「我孫子市立手賀沼公園」の一般駐車場に車を停めて、公園緑地帯の北側一帯に広がっている住宅街の中の通りを歩いていきます。
暗渠となっている河川が流れている場所の上に「志賀直哉邸跡地」の行き先看板が設置されていました。この辺り一帯は、我孫子市の若松地区の住宅密集地帯が広がっています。
若松地区の住宅密集地帯の中の通りを道なりに歩いていきます。
若松地区内に建っている「白樺文学館」の建物脇を通り抜けていきます。
通りを西側へ向かって歩いていくと、前方に鬱蒼とした雰囲気の緑地帯が見えて来ました。この緑地帯が「志賀直哉邸跡地」の全景となっています。
南西側から「志賀直哉邸跡地」の緑地帯の全景を撮影しました。「手賀沼」の湖から北側へ向かって約200メートルの場所に緑地帯が整備されています。
新型コロナウイルス問題の影響からか、緑地帯内は人の姿は全くありませんでした。
志賀直哉が住んでいたという本館の建物は解体されて、跡地は広場だけが残されていました。
本館の建物は取り壊されて跡地となっていますが、志賀直哉が使っていたという書斎の建物だけは現存されています。この書斎の建物は2011年に我孫子市指定文化財となっています。
小説家の志賀直哉は、大正4年(1915年)から大正12年(1923年)まで我孫子で暮らしていました。我孫子では「城の崎にて」、「和解」、「小僧の神様」、「暗夜行路」などの小説が生まれました。
書斎の建物前から振り返って、緑地帯の広場の全景を撮影しました。12月上旬の平日の午後の時間帯だったので、淡い西日の光が差し込んで来ました。
西側から、書斎の建物の一帯を見渡して撮影しました。
12月の上旬の時期の散策だったので、緑地帯内の木々が若干紅葉が始まってきました。
緑地帯の敷地北側は、手賀沼北岸側の丘陵地帯の斜面が広がっていました。