懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,203  島根県匹見町の民家

2015年03月22日 | 日本茅葺紀行
私は茅葺き民家を撮り始めて岡山県内の道をすべて走ろうと思った。撮り始め3年間で岡山県内のすべての市町村をくまなく走った。走ったと思ったが道はたくさんある。走ったと思っただけでまだ走っていないところが沢山ある。地図に走った道と茅葺き民家をプロットしていけばよかったがそんな事はやっていない。茅葺探訪の仲間の人の地図を見るとそれをちゃんとやっている。
3年間岡山を走り次は中国山地の峠をすべて越え麓のの集落巡る目標を立てた。
兵庫県から山口県の国道、県道、市町村道を走る事にした。
何に出合うか分からないが一つの目標に向かってやっている時は楽しいものだ。
しかし、こんな感動も楽しみも慣れてくると喜びが薄れてくる。
人間の欲望には限りがない。より刺激を求めていく。めったなことで感動できなくなるのである。なに事も中ダレ、マンネリ化を防ぐ方策を講じないと継続は難しい。
中国山地の峠越えもマンネリ化防止の方策であった。
この日は広島県の芸北町から島根県の匹見町を走り広島県の吉和村に抜けるコースを走った。
紅葉のシーズンであったので匹見町の匹見峡に立ち寄り、国道468号線の峠越えの紅葉を見る計画であった。
匹見町(現在は益田市)では2軒茅葺き民家があった。一軒は牛を飼っていて牛と茅葺きが撮影できた。
飼い主の了解を得て檻の中に入らせてもらう。親牛はちらっとこちらをみたがこわがらず草を食べ続けてくれた。親牛が怖がらずにいてくれたので子牛もじっとしていてくれた。

国道468号線の峠越は酷い国道だった。林道を国道に昇格させたもので対向車との退避に苦労した。この一帯は熊の生息数の多いところだ。吉和村のスキー場でリフトの取り付けしていた人が熊に襲われ重傷の記事が撮影から帰り1週間後の新聞に載っていた。この記事を見て家内とやっぱり熊はかなりいるのだと顔を見合わせた。


蒸気機関車 伯備線変則三重連

2015年03月21日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県新見市西方 伯備線 苦ヶ坂トンネル

伯備線の下り列車、新見から布原信号所に向けては25パーミルの勾配が続く。
国道とある程度、並走しているが道路も登りが続く。乗用車ではたいした坂ではないがトラックはスピードが落ちる。鉄道にとっては厳しい勾配だ。
花輪線の龍ヶ森などは並走している高速道路ではあっという間に通過する。
しかし、肥薩線の大畑ループは車でも長々と坂道が続く標高900メートルのえびの高原まで登りつめる一大パノラマが見られる。

何だ坂、こんな坂と言われた苦ヶ坂トンネルをめざし長い登りの貨物には補機が付く。
この列車は後方に二台の補機が付く、変則三重連で登って行く。
ゆっくり登るのでフィルムを一本使いそうだ。肝心の時が来てフィルム切れを起こしたこともあった。変則三重連は花輪線や室蘭線でも見られた。
標準レンズだけで上から俯瞰撮影した。
誰もいない山の上で列車を眺めながらこんなの撮影して役に立つのかと当時自問した。
こんなのを撮っていたから老後の楽しみになっているし、この日ここに立ち行動したのが記録されているのだ。

布原信号所は鉄道ファンも多かったがここまでは来る人は少なかった。
新見から五キロ歩くか布原から県道まで登り新見側に40分歩かないと行けなかった。

ここに何軒か茅葺き民家があった。線路脇の茅葺き民家と撮った事もあった。
蒸気機関車写真展の中に投稿しているので見てください。
この写真にも茅葺き民家が見える。




岡山の茅葺民家  加茂川町の民家 モノクロ

2015年03月20日 | 茅葺き民家
岡山県加茂川町(現在は吉備中央町)

加茂川町の加茂市場というところに加茂総社宮がある。ここで秋に行われる大祭は岡山では有名である。神社の境内は太い杉の木が立ち並び神社の古さを物語る。
神社仏閣には余り興味がなく祭りのようなハレの行事は撮影していない。
私は日常の飾らない人々の暮らしが大切と思い撮影してきた。
これは各人のポリシーであって他人と比較、強要するものではない。
自分がいいと共感できるものをやればよいと思う。

加茂市場の外れに茅葺き民家が一軒ポッリとあった。
人々との付き合いを避けるように建てられた茅葺き民家。
洗濯物は男物か人は住んでいる。
一本の土の道と洗濯物に人の生活を感じる。




茅葺き民家 熊本県小国町の民家 モノクロ

2015年03月19日 | 茅葺き民家
熊本県小国町を走っていたら北里柴三郎の生誕地という標識がでてくる。
各地を走っているとこんな標識を目にする。
時にはこの人は何をした人と言う事がよくある。
メモして後で調べればよいと思う、これでひとつ利口になったとおもっている。
島根県の浜田から山道に入ったら島村抱月の生誕地というのがでてきた。
ネット社会になりすぐに調べられるのがよい時代になった、

小国町に北里という地名がある。西里もある。
代々、庄屋を務めた家に北里柴三郎は生まれたと書いてある。
第一回のノーベル医学賞にノミネートされたが選出されなかった。
この小国町も温泉に恵まれた地である。わいた温泉郷とよばれいくつも温泉が点在する。
地熱が豊富で家庭料理や暖房用、ハウスの暖房に使っている地域もある。
その温泉のひとつ「はげ温泉」に立ち寄った。
昨日、乳頭温泉で硫化水素の中毒死が三人あったが温泉地むはこれが怖い。

この民家は国道を走っていたら眼に入る。
杉皮で葺かれている。

日本茅葺紀行 NO,202  広島県黒瀬町の民家

2015年03月18日 | 日本茅葺紀行
広島や岡山は茅葺きの母屋に茅葺きの小屋の組み合わせの家がある。
こんな家に出合うとお菓子に子供の好きそうなオモチャがついたオマケようで嬉しくなる。
里芋の葉は大きいので写真に撮っても分かりやすい。里芋は大規模で作っているところは少ないが郷土料理、日本料理、年寄りの食べ物としてて根強い人気がある。
里芋シリーズとして茅葺きと里芋の組み合わせ写真を集めてみたい。

この家も冬場は裏側が影になり写真にならない。
彼岸に近づきもう撮影できる太陽の角度になってきた。

若い人が人の住む茅葺き民家を見たことがないという。
そんなところでは茅葺き民家を撮ろうとは思いもつかない。
全国各地、走っていても全く茅葺き民家のないところがある。

鉄道の無いところに住む人は鉄道ファンにはなれないものだ。周りにそんな趣味の人がいれば影響も受けるが。

つくづくいまでも茅葺き民家が撮影できる地域に住めることは有難いことだと思う。

懐かしい物  本瓦葺民家

2015年03月17日 | 懐かしい物
本瓦は平瓦を敷き瓦の継ぎ目の防水に丸瓦を乗せる。寺院の瓦はほとんどがこの瓦を使っている。重厚さがあり風格が出てくる。しかし、平瓦止めや丸瓦を乗せるところには赤土を使う。屋根が重くなり柱も太くする必要がある。
阪神大震災で淡路島の本瓦の古い民家が数多く倒壊しているのを見て瓦屋根の民家は地震に弱いとプレハブメーカーがプレハブの優秀さを宣伝文句に使った。
淡路島は日本瓦の産地でもあったので落ち込みも多かった。

20年程前の新聞に21世紀はプレハブが8割を占めるとミサワホームの社長の記事が載っていた。本当にそうなるか検証のためにスクラップブックに貼っている。
今の新築の家を見ると瓦の家は10軒あれば一軒か二軒だ。
在来工法の民家自体が少なくなっている。
本瓦民家は大阪、奈良から瀬戸内沿岸のみに分布している。その他の地域ではほとんど目にしない。茅葺民家が無くなれば本瓦や日本瓦、瓦屋根に懐かしさを求める人が出てくるかもしれない。
私の住んでいる岡山県の南部も本瓦が残っている地域である。
地元で撮れる題材は貴重である。

写真の民家は早島町にある。早島には大きな茅葺きの旧庄屋がある
地元では苗字に敬称として大○○と呼んでいる。この家は同じ苗字だが分家であろうか。
分家でも一般サラリーマンに比べる大きな家である。




岡山の茅葺民家  大佐町 モノクロ

2015年03月16日 | 茅葺き民家
岡山県大佐町(現在は新見市)

大佐町は高速道路(中国道)、鉄道は姫新線が走っているので交通の面では恵まれた土地ではある。しかし、過疎化や人口流出はさけられない。
大佐山にはハングクライダーやパラグライダーの基地がある。
そんな大佐町の道を一本一本走った。新見から新庄村へも何度か抜けた。
この付近に降った雨は高梁川を通じて我々の飲み水になっている。
このあたりを撮り始めたのは茅葺き民家を撮りだした頃でフィルムをケチったのか一枚か二枚撮影して終わりが多い。色々な角度から撮ればいいのに下手くそである。

昨日まで、熊本、宮崎、大分と旅をしたが茅葺き民家のありそうな気配すらしなかった。
人の生活している茅葺き民家は本当に貴重だと思った。


茅葺き民家 山口県徳地の民家 モノクロ

2015年03月12日 | 茅葺き民家
風速40m/secを越える台風の通過後2週間して山口の徳地周辺に撮影に行った。
茅は痛みめくれあがっている物もある。
風速風速40m/secを越えると被害が大きくなる。特に10年以上経過すると茅も痩せてくるし押さえも甘くなる。茅は軽く竹を組み合わせた骨組みなので屋根全体が飛ばされる事もある。
こんな被害の状況は佐賀県でも広島県、奈良県でも目にした。茅葺き民家だけではなく杉の山の斜面全体が倒木した風景や室生寺の国宝の屋根が巨杉の倒木で被害を受けたのを見た。
こんな茅屋根が被害にあうと急速に茅葺きが減った。再建する事はなく放棄するか新しく建て替える家が多い。

北海道や東北は今年の冬も何度も爆弾低気圧に襲われた。
異常に発達した低気圧が968ヘクトパスカル、大陸には低気圧通過で高気圧が張り出してくる。高気圧は1036ヘクトパスカル、この気圧差68ヘクトパスカル
まるで台風である。局部的に吹く風で羽越線の特急が横転した事もあった。
風が吹くことで地球の熱を循環させる働きがある。
風が吹かなければ高温にさらされる地域、低温にさらされる地域が出てくる。
台風も地球が局部的に温度上昇をしないように熱で雲を作り雨と風を進路に撒き散らし温度を拡散させている。

風も侮れない登山で低温症で亡くなったり看板などの落下物で怪我をする人もでいる。
歳を取ると大雨や大風の日は外へ出ないのが安全とおもう。


日本茅葺紀行 NO,201  長野県大町市の民家

2015年03月11日 | 日本茅葺紀行
大町市木崎湖の周辺に何軒か茅葺き民家があった。
写真集や個人のホームページに掲載されていた。白馬、小谷、大町のラインには茅葺き民家あるがあとは各地に点在するのみだ。昭和50年代には残っていたであろうが今や平成27年である。
土地勘のない見知らぬ土地で茅葺き民家を探すのは難しい。やみくもに走っても時間とガソリンの無駄である。
せいぜい蕎麦を食べながら温泉や観光地に立ち寄り見つけたら大儲けと思わないとやっていけない。
それでもひょこっと残っているのが茅葺き民家でもある。

山は紅葉していた。大糸線が走っている特急あずさを撮る鉄道ファンがあちらこちらにいた。
唐松の紅葉と鉄道を撮るのか。まだ一眼レフもフィルムカメラの時代、今はもっとカメラマンも多いか、私はカラーで撮った鉄道写真は残っていない。あっても色ボケした写真だけだ。

3輪の自転車に乗った女性を撮らせて貰った。砂利道の坂道を力強く登っていった。家内と凄いと声にした。


幸せの黄色いハンカチはパクリ?

2015年03月10日 | 日記
家で籠りきっている私はフィルムスキャンをしながらラジオを聴くかユーチューブに不法登録された音楽を聴くことが多い。
1970年から80年代の私の若かった頃のアメリカンポップスを集めた曲を聞いていた。その中に「幸せの黄色いリボン」が入っていた。和訳をしてくれていてそれを見たら映画「幸せの黄色いハンカチ」と余りにも似ている。パクリかと思った。中国や韓国の事を笑えないと思った。
幸せの黄色いリボンは1972年7月に著作権登録された曲『Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree』は、Tony Orlando & Dawn(トニーオーランド&ドーン)が唄って大ヒットした曲だそうだ。歌詞を和訳しているので転記すると。


「僕は刑期を終えて
家路に向かうバスの中
手紙で伝えたとおり
僕は近々出所する

もし君がまだ僕を必要としてくれているなら
古いオークの幹に
黄色いリボンを結んでおいておくれ

3年も服役していた僕だけど
君はまだ僕を必要としてくれているかな?

もし黄色いリボンがなかったら
僕はバスを降りず
君との事は忘れることにするよ
悪いのは僕なんだから」


幸せの黄色いハンカチは曲のヒットから5年以上あとに作られた。パクリと思うかとこの映画も監督もこの程度かと思う。
それにしても黒澤明監督は偉大だっと思う。7人の侍は荒野の7人にパクられ、用心棒は野の用心棒にパクられた。