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開業前の東京駅:造り直された丸の内駅舎皇室専用貴賓出入口の周辺

2012年09月28日 13時19分25秒 | 東京駅周辺


引き続き丸の内駅舎周辺の散策を続けていきます。今回の丸の内駅舎の復元工事では、創建当時の3階建てに復原することに並行して、駅前広場の再整備が実施されます。道路の配置を若干変えて駅前広場の面積そのものを増加させるとともに、緑地の割合を増やします。そしてタクシープールや路線バス乗り場なども新たに配置され直されます。




官営東海道本線の起点が新橋駅から中央停車場(現在の東京駅)へと延伸工事が行われたのは1914年(大正3年)。当時のこの辺りは陸軍の練兵場が他所へ移転ため雑草が生い茂る荒地となっていました。しかし、中央停車場の駅舎は繁華街やオフィス街として賑わっていた京橋口ではなく、目の前に荒地が広がっていた丸の内側に建設されました。なぜなら中央停車場は「天皇の駅」としての宿命を背負っていたからです。




丸の内駅舎の中央部に造られている「皇室専用貴賓出入口」です。今回の復原工事に合わせてこの入口や車止め、スロープなども新たに造り直されました。この入口を一般人が利用することは不可能になっていて、まさに皇室関係者のための駅であることがわかります。ちなみに一般の人々は北、南ドームの改札を利用することができます。




丸の内駅舎を創建当時の姿に戻す今回の工事は「復元」ではなく「復原」という言葉が使われています。JR東日本やゼネコンの鹿島のホームページを見ると「東京駅丸の内駅舎保存・復原工事」との表記がありました。復原と復元の違いは、文化財(建造物)の分野で、失われた建物を当時のように再現すること、あるいは推測に基づく場合を「復元」、一方で改修等で形が変わっていたものを当初の姿に戻すこと、あるいは旧部材(部分品や材料)や文献等が残っており、根拠が確かな場合を「復原」と使いわけることがあるそうです。




正面から撮影した皇室専用貴賓出入口。車止めの柱やスロープは、そばで見ると思った以上に大きくて圧倒されました。この出入口から皇居方向(西)へ進むと、行幸通りを経て皇居・和田倉門へと通じています。まさに皇居から中央停車場まで壮大な儀式が催されている雰囲気の中の移動を演出しているわけです。




中央停車場が創建された「大正(初期)」という時代は、鉄道が軍事と密接に結びついていた時代でした。戦争に必要な物資や人員を大量かつ短時間で輸送できる鉄道は軍事においては重要な存在であったと言われています。日本全国に張り巡らされている鉄道網も日本陸軍の意向によって敷かれていた路線がほとんどでしたし(官営、民営問わず)、この東京駅が丸の内に造られたのも日本陸軍の意向が強くあったからと言われています。




当時は天皇家が国家権力、つまり軍事力と密接に結びついていた時代です。天皇のお住まいである皇居のそばに「天皇の駅」である中央停車場を作る意味とは、皇室と日本陸軍がさらに密接な関係になっていく象徴でもあったのでしょう。今でこそ「国民の象徴」である天皇・皇室を見ていると信じがたいですが、戦前の時代というのはそういうことなのです。




皇室専用貴賓出入口の玄関口には皇室を象徴する「菊花」の御紋のプレートが嵌め込まれていました。皇室の菊花紋である八重菊を図案化した菊紋である十六八重表菊の形とは違って見えますが、それをアレンジした感じの御紋ですね。はっきりとは言えないので、今後もう少し調べてみることにします。




皇室専用貴賓出入口から丸の内北口・北ドームまで横に広がっている建屋の様子です。客室や尖塔などもきれいに再建されています。




皇室専用貴賓出入口周辺には松の木が多数植えられており、風格が感じられました。




やはり2階建てよりも3階建ての方が駅舎全体の重みが増しているように感じられます。行幸通りなど離れた場所から眺めた時もそうですが、こうしてそばから見上げている時にもそう感じました。




「丸の内中央口」を正面から撮影してみました。ここの改札口は3台しかないくらい利用者が少ないのですが、この日は多くの人の出入りがあったみたいです。自動券売機などは設置されていますが、みどりの窓口はないので、丸の内北・南改札口を利用する人々が殆どになるでしょう。




皇室専用貴賓出入口の車止めの上はバルコニーになっているんですね、始めて知りました。よく見てみると上野公園の東京国立博物館本館や日本橋の高島屋東京店、銀座四丁目交差点の和光など、大正から昭和時代にかけて作られた建造物と共通している箇所が多いです。




丸の内中央口の脇も芝生で緑化されていました。復元工事が始める以前は、確か芝生などなかったと記憶しています。




駅舎の建物と駅前広場の間にある排水口、深さは1.5メートルくらいありました。ここまで深いと内堀みたいですね。

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