『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[石原慎太郎の話]

2010-04-14 09:21:16 | 保守の一考
平沼新党の立ち上げや、日教組批判で、ちょいと石原慎太郎が、この一週間、ニュースで目についた。

 上記の前者においては賛成は出来ず、後者の話題については「禿しく同意」しよう。

 てな訳で、私が、2006/12/05に書いた石原慎太郎についての文章を再掲する。

   ◇

  [「腐女子」よ怒れ! 石原慎太郎に!!^^](2006/12/05)

▼毎月最初の月曜日、産経新聞の一面には『日本よ』と題して、石原慎太郎都知事が時事問題を語る連載をしている。

 昨日は<情報氾濫のもたらすもの>と題して、携帯・インターネット社会の弊害について書いていた。

 この人は、やはり文章がうまい。

 ハッとするような表現で、自分の主張したい事のニュアンスを読者の心に見事に転移させる。

 以下は、宮台真司氏(※1)の分析を、石原氏が咀嚼した文だ。

 <・・・そもそも情報なるものは、現実を希薄にしてしまう。第一に、情報は勘違いを難しくしてしまう。昔は勘違いだらけだったからこそ夢を追い試行錯誤があった。情報に依って、「どうせ現実は‐‐‐」という容易な断念は人間の想像力を減退させてしまう、と。
 第二は、情報化は規範の輪郭を曖昧にしてしまう、と。昔は良いこと悪いことの境目がはっきりしていたが、今は昔は有り得なかった情報によって、例えば性愛に関して言えば、スワッピングや乱交などという風俗が晒しだされ禁忌なるものが消滅してしまい、それを侵して超えるといった姿勢や行為の濃度が希薄となり人間の活力の低減に繋がっていく。
 第三には、現実を入れ替え可能にする、と。かけ替えない体験だと思っていたことが、「そんなものはよくあることだ」といなされ、素晴らしい女性だと思っていたのに「よくある女だよ」と水をかけられてしまう。
 つまり自分の感性や情念にのっとった決断や選択の、自らの人生における比重がごく軽いものにされてしまうことで、生きるということの中での、人間としての積極性が殺がれてしまう。これは人間全体にとっての損失以外の何ものでもありはしない。・・・>

 さすがにうまい文章である。

 御意、である。

 私は、ここのところ延々と、一年近く、「瑣末な情報に流されるヤカラども」と対していたような気がする。

 石原慎太郎言うところの『自分の感性や情念にのっとった決断や選択』こそが、「思想」であり「哲学」だよ、と言い続けていた。

 「情報」なんてものは、【大枠】さえしっかりと把握しておけば、それ程踏み外した結果を導き出したりはしないものだ。

 溢れかえる信憑性のない情報に惑わされて、自分の「道」を右往左往させ、アイデンティティを喪失させていく見苦しさをこそ、私は「悪」とする。

 『かけ替えない体験だと思っていたことが、「そんなものはよくあることだ」といなされ、素晴らしい女性だと思っていたのに「よくある女だよ」と水をかけられてしまう』・・・、

 これは、「2ちゃんねる」でのレス応酬に対しての石原慎太郎的な表現だろう。

 うまく、確かに上品な表現である。

 アイデンティティに「信念」のない人間は、他人の些細な一言で、世界観を180度反転させる。

 事件を構成する100の因子に「正しさ」を感じても、いつしか、それを常態と感じ、新たに加わった1のマイナス因子で、それまで信じていたモノに疑惑を生じさせるのだ。

 (※1)これは、何度もネット上で書いたが、宮台氏は、十年ほど前、私の書いた文章を誉めてくれたことがあった。

 それ以来、保守論壇では評判の悪い宮台氏だが、私は、批判する気持ちなど毛頭ない^^;

▼さて、今回、石原慎太郎は、何故、「情報の氾濫」について書いたか?

 まあ、それ以前から問題視していたのだろうが、直接の引き金としては、先月、フジテレビで放送された「たけしの教育6時間スペシャル」での久米宏(※2)との討論に端を発するだろう。

 この番組の中で、

 携帯害悪論を語る石原氏に、久米氏が、

「もう、そこに存在しちゃってる物を、社会を変える立場であるあなたが否定してばかりではしょうがない。現状に即応した対策を発すべきだ」と言う趣旨の正論を言った。

 今回の『日本よ』で石原氏は、その時に言い残したことをちゃんと言っておきたかったのだろう。

 携帯電話が、子供に限らず、あらゆる人間のイマジネーションを破壊している、と言う石原氏の趣旨は分かるのである。

 しかし、なおも、久米氏の言葉は有効で、『「駄目だ、駄目だ」言っている石原氏ではしょうがない』のである。

 携帯が人類の成長を阻害するのは分かったが、石原氏は、何ら対策を講じようとしない。
携帯が悪い。

 じゃあ、『禁携帯法』を発布するのか? と言うと、そんなことは出来ようはずがないし、出来てしまったら暴動が起きよう。

 石原氏と久米氏の会話は、永遠に平行線を辿るだろう・・・。

 (※2)久米宏は、言わずもがなの「左翼」筆頭である。もち、私の「敵」である。

 だが、『ニュースステーション』のキャスターを辞めて、その後、いまいちテレビで活躍できず、しばらくテレビと言うか社会を客観的に見つめていただろう久米氏の言葉には、ちょっと共感できる点も多々あるのだ。

 ただ、くだんの「たけしの教育6時間スペシャル」の中で、「時代は進歩していく、これはしょうがない」と言ったのは100%間違いで、左翼に毒された言葉だ。

 時代は「変化」はしていく。

 しかし、「変化」はけして「進歩」ではない。

 そういった認識が、左翼になく、「時代は進歩していく」と言う標語で思考停止してしまうのだ。

 井筒和幸監督がよく映画評論で『この作品は、「反権力」じゃないからダメだ』などとのたまっていたが、これは、「権力=悪」と言う標語で思考停止してしまう左翼虜囚だからこその思慮のない言葉だ。

 いい権力だってあろうよ・・・。

 そうそう、左翼にとっての「中国共産党一党独裁政権」やら「金正日体制」やらさあ^^;

▼石原慎太郎の今月の『日本よ』だが、その最大の問題点は、以下の一文にある。

 <・・・子供たちの所持している携帯電話には規制の無いまま、売春や変質者の嗜好に応えて容易に多額の金を手にする手引きまでが盛り込まれている。それらの情報は風俗の紊乱にとどまらず、若い世代の人間たちの人間としての本質を狂わせてしまいかねない。こうした状況は性愛に関していえば「体は手に入るけれど心が手に入らない」といった根源的な喪失を生み出してしまう。今時の若い女の子たちが「腐女子」などと呼ばれるような徴候は、喪失以外の何ものでもありはしない。・・・>

 いい文章だよ。

 だが!

 おーい! 誰か、石原の慎ちゃんに【腐女子】という言葉の正しい意味を教えてやってくれぇぇええ!!!

 産経新聞は、全国紙だべ?

 編集者は、何で、この誤った言葉の使い方を、全国紙の一面でそのまま通しちゃったんだよ!

   【これでは、あたかも「腐女子」が、
    援助交際に代表されるような行為をするタイプの女の子のようではないか!】

 「腐女子」ってのは、そう言ったベクトルの女の子のことを言うのではない。

 どっちかと言うと、いわゆる「オタク」の女の子に冠せられる言葉なのである。

  (Wikipedia『腐女子』の項より)
<・・・腐女子は漫画・アニメ・他の二次元作品、時には芸能などの三次元をして、男性キャラ同士が「恋愛していたら」という妄想で楽しむ同人女性であり、日本の漫画・アニメ市場の有力な購買層の一つである。
 ボーイズラブ(BL)というジャンル自体が普及し、BL市場が発展したことにより、原作の漫画・アニメ・ゲーム自体がボーイズラブである作品を愛好する女性を含む呼称となった。
 ・・・この呼び名は「腐女子」自身が自嘲の意味を込めて言い始めた言葉だが、その呼び名が広く知れ渡った現在では、オタク女性全般に対する呼称としても使われる事が多い。
 とくにTVなどのメディアや所謂オタクとは呼ばれない人には、この使い方の方が浸透している。・・・>

 私は、アダルトビデオなどで見る援助交際女子高生は楽しんでみるが、実際、実社会で、自分がそんな若い娘を目の前にしたら、いささか、まともなつきあいが出来るとは思えない。

 しかし、【夢見る少女】の亜種である【腐女子】だったら、私は、全く問題なく交際し、その娘に「大人の階段」を上らせてあげられると思う^^;

   ♪大人の階段 の~ぼ~る~
     ♪君はまだ シンデレラさぁ~
    ♪幸せは誰かがきっと~
       ♪運んでくれると信じてるね~

 石原慎太郎の「腐女子」認識は、腐女子(オタク婦女子)に対し、非常に失礼である。

 産経新聞は、訂正記事を出さねばなるまい。

 さあ、美しくも「腐女子」に堕ちた天使たちよ。

 我がもとへ、いざなわれよ・・・。

 再び、天へ・・・。

                                                 (2006/12/05)

   ◇

 一昨々年に死んだ我が父親は、ゼネコン畑で活躍してきた男なので、石原慎太郎と何度も会っている。

                                                 (2010/04/14)

[不朽の名作『珍遊記』の続編が!!]

2010-04-13 09:53:47 | 物語の感想
☆世に名作マンガは数あれど、私がオールタイムBEST10に常に入れている作品に『珍遊記(漫☆画太郎)』がある。

 あの、『ウォーリー』のように緻密に描きこまれた下手だけどうまい絵と、コピーした手抜きのような、それでいて深みのあるチンポ丸出しの絵の両極端が大好きだった。

 物語も、永遠に終わらない文化祭の前夜祭のようなワクワク感がたまらなかった。

 今回、18年振りに、その続編が描かれていて、現在2巻まで出ていて、私は貪り読んだ。

 面白い。

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に対しての『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』のような、豪快な実験的な手法を娯楽として成立させていた。

 『珍遊記』で、延々と繰り広げられた物語と平行させて、新しい物語を生み出していた。

 あの、愛すべきキャラクターであるガンスなどが、一反木綿のように空中散歩している姿が、18年の時の経過を全く感じさせないことに、私はえらく感動した。

 また、この作品では、漫☆画太郎の画業20周年(か分からんけど^^;)を記念するかのごとく、水島新二の高校野球漫画の集大成『大甲子園』よろしく、漫☆画太郎作品の主人公たちが続々と登場する。

 あの可愛い娘々(にゃんにゃん)も、相変わらずの可愛さで登場しているゾ。

     ・・・『まんゆうき』より

 この娘々(にゃんにゃん)だが、『Wikipedia』に拠ると、「萌えキャラ」のオリジンだそうだ。

 また、『Wikipedia』に拠ると、こうある。

 <・・・宮崎駿のファンだったこともあり、スタジオジブリの採用試験を受けるも通らず、その腹いせから、勢い任せに描いた落書きがGAGキング大賞を受賞。・・・>

 にわかに信じられないが、『珍遊記』の、限りなく現実の時間経過と近くなっていった「天狗の鼻おれ!!」シリーズなどでの、作劇上の空間の使い方を考えると、私は、漫☆画太郎が宮崎駿のファンだと言うことをよーく理解出来るのである。

   ・・・『珍遊記』より

 ・・・『珍遊記2』は永遠に続いて欲しい^^

                                         (2010/04/13)

[ウザイとしか評することの出来ない韓国人]

2010-04-13 07:57:51 | 保守の一考
☆短信でゴメン。

 夜勤明けで疲れているんだ。

 2月に、韓国の議会で、こんな決議が出されたのを、今朝、知りました。

   《韓国では導入 日本に実現うながす「戦略」 外国人参政権問題(産経 2010/04/13 00:47)》

 <韓国国会本会議で2006年2月、在日コリアンに対する地方参政権付与を日本に求める決議案が圧倒的な賛成多数で可決された。・・・>

 ・・・・、・・・・・。

 うざい!! 内政干渉すんなよ!!!

 何で、南朝鮮人は、こんな恥知らずな決議を出来るんだろう・・・。

 そして、おそらく、きっと、鳩山は、何でこんな決議に動揺しちゃうのだろう・・・。

 でも、日本人にとって、時代は、朝鮮人よりも、中国人への脅威(狂威)に移行しているんだけどね。

                                         (2010/04/13)

[映画『第9地区』を観た]

2010-04-10 15:37:39 | 物語の感想
☆母親が暇そうだったので、一緒に観に行ったのだが、70歳近い母親なれど、かなり夢中で観ていました。

 私も、「こりゃ、傑作だなあ^^」などと思いつつ、興味深く見た。

 この作品の魅力は何なんだろう?

 先ずは、ヨハネスブルグと言う、作り手の通(つう)な選択による都市上空に浮いている、巨大UFOのビジュアルイメージがいい。

 古くは『幼年期の終わり』、最近では、『インディペンデンス・デイ』に登場したもののような、超巨大な未知の物体のイメージだ。

 それも、工業的と言うか、貨物的なデザインであるのが斬新。

 そして、その、浮くことは出来ているけれど移動が困難になったUFOの中から、人類によって地上に下ろされた数十万人の異星人の造型・・・、

 地球人が見ると、生理的に受けつけないような「エビ」的な姿なのだが、物語がはじまってすぐに、惜しげもなく、その容姿が拝める。

 しかも、その生態は、「宇宙難民」であり、やや野蛮でありつつも、地球人の貧民層と変わらない暇の持て余しかたなどをしている。

 フラフラしていて、ゴミの山を漁って、食える物は食うし、着れる物は身につけるのである。

 なんて言うか、その地球社会へスッポリとはまっている姿が、異形な者であるが故に、『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』風の藤子不二雄のような世界を形成しているのだ。

 物語の展開はドキュメントタッチで、ヨハネスブルグのスラムの風景をリアルに捉え、そこでの人権派の運動や、ギャングの暴力、軍や政府の横暴を淡々と描いていく。

 日本人が想像しやすいイメージとしては、フィリピンのゴミの山を巡る人間模様のようだ。

 その映像の背景には、エビ星人の異形があり、普通に歩いてたりして、やや荒んだ生活をいとなんでいるのである。

 あまりにも、丁寧に世界が描かれているので、私は文芸ドラマでも見ているかのような退屈ささえ、途中で感じるほどだった。

   ◇

 エビ星人の難民キャンプが、あまりにも周囲との軋轢を生むので、エビ星人170万人を、他の土地に移動させようとするのが、超国家機関MNUの立ち退き依頼責任者のヴィカスの仕事だ。

 一個小隊の警護のもと、ヴィカスは、一軒一軒、エビ星人の小屋を回り、移住許諾の書類にサインを貰っていこうとする。

 まあ、もうすぐ南アフリカもワールドカップだし、エビ星人は、オリンピックのときの、北京での物乞いの方々や、シドニーでのアボリジニのように立ち退きを迫られるわけだ^^;

 そこでは、一軒ごとに、ひと悶着が起こり、エビ星人の、危険さと無邪気さと言う「人間臭さ」が描かれる。

 ・・・で、とある事件が起こり、人類の代表として活躍していたヴィカスが、人類の敵となってしまい、その逃避行で、更に、このエビ星人がいる世界の構造があからさまになっていくのである。

 ヴィカスは終いには、エビ星人の一人とコンビを組む。

 この2人での活躍など、バディムービーである。

 また、そのエビ星人・クリストファー(だったっけ?)は、エビ星人の中でもインテリで、なんか妙に老成した優しさみたいのが感じられ、エビの外見でありながら、私など、妙に愛着を感じるのだった。

 その息子との関係も温かい。

 そして、後半は、徹底的なアクション映画である。

 今年のアカデミー賞の有力候補であった『アバター』が作品賞を取れなかったのは、この作品と票が割れ、傾向の違う『ハートロッカー』に票が片寄ったからであろう。

 さりとて、やや、エンターテイメント寄りの『第9地区』のアクションだが、そこには、『ハートロッカー』的なクールな視点も内包されており、リアリティが厳然とあるし、

 エビ星人の兵器のギミックには、「トランスフォーマー」的な面白さもある。

 何と言おうか、宇宙的なSF作品でありつつも、ヨハネスブルグと言う一都市を丹念に描いたが故に、そのテーマ的な懐の深さが非常に広がったと言う稀有な作品である。

 例えば、クリストファーが操作する司令船のディスプレイの「科学の文法」一つ考えても、そこには異星人の文明が垣間見られるようではないか?

   ◇

 また、『マッドマックス2』以来、久し振りに、キャットフードを食べる主人公を見れたのも嬉しかったし、

 エビ星人の好物の「猫缶」を介した物々交換も面白いし、エビ星人相手に地球人の行なう「猫缶詐欺」と言うものがあるのも面白かった。

 それがリアルに感じられる世界観の構築に感心した。

 ただ、不思議と宗教性は薄かったね。

                                          (2010/04/11)

[映画『シャッターアイランド』を観た]

2010-04-09 19:18:49 | 物語の感想
☆忙しいので、短い感想です、スンマソン。

 私は、この作品の「中くらいの謎の構造」を、あまりにも煽るかのような宣伝のやり方に、やや不満を抱きながら観た。

 観る前から、監督がスコセッシである限りにおいて、あまりにも非現実的な物理トリックはなかろうと思っていたからだ。

 その、あまりにも大げさな予告編を観て、

 私は、ああ、これは『シックス・センス(シャマラン監督)』か、最近では『パッセンジャー(アン・ハサウェイ主演)』・・・、もしくは、『エンゼルハート(ミッキー・ローク主演)』だな・・・、と思っていたら、結果、やや、『トータル・リコール(バーホーベン監督)』であった^^;

 私は、謎の数々が物理的に解決されるのを期待していたのだが、その精神的な解決に、物足りなさを感じた。

 物語の途中、私は、この隔離された凶悪精神犯罪者の島<シャッターアイランド>の、管理側と管理される側が反対の立場になっていたならば、驚天動地の大トリックだな、などと思っていたのだが、そんなことはなかった。

 ・・・と、この「大トリック(↑)」、ミステリ作家がパクる場合は、私に一報を!!

 監督がスコセッシなので、重厚な映像や舞台美術、個々の役者の演技の引き出し方など、本当に素晴らしかった。

 だから、前半の、不条理な謎の目白押しの展開など、ワクワクしながら見た。

 <シャッターアイランド>の隅から隅までを、FBI連邦捜査官テディ(デカプリオ)が捜査しまくるのも面白かった。

 そこに、この作品を貶すことの出来ない大きな魅力がある。

 しかし、名監督ゆえに、地に足の着いた物語となり、その、想像の飛躍の欠如が、作品評価上、物足りなかった。

 でも、『トータル・リコール』のように、シュワちゃんよろしくレオ様に物語を引き寄せていたら、スコセッシは、自分が監督する必要を感じなかったんだろうな。

 デカプリオの奥さん役のミシェル・ウィリアムズは可愛いなぁ^^

 それから、確かに、デカプリオが、奥さんからプレゼントされた、あのネクタイは趣味が悪い!

 でも、奥さんのワンピースも、同じようなデザインでした^^;

 ラストの救いようのなさは、『クヒオ大佐』(クリック!)を思い出しました^^;

                                         (2010/04/09)

[『ダム・ファッカー DX-Ⅱ (ダム巡り)<埼玉/有馬ダム篇>』]

2010-04-08 21:11:17 | みちのく西松建設ダム巡り
☆「ダム・ファッカー」稼業に終わりはない・・・。

          

 ちょっと風邪気味なのだが、ダム巡りに赴く。

 「ダム・ファッカー3号」こと彼女(ダム・ガール)を八王子でピックアップし、北へ。

 途中、羽村の100円ショップ「ダイソー」で、埼玉の地図と、その隣りのスーパーで食い物を買う。

     ・・・ピリ辛バッファローポテトフライ(酒が欲しくなる旨さ)

 青梅市から飯能市へ抜ける。

 ここには、妹が住んでいるので、預けてある赤ちゃんネコの様子を見ようと寄ったのだが、不在であった。

     ・・・生まれたてのホヤホヤちゃん

 名栗渓谷に沿って、有馬ダムを目指す。

     ・・・(※1)

 途中、こんなのがありました。

     ・・・クジラのモニュメント

 で、あっさりと、有馬ダムに到着!

     

 管理所に行くと、道を挟んだ反対側の花壇を手入れしていたお姉さんが「こんにちわ!」と歩いてきた。

 女性の管理人さんらしい。

 ダムカードを頂く。

 ダムカードを配布するのは、国土交通省及び独立行政法人水資源機構が管理するダムであったが、前回の山梨県管理の<大門ダム>もそうだったが、埼玉県営ダムでも配布してもらえ、有馬ダムは埼玉県管理ダムである。

 私の勝手なイメージだが、ダムカードが貰えるロックフィルダムは珍しいと思った。

 私に無理矢理連れて来られたダム・ガールだが、ダムカードなど要らないと思ったが、「私も貰っておく」とのことだった^^;

     

 しばし、湖面と、遠くの山々を眺めながら、時を過ごす。

   ◇

 さて、次は秩父(ちちぶ)に進む。

 どうせ、山道に入るに決まっているので、その時は彼女の乳部(ちちぶ)を揉もうとも思った。

 ・・・遠くの山頂に観音様の像が見える。(※2)

 ・・・で、埼玉県道395号南川上名栗線に入ると、案の定、山道だった。

     

 ダム・ガールのおっぱいを鷲掴みにしようかなと思ったが、何となく、彼女に「鬱」の気配があったのでやめた。

 何で女は、多かれ少なかれ精神的に浮き沈みがあるのでしょうか・・・^^;

   ◇

 上記の(※1)と(※2)の写真をよく見ると、画面の左側に、なんかのマーク(オレンジと緑)がフロントガラスに映っている。

 これは、私が会員として在籍している<日本教育再生機構>の会員カードがキャビネに置かれていて映り込んでいるだけである、あしからず。

 なお、最近、日本教育再生機構の代表委員の方から、その著書や講演録(CD)を頂いたので、坂本龍馬の有名な、姉・乙女に宛てた「エヘンの手紙」のパロディ風に報告しておく(内容の感想は近日^^)。

 <最近は天下一の神道学者・松浦光修という大先生に多くを教わり、ことのほか、目をかけて頂き、「弟子」とは言えなくも、まあ、いざと言うときには、師のためには、「一砲台」になれると、すこし「エヘン顔」して健やかにおります。達人(松浦光修)の見る目は大したものだとか、徒然草にも書かれております。なおエヘンエヘン、かしこ。>

     

 実は、彼女に対し、退屈かもしれないが、松浦講演録『歴史から知る日本の心 次世代につなぐ規範意識』を車内で流していたら、途中から夢中になって聞いていました^^

                                         (2010/04/08)

[『少年ジャンプ』話・千夜一夜/その5「マンガの喫煙シーン」]

2010-04-07 11:31:41 | 物語の感想
☆(第十四夜・タバコの扱い方)

 ここ二週間ほどで、『NARUTO』の既刊50巻を再読した。

 面白い。

 『ONE PIECE』とともに、現在の少年ジャンプの人気を牽引する作品だが、『ONE PIECE』のように読者サービスを前面に押し出していなくて、マイペースで物語を進めつつテンションは高い。

 また、登場人物の情動(成長)を丹念に描いていて、感情移入が深く出来て好感だ。

 何よりも、バトルシーンが、「場取る」でなく、ちゃんと手に汗握る面白さで描けているのが凄い。

 最近、私は、もっぱら、『NARUTO』派だ^^

 まあ、『ONE PIECE』を読み直せば、やっぱ、そちらにも魅了されてしまうのだろうが・・・^^;

   ◇

 ふと思ったのだが、主人公のNARUTOらの上司にあたる上忍にアスマ先生と言う人物がいる。

 なかなか格好良いチョイ悪オヤジ風なのだが、この人、いつもタバコをスパスパ吸っている。

   

 アスマ先生の大活躍は、ちょっと今、コミックスを貸していて確認できないのだが、一昨年(2008年)くらいだろうか?

 でも、一昨年の『銀魂(空知英秋)』では、<真撰組>の土方さんが物語上で、禁煙の憂き目に遭っている。

     

 作者の空知氏は、「大人の事情」云々で土方さんの喫煙が抑制されることになったことを匂わせている。

 『NARUTO』は許されて、『銀魂』は許されないのか?

 人気の問題でなく、最近の『銀魂』人気を考えると、絵の質もあるのだろう。

 いかにもマンガ的な絵の『ONE PIECE』のスモーカー大佐などは葉巻をスパスパやっているものなあ。

 古くは、『ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)』の第三部で、喫煙者のホル・ホースが、物語の途中からタバコを吸わなくなった。

     ・・・このキャラ、『S.B.R』に出るべきでしたよね。

 作者の荒木氏は、ジャンプ巻末のコメントで、「自分が禁煙したので、ホル・ホースも禁煙させた」とか何とか言っていて、私は子供ながらに「苦しい理由だな^^;」とか思った。

 私が思うに、各作家の担当の考え方なのだと思う。

   ◇

 そう言えば、一ヶ月ほど前に、こんなニュースがあったね。

 <福音館書店(塚田和敏社長)は28日、月刊「たくさんのふしぎ」の2010年2月号として発売した「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」(文・絵、太田大輔)を
販売中止にすると、ホームページで発表した。
  対象年齢は小学校3年生からで、発明家のおじいちゃんが2人の孫に江戸時代の暮らしを説明する内容。おじいちゃんはたばこ好きの設定で、喫煙したまま孫たちと同席する場面が何度も描かれている。
 喫煙に反対する団体などから「たばこを礼賛している」「たばこ規制枠組み条約に違反する」といった指摘があり、同社は販売中止を決定した。
 ホームページでは、塚田社長名で「(たばこは)小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したりする編集意図はまったくありません」と説明。「しかしながら、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした」と謝罪した。
                                    (YOMIURI ONLINE 2009/12/29[06:19:25])>

 ・・・私は喫煙者ではないが、喫煙者も、変なヒステリックな団体や個人にストーカーされて大変ですね^^;

                                         (2010/04/07)

[与党民主党考・47 「小沢を利するか? 与謝野・平沼・鳩弟・中曽根・石原・鴻池・城内」]

2010-04-05 15:22:30 | 保守の一考
☆タイトル 『平沼さんと与謝野さんの新党は、
      数が定まっていない時点で、
      「主義・主張の誤差の許容」だけを一気に広げてしまっている!!』


   ◇

 一昨日から憂鬱だ。

 保守派の細分化(クリック!)を心配していたら、与謝野さんが離党して、平沼さんとくっついて新党を作るそうだ。

 バカである。

 誰をポイントにバカにすればいいか分からないのだが、みんなバカだ。

 せっかくの、民主党の敵失により、押せ押せムードの自民党だったのに、鳩山弟の離脱に続いて、保守派の票割れの原因となる。

 民主党は数々の失敗をしつつも、小沢のもとに一丸の態勢にある。

 一部に不満は燻ぶっていようとも、数は減らしていないし、仮に、その何人かが離脱したとしても、今の民主党は往年の自民党の如く磐石だ。

 ・・・これは、「チキンレース」だったのだ。

 民主党と自民党の在籍議員にとっては、どちらが踏み留まれるかと言うチキンレースだった。

 民主党は、こんなにも不始末をしでかしながら、現時点では耐えた。

 自民党の、しかも、頑固な保守派の者たちのほうが、先に萎えてしまった。

 これは、自民党議員の、インテリジェンス以前の、「KY」に由来する。

 石原さんが、平沼・与謝野新党にいち早く賛成をしたのは、あの人らしい「KY」の極みだ。

 ・・・昨年の9月に、民主党政権が誕生した。

 その政権移譲(委譲でもよし^^;)の結果だけを見て、今回、自民党から離脱した者は、その時、離党の検討を始めた。

 その後の、民主党の不始末の数々から来る、民主党への国民の愛想尽かしを、それらの元自民党議員は感じていなかったのだ。

 だから、政権交代の時点から、離党の思いを熟成させたってわけだ。

 このような、民主党の圧倒的な数の中で、それと対する勢力が必ずしなくてはならないのが、「数集め(固め)」である。

 ここでは、ある一定数の議員数のとりまとめを言う。

 一丸の態勢を作ることである。

 それが一番大事なのに、それを崩すかのような行為は、自民党は関係ないにしても、離党する自分らを追い込むことにしかならない。

 で、「数集め(固め)」が確実になる過程において、第二にしなくてはならないことがある。

 それは、「主義・主張の誤差の許容」である。

 多くの人数を集めるのは、政治集団のカラーの許容範囲を狭めてはならない。

 民主党は、これを広げ過ぎて、元社会党の極左から、コテコテ保守の西村真悟まで同居させていて、結果、混乱の極みに達している。

 今の民主党は、「数集め(固め)」のために「主義・主張の誤差の許容」を、自民党をはるかに超越して広げ過ぎてしまっている。

 だが、平沼さんと与謝野さんの新党は、数が定まっていない時点で、「主義・主張の誤差の許容」だけを一気に広げてしまっている。

 平沼さんと与謝野さんの間には、「致命的な主義・主張の差異」がある。

 それは、郵政法案への是非であり、財政の広狭への見解の違いであり、自主憲法制定の推進か否かの観点もあろうし、

 そして、靖国神社の、いわゆる「A級戦犯」への考え方の違いがある。

 与謝野さんの師匠筋に当たる中曽根さんは、いちお、保守派の議員とされていたが、この人は、保守派としては許されざる政策の失敗を犯してもいて、コテコテの保守派支持者からは糾弾されている。

 平沼さんは、コテコテの保守派で、なのに、無所属の寂しさに耐えかね、与謝野さんと組んでしまった。

 合流する予定でもあった鴻池さんなどは、「保守色が薄まってしまった」と新党へは加わらないようだ。

 平沼さんの弟子筋に当たる城内さんなどはどうだろうか?

 城内さん、実直な方だそうだが、実直であればあるほど、師匠の平沼さんの今回の判断に疑問符を浮かべて悩むことだろう。

 それとも、与謝野さんの言う、いわゆる「A級戦犯」の分祀は、平沼さんにとって許容範囲なのだろうか?

 平沼さん、あんた、保守派にとって許し難いことを許しちゃっているんじゃあないかい?

 でも、今は、それまで当然の如く、議論までする必要のなく避けられていた「天皇女系容認」さえも、言挙げされる世の中だからなあ・・・。

 言葉をこねくりゃ、どうにでもなるわなあ^^;

 でも、私は、踏み留まるよ。

 踏み留まらなくちゃ、そこには左翼が入り込んでくるからねぇ。

                                         (2010/04/05)

[映画『誘拐ラプソディー』を観た]

2010-04-03 17:30:26 | 物語の感想
☆この季節にピッタリの、満開の桜を背景にした作品であった。

 桜色の如く淡い物語だが、なかなか粋な作品であった。

 何をやってもうまくいかない、うだつのあがらないアラフォーの主人公・伊達秀吉(高橋克典)が、借金苦に自殺しようとするも死にきれず、ふと知り合った少年を誘拐し、身代金を奪おうと考える。

 が、その少年の親は暴力団の会長で、物語が拗れていく。

 そして、誘拐の道行きの果てに、伊達はいつしか、その少年・伝助と情を通わせて行く。

 よくあるストーリーだが、少年の父親を暴力団の親分に設定したのが面白い。

 また、何よりも、いつも格好いい主人公を演じてきた高橋克典が、情けない男を見事に演じているのが良い。

 まだまだ若手だろうに、貫禄さえ感じられる高橋克典が、なんか妙に小さく、情けない笑い方をしているのが序盤は面白かった。

 深みに嵌まっていくに際しての人間の、哀しくも笑える「間(ま)」も面白かった。

 誘拐される少年も、私には同年代の甥っ子がいるので、その小利口そうな、それでいて若干ワガママな演出にリアルを感じ、そのコロコロした声質や綺麗な肌が可愛かった。

 コメディであり、高橋や少年の面白さに慣れてしまった頃には、暴力団の会長でありながら、伊達からの身代金要求の電話には声を裏返してしまうと言う哀川翔の演技に笑わせられた。

 また、その声を裏返すギャグも、観ている俺らが慣れると、すぐに止める演出のメリハリ。

 されど、若頭みたいのから殴られる子分が、いつも同じハゲ男と言うのは何度も繰り返されて、繰り返しの効くギャグは繰り返されるという作り手のうまさ。

 途中から、船越栄一郎演じる刑事が物語に絡んできて、これまたアクセクした表情が笑えるんだ。

 特に、物語の端々で、その刑事の息子・てっちゃんが、姿や、名前だけだったりと登場するのだが、終盤で伝助とセットになり、そのタイガース帽をかぶったオモロイ顔が画面に現われるだけで笑えた。

 一つ間違えるとテレビドラマレベルなんだけど、子供の動きの奔放さや、桜の豪勢な撮り方などで、映画としての風格が出ていたと思う。

 そう、寺島進も、ガッテン寿司の職人として物語に登場していたけど、寺島進も、『踊る大走査線』の番外編みたいので、少年との逃避行の物語をやっていたけど、あれに比べると、やはりテレビと映画はちょいと違うのだなと思わせられる。

 ただ、会長の奥さんのYOUや、伊達の元雇い主役のベンガルなど、ややステロタイプな配役が目立つ。

 ベンガルなんて、『ゴールデン・スランバー』でも似たような役をやっていたよね。

                                         (2010/04/03)

[映画『マイレージ、マイライフ』を観た]

2010-04-02 23:59:39 | 物語の感想
☆近所の<MOVIX昭島>や<ワーナーマイカル日の出>・<ワーナーマイカル武蔵野ミュー>で公開されている作品は軒並み観てしまったか、その他のは、あまりにも下らなさそうなので、<立川シネマシティ>まで、面白そうなのを観に行った。

   ◇

 ・・・ジョージ・クルー二ー演じる「リストラ宣告人」・ライアンは、不況下の企業に請われて、アメリカ中を飛び回っていた。

 旅慣れたライアンは、飛行機の中や空港こそが自分の家とばかりに、その旅支度の整え方やチケットの受け渡しも、職人のような動きで無駄がない。

 人間関係も「出張貴族」てな感じで、同じような境遇のキャリアウーマンと後腐れのない関係を楽しんでいる。

 家族からの連絡も、鬱陶しがるような奔放さ。

 この辺の性格設定は、ジョージ・クルーニーに絶妙に合っている。

 だが、そんなライアンにも、やや子供染みた目標があった。

 1000万マイレージを貯めて、航空会社の殿堂入りをする夢だ。

 しかし、そんな折、大学を主席で卒業してきた新入社員のナタリーが、会社の合理化をぶち上げた。

 遠くの町にまで出張し、対面してリストラを通告するよりも、このネット全盛時代、テレビ電話でクビを言い渡す方が出張費削減になるというのだ。

 面白いのが、ドライな人間関係、わずらわしい所有物と距離を置いていたライアンが、そのナタリーに、「人に解雇を告げることは、そんな画面を通して言うべきことじゃない」といった理由で反対する矛盾であり、

 また、ライアンの、相手を唯一無二のものとして見ない恋愛を非難するナタリーが、非情なテレビ電話による契約解除通告システムを発案する皮肉である。

 ナタリー役(アナ・ケンドリック)は、大学を出たばかりの理論優先の、仕事も恋も理念ありきでチャキチャキしている初々しさが可愛かった^^

   ◇

 この作品は、しかし、ライアンの「都合のいい関係」の相手となるアレックス(ヴェラ・ファーミガ)の「いい女」っぷりが良かった。

 この人、『エスター』のお母さん役、『縞模様のパジャマの少年』のお母さん役とは全く違った「お母さん役」を見せてくれている(魅せてくれている)。

 曲線で構成された顔、そして、ボディライン、後ろからの寸止めショットのオッパイ、最高である。

 この作品の優れた点は、ライアン、ナタリー、アレックス、ライアンの上司、リストラされた人々の表情を、やや長いカットで見せてくれる点だ。

 個々の役者が、セリフのないショットで、絶妙の「間」の演技を見せてくれる。

 ナタリーに、恋愛のことで説教されたライアンが、アレックスを、自分の妹の結婚式のパートナーに誘う。

 アレックスの表情がいい。

 いかにも、自らを「都合のいい女」と言いつつ、実はライアンとの深いつきあいを求めているという嬉しいような表情をするのだ。

 ライアンも、自分の母校にアレックスを連れて行ったりして、あたかも、この物語の終着点は、本当の人間関係を築き上げることに収斂しそうだった。

 だが、出張のなくなったライアンが、寂しさに耐えかねアレックスの家を訪ねると、そこにはアレックスの家族がいたのだった。

 こうなると、男は情けない・・・。

 情けないけど、それは、多くの男の姿でもあり、そのペーソスに共感せざるを得ない。

   ◇

 私は独身貴族を気取るつもりは更々なく、しかし、女には精神的な自立を求める方である。

 だから、女とつきあう時でも、その前段階で、甘ったるい依存から遠い女であることを自分なりに確認する。

 だが、今までに知り合ったどんな女も、結局は、べったりな関係を指向していたことがすぐに分かる。

 私には、やらなくちゃならないことがあり、女の家に泊まるといっても、女が寝静まった午前3,4時には女の部屋を抜け出す。

 別れを切り出され、「私は、あなたが部屋を抜け出すときにいつも起きてたんだよ!」とか言われても困っちゃう。

 でも、その折々の女は必要だから、別れを切り出されると、私はいつも情けなく、腑抜けになる。

 私は、ジョージ・クルーニーの姿を見ながら、そんなことを思い出した。

   ◇

 最終的に、ナタリーのやり方は机上の空論の合理化でもあり、崩壊し、ライアンの出張行脚は続くことになる。

 この作品は、安易な教訓を残さない。

 ライアンは、アレックスとの関係で、その顔の相を著しく変えつつも、その生活は変わらないのだった。

 ・・・物語の終わり間近で、ライアンは念願の1000万マイレージを達成する。

 ここで「オチつけマン」として、航空会社の名誉機長役のサム・エリオットが出てくるのだが、このシーンが、自分でも何だか分からないけど、妙に感動した。

                                          (2010/04/02)

[近況報告・27 「俺、株主!(第一生命)」]☆

2010-04-01 22:14:53 | 新・まあまあ楽しい話

☆・・・《第一生命が東証上場 初値は16万円 売り出し価格上回る(産経 2010.4.1 13:07)》

 <国内生命保険業界2位の第一生命保険が1日、相互会社から株式会社に転換し、東証1部に上場した。初値は16万円を付け、売り出し価格の14万円を上回った。上場初日は、大量の売買注文によるトラブル警戒のため、午後1時に一度だけ注文を付き合わせて、初値を決める異例の措置をとった。
 発行株式総数は1000万株で、時価総額は約1兆6000億円に上った。
 第一生命の契約者には保険契約の内容に応じて、株が割り当てられている。株主数は150万人規模になるとみられ、NTTの103万人(平成21年3月末)を上回る国内最多の株主を持つ。
 6月下旬の株主総会での議決権行使と、配当を受けることができる株主を確定する基準日は4月16日とした。
 上場初日の売買注文は午前8時から午後1時まで受け付けたが、2日以降は通常の取引となる。買いか売りのどちらかに注文が偏って、取引が成立せず値が付かない場合は、「特別気配」として処理される。>

   ◇
 
 俺は、今は、他の会社に乗り換えちゃったんだけど、第一生命に加入していた。

 で、やめた後も、第一生命のおばちゃんが連絡してくるので、シカトしていたんだけど、自宅の母親にまで伝言があった。

 おばちゃんが言うには、俺は、<1.68株>の第一生命株を持っているのだそうだ。

 でも、俺は昔、野村證券の「るいとう(累積投資制度)」をやっていたのだけど、俺の株認識は一株2000円とか、そんな程度のものであった。

 しかし、第一生命のおばちゃんの話によると、20万円超ぐらいになるのだそうだ。

 こりゃ、嬉しい^^

 だから、今日の、第一生命上場のニュースは聞いていて、胸がワクワクした^^v

 どうしようかなぁ^^

 一株は保有して、0.68株はお金にかえて、ソープランドにでも行こうかしらん♪

 夢は広がる・・・。

 なお、これはエイプリル・フールじゃないよ^^;

                                         (2010/04/01)