撮影場所 岡山県倉敷市下津井
それまでは蒸気機関車の写真を撮っていたが昭和47年3月に岡山の新幹線開業のダイヤ改正で本州から多くの蒸気機関車が消えた。鉄道の撮影から次のテーマを探していた。昭和48年10月に瀬戸大橋の着工を控えていた瀬戸大橋の建設で大きく変わる下津井の風景を撮り始めた。
しかし、第一次オイルショックで超インフレとなり石油の使用量は抑える。物価は28パーセントの超インフレとなる。
結婚当初で厳しい時代を体験する。
総需要抑制策で瀬戸大橋の建設は五年間凍結となり昭和53年10月着工となる。
勢い込んで下津井を撮影していたのに気落ちした。
下津井はタコ漁が盛んである。この当時はこんな素焼きのタコ壷だった。
瀬戸大橋が出来れば前方に橋がある事を想定して撮影した。
現在は割れにくいプラスチック製になっている。
瀬戸内はタコ壷を海底に沈めるだけだがエサを入れるところもある。エサを入れるタイプはエサを引けば入り口が閉まる構造になっている。
この写真は昭和48年で舟は木造船ばかり穏やかな漁村である。
しかし昭和49年末に某石油会社の石油タンクから油漏れ、瀬戸内海をすべて汚染する大災害になる。フェリーに乗っても瀬戸内海は完全に死んだと思った。
素潜りが好きで夏には島にサザエ獲りに行っていたがもう出来ないと思った。
流出した石油の回収に漁民の人々も動員された。これから数年漁に出られなくなった。
下津井は流出地から近いので岩壁も砂浜も石油で覆われ回収したドラム缶が並んだ。それ以来、下津井には行けなくなった。
それでも自然の浄化力は凄いものだ。5年もしたら元の状態に戻ったように思う。
考えて見れば石油も元は木などの植物から出来ている。炭素と水素からできている。
時間を掛ければ食べるバクテリアもいるし分解し炭素と水素に還るものもある。
それまでは蒸気機関車の写真を撮っていたが昭和47年3月に岡山の新幹線開業のダイヤ改正で本州から多くの蒸気機関車が消えた。鉄道の撮影から次のテーマを探していた。昭和48年10月に瀬戸大橋の着工を控えていた瀬戸大橋の建設で大きく変わる下津井の風景を撮り始めた。
しかし、第一次オイルショックで超インフレとなり石油の使用量は抑える。物価は28パーセントの超インフレとなる。
結婚当初で厳しい時代を体験する。
総需要抑制策で瀬戸大橋の建設は五年間凍結となり昭和53年10月着工となる。
勢い込んで下津井を撮影していたのに気落ちした。
下津井はタコ漁が盛んである。この当時はこんな素焼きのタコ壷だった。
瀬戸大橋が出来れば前方に橋がある事を想定して撮影した。
現在は割れにくいプラスチック製になっている。
瀬戸内はタコ壷を海底に沈めるだけだがエサを入れるところもある。エサを入れるタイプはエサを引けば入り口が閉まる構造になっている。
この写真は昭和48年で舟は木造船ばかり穏やかな漁村である。
しかし昭和49年末に某石油会社の石油タンクから油漏れ、瀬戸内海をすべて汚染する大災害になる。フェリーに乗っても瀬戸内海は完全に死んだと思った。
素潜りが好きで夏には島にサザエ獲りに行っていたがもう出来ないと思った。
流出した石油の回収に漁民の人々も動員された。これから数年漁に出られなくなった。
下津井は流出地から近いので岩壁も砂浜も石油で覆われ回収したドラム缶が並んだ。それ以来、下津井には行けなくなった。
それでも自然の浄化力は凄いものだ。5年もしたら元の状態に戻ったように思う。
考えて見れば石油も元は木などの植物から出来ている。炭素と水素からできている。
時間を掛ければ食べるバクテリアもいるし分解し炭素と水素に還るものもある。