歌舞伎座では開業後すぐの4月2日から28日まで実施されている「歌舞伎座新会場・柿葺落四月大歌舞伎」の巨大な看板が掲げてありました。
2013年4月2日に開業した歌舞伎座の建物をそばから観て回りたいと思います。建物周辺は観光客の人たちで大混雑している状況です。
一代目となる初代歌舞伎座は明治22年(1889年)に現在の場所に建設されました。完成当時は近代劇場として東京の新名所的存在だったそうです。
大正10年(1921年)に漏電事故によって初代歌舞伎座は焼失します。再建工事中に関東大震災に遭遇するなどの幾多の困難を経て、二代目の歌舞伎座の建設がすすめられます。
歌舞伎座の建物の正面玄関の上にある櫓を見上げて撮影しました。開業前の2013年3月4日に「櫓(やぐら)あげ」が実施されました。歌舞伎座の櫓とは、江戸時代に幕府公認の証として芝居小屋の正面に揚げられていた櫓の時代からの伝統なのだそうです。
正面に歌舞伎座の座紋である「鳳凰丸(ほうおうまる)」、左右の側面には「木挽町 きゃうげんづくし 歌舞伎座」の文字を染め抜いた三方の幕に覆われている櫓と、背後にそびえ立つ歌舞伎座タワーです。
櫓側面の幕の文字が見えましたでしょうか?
大正14年(1925年)に2代目の建物が完成しますが、昭和20年(1945年)の東京大空襲によって再び焼失します。戦後しばらくたった昭和25年(1950年)に3代目となる歌舞伎座が竣工することになります。
2000年代に入る頃になると歌舞伎座も老朽化が目立つようになり、また耐震性の問題や段差解消の必要性なども指摘されるようになります。2005年に「建て替え+超高層オフィス棟」案での再開発工事の方向性が決定します。
この間の2002年に歌舞伎座は国の登録有形文化財に登録されています。
2008年10月に建て替え計画が発表、歌舞伎座を建て替えた上で地下4階地上29階建ての高層オフィスビル(高さ145メートル、軒高135メートル)を併設するというもので、劇場の外観は従来通りの低層で和風桃山様式を採用、建物は晴海通りから35メートル後退させて入口の前に緑を配した余裕の空間を置きます。
併設されている歌舞伎座タワーは、第4期の面影を残す桃山風の威風堂々としたデザインとなる新しい歌舞伎座と調和するように、オフィスタワーの壁面は劇場から大きく後退させ、白いしっくいのイメージでデザインされています。
内部も従来通りに桟敷席や一幕見席を配置したうえで、バリアフリー化やトイレの数が増加されるほか、歌舞伎文化を紹介するギャラリーも配置されることとなり、地下鉄東銀座駅とは地下で直結することになりました。
また耐震性が特に重視されたうえ、銀座地区の防災拠点と帰宅困難者一時避難場所としても機能するように設計されています。
2010年4月30日に閉場式が行われ、その数日後には解体工事の準備が始まりました。そして2013年2月26日にオフィスビルと併設された歌舞伎座の建て替えが完了しました。次回の記事では歌舞伎座の建物の屋上にある「屋上庭園」へ向かいます!!!