懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

東北旅行 その3

2013年05月28日 | 旅行
家内にずっと運転をさせ茅葺民家の撮影ばかりでは楽しくないので観光地にも立ち寄り温泉にも入ってもらう。私は温泉に入れないのでその間は車の中で新聞を読むか昼寝をしている。
10回も東北に行くとチョコチョコ立ち寄るので観光地も行くところが少なくなった。
今回は三内丸山遺跡と小岩井農場、温泉は乳頭温泉と肘折温泉に立ち寄る。

1.三内丸山遺跡は平成4年から野球場の建設のため掘削を始めたら縄文時代の土器や土偶など巨大な遺跡であるのが発見された。壺や土偶が大量に発掘され糸魚川から運ばれたヒスイの勾玉も発掘された。1000年に及ぶ生活の跡が堆積されていた。

作家の司馬遼太郎氏は街道を行くの「北のまほろば」で津軽にも縄文時代にも豊かな文化があった。決して辺境の地ではなかった。十三湖などにも遺跡が残り各地と交易をしていたと書いてある。それは三内丸山遺跡が発見される以前の事である。
豊かな文化があったにも関わらずなぜ江戸時代に飢饉で大量の餓死者をだしたのか
それは米の生産による石高制にあると指摘している。東北北部は江戸時代に米の生産には適さなかった。なせ寒さに強い麦を植えて食料にしなかったのか米による石高制による年貢が足かせとなった。農民にしても日本人はやはり米に対する憧れが強かったのであろう。特に小麦は皮が硬く粉にしてパンやうどんのような使い方しかなく粒食のできる米にこだわったのであろう。
司馬遼太郎氏は三内丸山遺跡の発見を喜び自分の考えに間違いがなかった事を新聞やテレビで語っている。しかし発見されてから数年して司馬氏は突然亡くなる。
街道を行くは一年以上にわたりNHKテレビで放映されたので観ている人は多いとおもう。
私も毎回その内容を書き残し何冊かの記録帳になった。
そのなかでも「北のまほろば」は傑作であった。まずネーミングがよい。
「まほろば」は優れた場所をさす言葉だそうだ。「まほ」は真秀と書き素晴らしい意味だそうだ。「ろ」は接続語
こんな表現は他にもある。「み」を接頭語につける表現、崎に「み」を付けて岬、
空にみを付けて美空、「靴が鳴る」の歌は晴れた実空に靴がなる。美空ひばりもあった。
「み」は美しいの字を指すそうだ。



小岩井農場 小岩井の名は創立者、小野、岩崎、井上の頭文字をとつた。122年の歴史
岩崎は岩崎弥太郎の長男


秋田駒ケ岳 乳頭温泉近くから見る