★ベルの徒然なるままに★

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フランス旅行記・その5★モン・サン・ミッシェル編

2007年10月22日 | 旅行
今日は、10月6日のモン・サン・ミッシェルについてお話ししたいと思います~。でも、その前に、前回の旅行記で書き忘れていたことがありまして。
10月5日。書き忘れていたのですが、最後、コンコルド広場に行った後、もう一箇所回ったのですよね。そこを追記しておきます。

★10月5日 追記★
前回の旅行記で書き忘れておりましたので、追記です。
夕方、コンコルド広場に行った後、オランジュリー美術館に行きました。
ここで有名なのは、モネの『睡蓮』。この美術館には、「睡蓮の部屋」という二つの展示室があります。そこは、入ってビックリ!! これらの展示室は、二つとも、楕円形をした広い部屋です。そして、その楕円形の壁、四方向に、大きく横長のモネの『睡蓮』が4枚ほどかけられてあるのです。で、部屋の真ん中に、椅子が置いてあるのですが、そこに座って、周りをぐるりと見渡すと、『睡蓮』に取り囲まれた感じで・・・。本当に、自分が睡蓮の池の中にいるかのような感じです。こういう贅沢なお部屋が二つもあるのですよ~。
しかも、この美術館もフラッシュを焚かなければ、写真撮影OKです。一面の睡蓮ルームの写真も撮って言いわけですよ~。
でも。
残念ながら、私たちは、デジカメのバッテリーが切れちゃっててorz せっかくの、睡蓮ルームの写真は撮れませんでした・・・。せっかく、変圧器やプラグも持って行っていたのに・・・なんで、前日の夜に、カメラ、充電しとかなかったのかしら・・・。
でも、代わりに、オランジュリー美術館の図録を買いましたです。
そうそう。このモネの『睡蓮』ですが。丸い部屋に、部屋の壁を取り囲むよう四方向に絵を展示する・・・というのは、作者・モネの希望でもあったそうです。オランジュリー美術館は、割と最近に、改修工事をしていて、新しくなったのですが、改修前の時でも、ちゃんとモネの希望通りな展示方法をしていたそうです。でも、今回の改修工事で、天井に窓を付け、部屋に日光が入るようにしたとのこと。私たちが、オランジュリー美術館を訪れたのは、もう、夜の6時か7時くらいでしたが、フランスはまだ、サマータイム中なので、8時前くらいまでは、明るいのですよね。なので、ちゃんと、陽の光の中で、睡蓮を見ることが出来ました。物凄い、圧巻です。
写真が撮れなかったので、図録のページですが・・・こんな感じなのですよ~。

という訳で、以上、10月5日の追記、終了~。

続いてはその翌日、モン・サン・ミッシェルの話です。

★10月6日★
フランスに行ったら、やっぱり、モン・サン・ミッシェルはハズせない観光地だと思います。とはいえ、ここ、パリからメチャクチャ遠いのですよ~。理想を言うなら、一泊で行く方が良いのかも知れませんね。とはいえ、私たちは、ずっと、パリ泊でしたので、かなりの強行軍、日帰りで行ってきました。
どれくらい遠いのか・・・というと。
日本で例えるなら、京都-広島くらいの距離です。
でも、京都-広島なら、新幹線で2時間なのですが、パリとモン・サン・ミッシェル間は、新幹線なんて有りません。なので、電車と地元の路線バスを乗り継いで行くか、もしくは、ツアーなどで、高速バスで行くかしか行く方法はないのです~。しかも、日帰り~~。
時間的に言うと、電車と路線バスを乗り継いでいった方が、早いらしいのですよ。電車が2時間ちょっとで、その後、路線バスで1時間半とのことで・・・大体、3時間半から4時間ですね(でも、遠い) とはいえ、時刻表もよく分からない外国で、路線バスの乗り継ぎとか不安ですし、万一、その日中にパリに帰ってこれなくても困りますし・・・。なので、この日だけは、日帰りモン・サン・ミッシェル行きのオプショナルツアーに申し込みました。なので、高速バスで、日帰りです。因みに、所要時間は、片道約5時間朝7時半出発で、現地到着が大体お昼の12時過ぎ。pm4時まで現地にいて、そこから帰ってきて、パリ着が夜の9時だったという、恐るべき強行軍でしたA^^;;

という訳で、朝は、6時半過ぎにはホテルを出て(この日は、朝が早すぎて、ホテルで朝食は食べられなかったです)、お馴染み、地下鉄・シャトー・ランドン駅から、オペラ駅まで乗りました。その近くに、日本人向けバス旅行会社があって、そこが、集合場所だったのですよ。7時半キッカリに出発ということで、7時10分には、そのバス旅行会社のカウンターに来るように言われてました。パリは、am8時くらいまで夜が明けないので、真っ暗ですよ~。しかも、寒いっ。7過ぎには、ちゃんと、バス旅行会社に到着。私たちと同じく、モン・サン・ミッシェルのオプショナルツアーに参加する日本人でいっぱいでした。オットがカウンターで手続きをしている間に、私は、一応、御手洗いに行っておきまして。そして、7時半前には、バスに乗り込み、7時半キッカリ、まだ、夜の明けない真っ暗な中、出発です。

片道、約5時間のバス旅行の始まり~~~。

パリを抜けるまでは、若干、渋滞していましたが、高速道路に入ると、もう、ノンストップで、ガンガン進んでいきました。
因みに、フランスの高速道路の制限時速は130キロ。・・・もう、制限時速なんて、有って無きに等しい・・・と思うのは私だけ? なので、バスも、すごく飛ばしまくりです~。でも、それだけのスピードで行っても、5時間かかるのですから・・・。いかに遠いのかがうかがえますよね。
そうそう、あと、面白いなぁと思ったのが。日本の高速バスでしたら、運転手さんが一人で、夜通し走ったりしていますよね? でも、フランスは違うのですよ。もともと、バスには運転手さんが2人乗っていて、片道5時間の運転でしたら、2時間半地点で、運転手さんが交代するのです。「安全のため」ということでしたが、実際の所は、労働組合が非常に強いお国柄ですから、やはり、過酷な労働はしない、させない、という労働者の「権利」なのかもしれないなぁと、勝手に想像。でも、良いことだと思いますよね(^^) 雇用者側からすると、それだけ多くのドライバーを使うと、人件費などもかかりそうで大変ですが、私たち利用者の側からすると、長時間ではなく、ちゃんと途中でドライバーが交代してくださる方が、安全ですものね。

という訳で、延々とバスの中。

疲れていたのか、外の景色を楽しみつつも、かなりの時間は爆睡していたと思います。
パリを抜けて、高速に入ると、一気に、周りの景色は、田舎の風景になってきて。
一面の緑。放牧されている、牛や羊。時々見えてくる、絵本の中に出てくるような可愛い民家。映画『ハウルの動く城』でハウルのお城が動いていた草原を彷彿とさせられました。

ずっとバスは、ノルマンディ地方を進んでいたのですが、本当に、美しい光景でした。
フランスは、ワインが有名な国ですよね。ワインが有名ということは、ブドウ栽培が盛んというわけで。でも、ここ、ノルマンディ地方は、雨の多い地方なんですって。で、雨が多いと、ブドウ栽培には適さないらしく。なので、雨の多いところでも、ちゃんと育つ、リンゴ栽培が主流で有名なのだそうです。という訳で、お酒は、カルバドス(リンゴの蒸留酒 ブランデーみたいなお酒)や、やはり、リンゴを使ったシードルというお酒が有名なのだそうです。そして、雨が多いと言うことで、塩気を含んだ草がよく育つのです。なので、羊や牛の放牧が盛んで、お肉はもちろんのこと、チーズや牛乳といった乳製品も有名なのです。
フランス料理で、「~~~~のノルマンディ風」というメニューが有ったら、それは、乳製品を使った物、つまり、クリームソースを使ったものなのです(^^)b

そして。
遠くに見えてきました、モン・サン・ミッシェル。



もともとは、海に浮かんだ小島に建った修道院だったのですよね。海に浮かんだ小島なのですが、1日の内、干潮時には陸続きになり、満潮になると、陸から切り離されるという。なんだか、とてもファンタジックですよね。でも、最近は、干拓が進んでしまい、昔みたいに、1日の内に、沈んだり陸続きになったりしなくなっちゃったんですって。最近は、1年の内、何回かしか海に沈まなくなっちゃって。景観が損なわれてるらしいです。なので、もう、ここ何年かの間に、道路を取り払って、昔の状態に戻すという工事をするそうですよ。

それにしても、遠くから見えてきたときもスゴイと思いましたが、近くで見ても、圧倒されます。

モン・サン・ミッシェルの歴史は、すご~く古くて、聖ミカエル(大天使ミカエル様のことかしら?)が現れたときに来ていたというケープの一部と、ミカエル様が降り立ったとされる祭壇の一部が、708年に献納され・・・それが、モン・サン・ミッシェルの誕生だそうです。とはいえ、その頃は、まだ、小島にポツンと建った小屋のようなものだったそうです。
それが、歳月と、信仰とともに、どんどん大きくなっていき、やがて、大きな修道院になったのです。で、もともとは、修道院だったのですが、途中、ジャンヌ・ダルクなどが活躍した100年戦争の際には、要塞として使われたので、城壁など要塞としての機能を持つものも増築されたそうですね。その後、ナポレオン時代には、牢獄としても使われたそうで。とにかく、色んな用途に合わせ、増築に増築を重ね、今のような複雑な外観になったとのことです。

到着すると、まずは、お昼ご飯。
お昼は、モン・サン・ミッシェルの入り口の街道にあるレストランで。
ノルマンディ地方の料理でした。
前菜、主菜、デザートのランチコースです。メインは、白身魚のクリームソースがけでした。

本当は、モン・サン・ミッシェルは、オムレツが有名なのだそうですが、ツアーのガイドさんが言うに、日本人の口には合わない味付けだそうで、以前は、昼食もオムレツを出していたのだけれど、皆さん、残される人が多くて、止めたのだそうです。でも、食べてみたかったなぁ~、オムレツ。もちろん、ノルマンディ地方のお料理もとても美味しかったですよ。そして、この地方では有名なシードルというリンゴ酒も飲みました。リンゴ味のするビールという感じでした。
もう一つ、ここで有名なカルバドスというお酒は、お土産用に、何本か買って帰りました。そして、リンゴクッキーも有名だそうで。こちらも、試食して、とても美味しかったので、お土産用に何箱か買いましたです。
そうそう。
このモン・サン・ミッシェルの入り口街道にあるお土産屋さんやレストラン。
何がスゴイって、これらのお店は、モン・サン・ミッシェルが観光地になる前から、ずっと、ここで、巡礼者の方々の為の、お店や食堂を営んできた歴史のある店々だそうです。つまり、創業何百年っていうお店なのだそうですよ。

昼食の後は、いよいよ、モン・サン・ミッシェルの中を見学です。
建物の中に入るまでも、とにかく、複雑な迷路のような階段を上がったり降りたり。
増築をすごく繰り返しているので、いろんなものがくっついてて。で、こんなに複雑な回廊になったのでしょうね。とにかく、歩けども歩けども、辿り着かない~。階段を上がる降りる上がる降りる・・・・。迷路~~。

とりあえず、一人だったら、絶対に迷子になります。
また、内部も、興味深かったです。
とにかく、歴史の節目節目で、増築を重ねているので、ロマネスク様式と、ゴシック様式の混ざった独特な雰囲気でした。
ハリーポッターの学校みたいな回廊もありました。


そして。
建物の一番、てっぺん。尖塔の先には、聖ミカエルの像が付いています。

避雷針の役割もしているそうで、少し前に、修復されて取り付け直されたそうです。因みに、下から見上げるので、この像も、小さく見えますが、実際には、重さ450kgもあるそうで。取り付け直すときは、ヘリコプターで取り付け作業をしたとか。

これは、尖塔のミカエル像と同じ大きさのミカエル像です。

すごく大きくて、見上げるようなアングルになってしまいました。でも、こんな大きな物が、尖塔に乗せられているって、スゴイですよね。
フランスは、地震が絶対に無い国ですので、可能なのかも知れません。


という訳で、憧れのモン・サン・ミッシェルを堪能して、パリへの帰路に就きました。帰りもまた、5時間の道のりです。
帰りは、たまたまなのですが、バスが、10年前にイギリスのダイアナ元王妃様が事故で亡くなられたトンネルを通りました。もう、10年になるのですね。心の中で、そっと、手を合わせました。

そうそう。
この土曜日の夜は、パリでは、ヌイ・ブランシュ(白い夜)というお祭りでした。
パリの街を夜通し、電飾でライトアップして、朝まで騒ごう♪という趣旨のお祭りだそうです。
なので、パリもすごく混雑していて、賑やかでした。
先日、チュイルリー公園に行ったとき、公園のアチコチに、電飾の準備がしてあって、「???」と思っていたのですが、これの準備だったのですね。
私たちは、pm9時頃に朝の集合場所だったバス会社に到着し、解散。
さすがに、ヌイ・ブランシュに参加する元気も勇気もなかったので、そのまま、地下鉄オペラ駅からシャトー・ランドン駅まで乗って、ホテルに帰りました。
さすがに、すごい強行軍。
日帰りで、1日の内、10時間はバスの中・・・は疲れまして。
ホテルに帰って、お風呂にも入らず、荷物も放り出したまま、ベッドに倒れ込むようにして寝てました。で、深夜頃「ヤヴァイっっ」と目を覚まし、慌ててお風呂に入り、ちゃんと寝ましたです~。

そして。
後日分かったことなのですが、この、ヌイ・ブランシュのお祭りの日、酔っぱらった(?)若者達のグループがオルセー美術館に侵入し、モネの絵画に傷を付けるという事件を起こしたそうです・・・orz

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