ヴェラ・ファーミガ)の「いい女」っぷりが良かった。
この人、『エスター』のお母さん役、『縞模様のパジャマの少年』のお母さん役とは全く違った「お母さん役」を見せてくれている(魅せてくれている)。
曲線で構成された顔、そして、ボディライン、後ろからの寸止めショットのオッパイ、最高である。
この作品の優れた点は、ライアン、ナタリー、アレックス、ライアンの上司、リストラされた人々の表情を、やや長いカットで見せてくれる点だ。
個々の役者が、セリフのないショットで、絶妙の「間」の演技を見せてくれる。
ナタリーに、恋愛のことで説教されたライアンが、アレックスを、自分の妹の結婚式のパートナーに誘う。
アレックスの表情がいい。
いかにも、自らを「都合のいい女」と言いつつ、実はライアンとの深いつきあいを求めているという嬉しいような表情をするのだ。
ライアンも、自分の母校にアレックスを連れて行ったりして、あたかも、この物語の終着点は、本当の人間関係を築き上げることに収斂しそうだった。
だが、出張のなくなったライアンが、寂しさに耐えかねアレックスの家を訪ねると、そこにはアレックスの家族がいたのだった。
こうなると、男は情けない・・・。
情けないけど、それは、多くの男の姿でもあり、そのペーソスに共感せざるを得ない。
◇
私は独身貴族を気取るつもりは更々なく、しかし、女には精神的な自立を求める方である。
だから、女とつきあう時でも、その前段階で、甘ったるい依存から遠い女であることを自分なりに確認する。
だが、今までに知り合ったどんな女も、結局は、べったりな関係を指向していたことがすぐに分かる。
私には、やらなくちゃならないことがあり、女の家に泊まるといっても、女が寝静まった午前3,4時には女の部屋を抜け出す。
別れを切り出され、「私は、あなたが部屋を抜け出すときにいつも起きてたんだよ!」とか言われても困っちゃう。
でも、その折々の女は必要だから、別れを切り出されると、私はいつも情けなく、腑抜けになる。
私は、ジョージ・クルーニーの姿を見ながら、そんなことを思い出した。
◇
最終的に、ナタリーのやり方は机上の空論の合理化でもあり、崩壊し、ライアンの出張行脚は続くことになる。
この作品は、安易な教訓を残さない。
ライアンは、アレックスとの関係で、その顔の相を著しく変えつつも、その生活は変わらないのだった。
・・・物語の終わり間近で、ライアンは念願の1000万マイレージを達成する。
ここで「オチつけマン」として、航空会社の名誉機長役のサム・エリオットが出てくるのだが、このシーンが、自分でも何だか分からないけど、妙に感動した。
(2010/04/02)