懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 C57117号機

2015年03月10日 | 蒸気機関車
テレビコマーシャルでデアゴスティーニ・ジャパンのC57117号機がよく宣伝されていた。
毎週送られてくる本とパーツを組み立てて蒸気機関車を作るそうだ。
以前、デアゴスティーニの販売する作品、銀河鉄道999に使う蒸気機関車の写真を提供してほしいと依頼があった。C62の夜間の写真であった。提供したのちに銀河鉄道のDVDを送ってきてくれた事がある。

何でC57117号機なのかと思いネットで検索したら宮崎で蒸気機関車で最後のお召し列車を牽引したと書いてあった。そんな事があったのもすっかり忘れていた。
昭和48年3月の事だという。三月四月は仕事が忙しく休める状態では無かったし、写真のテーマも蒸気機関車から古い町並みの撮影に切り替えていた。本州では蒸気機関車の撮れるところは限らていた。本州は昭和47年3月で蒸気機関車が姿を消したところが多かった。

宮崎駅で客車を牽引して出発を待つC57117号機、もう一枚は宮崎機関区の風景、四台ほど機関車が見える。こんな機関車から煙を出している風景を見ると血が騒ぐ。




岡山の茅葺民家 

2015年03月09日 | 茅葺き民家
雪のちらつく寒い日に茅葺き民家を撮っていたら姉妹が遊びに来た。アスファルトの道路で縄跳びをするが風も強くうまく飛べない。田圃に入り遊び始めた。
二人といろいろ話をした。一緒に誰と住んでいると聞いたらお母さんとお爺ちゃんとお婆ちゃんという。お父さんは聞いたらお父さんとお母さんは喧嘩ばかりして離婚したという。
離婚の原因は分からないが子供にとっては両親が仲良く暮らさないのは大きな傷を残すと思う。
お父さんがいなくてさびしくないかと聞いたらお爺ちゃんがお父さんの代わりをしてくれる。
お爺ちゃんは50代後半と若い。温泉なんかに連れて行ってくれるという。
離婚して親の実家で暮らす人も多い。一時の苦しみから逃れるために離婚してもそれ以上の地獄を味わう事も珍しくない。
結婚は平凡な人間でも自分のレベルに合った相手が見つかるものだ。美男美女同士、高学歴同士が結婚しても上手く行くとは限らない。平凡な者同士でも世界で一番幸せな家庭を築けるのが結婚である。
最近の若いカップルは忍耐力が足りないと言われる。忍耐も必要だが結婚生活は何もしなくては良くならない。これば結婚生活に限った事ではないが仕事にしても趣味、健康管理にしても日々努力と工夫をしないといい結果は生まれない。
仲の良い夫婦、金持ちになるには努力していると思う。
人間生きていくにもいくら老いぼれても日々努力のように思う。


茅葺き民家 京都府美山町の民家 モノクロ

2015年03月08日 | 茅葺き民家
美山町板橋地区は袋小路になっている地域で茅葺き民家を撮りに来た人も余り訪れない。
一本だけ日吉町に抜ける峠道があった。
興味本位で走ってみたら車一台が通れる道で対向できない。二度と通るまいと思った。
美山町には10年以上訪れて無かった。デジカメを持って初めて訪れた。
そうしたらこの板橋地区に広い道路が出来て袋小路で無くなっていた。
京北町にも近く成っている。
以前撮影した民家も何軒か残っていた。

美山町は茅葺き民家が残っていて季節季節に訪れる事の出来る日本の故郷でもある。




日本茅葺紀行 NO,200  広島県呉市の民家

2015年03月07日 | 日本茅葺紀行
茅葺き民家にピンクの梅の花が咲いていた。
葉の落ちたシーズンの梅の花は目立つ、花の少ないシーズンだけにあんな地味で小さい花でも目立つものだ。
人生も花のないシーズンに咲くとか皆と競合しないように生きるのが必要である。
四月五月の花のシーズンに咲いても地味な花では目立たない。
マンサクの花など花としてのインパクトは無いが花のない冬の装いのなかだからみんなの目にとまる。まだ寒い日が続き春を待ちわびる人々の心に色どりを添える。
自分の人生も何かひとつ花を持ちたいものだ。
平凡な人間だったがひとつだけ輝いているものがあると言える人生で終わりたいものだ。

花と茅葺き民家は数多く撮影に行かないと遭遇しない。
ここには桜が咲く、アジサイ、ムクゲ、ヒマワリ、彼岸花とここへ何時行けば撮れると一覧表にしておく必要がある。
これからは桜のシーズンほとんど活動していないやっと重い腰を上げるか

懐かしい物  伯備線特急おき 

2015年03月06日 | 懐かしい物
伯備線に初めて特急が走った。昭和46年 西暦1971年
この「おき」は昭和47年3月の山陽新幹線岡山開業で姿を消して「やくも」になった。
わずか10ヶ月余りの運用だったて。伯備線の電化は10年あとのためディゼル特急であった。
ダイヤを見ると備中広瀬駅で交換するために広瀬駅で交換風景を撮影する。

岡山の茅葺民家 北房町の民家 モノクロ

2015年03月05日 | 茅葺き民家
北房町は現在、真庭市になった。
岡山県の北部でも中国道が走っていてインターもある。
同じ地方でも高速道路があれば有利である。工場誘致にしてもやりやすい。
しかし現実はいい道路が出来ると人は都市部に出ていくそうだ。
帰省が便利になれば遠くの都市部に住んでもいいということになる、

北房町も石灰岩の山である。石灰の採掘場もあり鍾乳洞もある。
北房より東には石灰岩は無くなって行く。
茅葺きを求めて走っていない道をひたすら走る。
走って何も発見できなければ虚しくなる。
三回続けて茅葺き民家が発見出来なかったらこんな趣味はやめていたであろう。

北房町、この近辺の町村は茅葺き民家の少ないエリアである。
昭和50年代に来ていたら残っていたであろう。それに気付かなかった自分が悪い。
辛うじて残っていたのが写真の民家だ。
人生と同じ上手く行く日ばかりではない。




茅葺き民家 大分県天瀬町の民家 モノクロ

2015年03月04日 | 茅葺き民家
玖珠、日田、天瀬を茅葺き民家を探しに走る。
温泉好きにはたまらないエリアであろ。鶴見岳から由布岳、九重、阿蘇と続く火山帯に温泉があちらこちらに湧いている。大分県は全国的に見ても群を抜いて温泉井戸が多い。
日本列島はゴミで出来た島だとテレビでやっていた。海底のサンゴの化石や海底の堆積物、火山の噴石物や火山灰で出来ている。いくつものプレートが重なり合う地理的に厳しい国土て゛もある。巨大地震や火山の噴火から避けられない宿命をもった国土でもある。
しかし、悲劇的にだけとらえるのではなく地形的な利点も沢山あるのを評価するなり活用すべきである。

天瀬町、今は日田市に編入されたようだ。
町の中心は川沿いの平野部のみ集落は山の上の平坦な所に集落が点在している。川沿いに温泉街があった。。
細い集落を結ぶ道を茅葺きを求めてひたすら走る。
茅葺き民家は茅と杉皮で葺いた民家が混在する。
普通の寄棟と曲がり屋のような形状の民家が混在する。
棟には棟飾りを乗せている。棟飾りに茅を束ねただこ造りも見掛ける。
何度か訪れないと回りきれない。行ったもののもう何も残っていないようで再訪に踏み切れない。




日本茅葺紀行 NO,199  山口県防府市の民家

2015年03月03日 | 日本茅葺紀行
山口県防府市周辺に茅葺き民家探訪
広島市までは一般道それより西は高速道を使う。
高速を使うので日帰りも可能
観光旅行でもすれば一泊してゆっくりするのだが茅葺き民家を撮影したらさっさと帰る。
宮本常一氏の生まれ育った周防大島へも行きたいが中々、実行できないでいる。

防府市には防府天満宮が梅の頃には観光客も多い。
私は神社仏閣は余り興味がなく車椅子の生活になると階段や上り坂で門前で拒まれる事が多く次第に行かなくなった。
それでも防府天満宮には2回行った、車で上まで登れる。大宰府天満宮、北野天満宮は平地だし天満宮には立ち寄っているものだ。
しかし車椅子は玉砂利を敷かれると全く進めない。

この日は防府市郊外から徳地に掛けて茅葺き民家を探す。
寄棟が基本だが佐賀のクド造りの民家も見受けられる。
田舎の風景の中、こんな民家に住み維持管理していてくれるのに官舎である。
こんな風景に出合うのが私の眼の保養であり心の健康の原点でもある。




蒸気機関車 79668号機

2015年03月02日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県行橋機関区

79668号機の除煙板には波と千鳥のステンレス板を加工し装飾されている。
この蒸気機関車は終焉近くまで残っていたので撮影した人は多いと思う。
以前C5058号機に着いていた物を転用したと書いてある。
鉄道のファンは多く情報も大変濃い。蒸気機関車は40年以上前の写真だがブログなどから見て大変な量の写真を個人が所蔵している。なかには撮った本人が亡くなったり興味がなくなりタンス写真になっているのも多いと思う。

私は古い給水塔の横に停車していた蒸気機関車と一緒に撮影する。
ついでに切り取り除煙板も撮影する。
切り取り除煙板は九州の鉄道ファンの方には人気がある。
関東の人の中には批判的な人もいる。私はC55型やC57型の蒸気機関車に付いたのは格好よいと思う。切り取り除煙板は関さんという方が本を書いている。
これの付いた機関車が218両いるそうだ。
蒸気機関車がブームになる前から撮っていたのであろう。
自分は何台撮影しているだろうか時間があれば写真を集めてみたい。
何事もブームになってからでは遅い。硬券など高い値段で取引されているバブルになりババを引くことになる。




岡山の茅葺民家 勝山町星山 モノクロ

2015年03月01日 | 茅葺き民家
勝山町星山には何度か行ったが雪の頃が多い。
雪景色では雪でほとんどが隠され人々の暮らしがわからない。
田や畑の造りや家の周りに置かれている農具や道具も見えない。
雪の無いシーズンの写真が少ないのは残念だ。
まだ歩けてた12年ほど前に一人で訪れた頃には茅葺き民家はトタンを覆い消えていた。
星山のように隣の集落とは5キロも離れた隔絶した地域である。
こんなところには昔ながらの生活や文化、建造物が残っていそうで訪れる時はワクワクするものだ。


民家の横に地神が置かれている。岡山県には花崗岩が豊富に産するので花崗岩を自然石のまま使ったものが多い。
岡山県ではよく目にする。徳島の阿波藩で信仰されたようだ。
土地の祖神や農神を指すそうだ。徳島、。香川、岡山で眼にすると書かれている。
岡山中にいくらあるのであろうか、どの世界でも黙々と記録している人もいると思う。
神様を撤去するほど日本人の心は荒廃していると思うが。