懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 屋敷林のある風景

2015年12月20日 | 茅葺き民家
斐川平野、出雲平野は季節風が強く家の三辺を屋敷林で囲っている。
全国的にはもっと風の強いところがあるが必ずしも防風林があるわけでもない。
風を防ぐ方法は屋敷林だけでなく防風林、石垣、板塀や竹囲いもある。
こんな防風と民家や生活を記録していくのも面白い。

襟裳岬も風が強く海に砂が飛ばされ海草も育たなかった。松の防風林を長い時間を掛けて整備した。松を植えて海が豊になるか懐疑的であったが今は昆布の名産地になった。
畑も海も風を防ぐ工夫と歴史がある。


斐川平野の屋敷林は築地松とよばれている。黒松を餓えている.
反り棟と築地松の民家が撮れるのが嬉しい。


日本茅葺紀行 NO,260 三重県伊賀市

2015年12月19日 | 日本茅葺紀行
伊賀市は400メートルから500メートルの台地にある。
冬場に行くと雪がちらつく事がある。
一度冬走行の準備もしていないのに積雪のある中をはしった。
奈良県から山を越えたら寄棟造りの民家になる。
余り茅葺民家は残っていないが茅葺があるだけありがたい。

観光も兼ねて旅行をする。忍者ショーや松尾芭蕉の生家に立ち寄る。

昭和の遺物たち 消えた特急列車 その3

2015年12月18日 | 昭和の遺物たち写真展
0系新幹線、東京駅にて山陽新幹線岡山の開業日 昭和47年3月15日
この頃はすべて0系新幹線だった。
カメラも新幹線を撮るにはシャッタースピード、フィルムとも厳しかった。
鉄道としての骨董価値もなく新幹線を撮る人はすくなかった。

早朝、東京駅に鉄道ファンらしき人が5名ほど来ていた。
報道陣の向いのホームで撮った。
三月の東京朝6時は東は薄明るくなっていた。三脚で撮影した。
岡山の始発列車は暗いなかでの開業発車風景だ。
フラッシュを使った撮影になっている。
開業日に新幹線に乗り岡山に帰った。記念の絵葉書をもらうために
今も処分もせず持っている。



岡山の茅葺民家 旧加茂町の民家

2015年12月17日 | 茅葺き民家
岡山県の茅葺民家の撮影は茅葺を撮り始めた最初の二年間でカメラが一台しかなくカラーはほとんど撮っていない。
カラーとモノクロを展示するとモノクロが見劣りする。
混在展示しないようにモノクロだけで通すしかない。
カラー展示にはモノクロは展示しないようにしている。
岡山県の茅葺民家をデジカメで撮ろうと思っても茅葺が激減してしまった。

リバーサルフィルムで撮ったのがあったが色があまりよくない。
今のカメラは本当にありがたい。しかし、被写体は昭和にかなわない。

小屋もカヤの家があった。茅が大分くたびれている。
母屋はトタンをかけ小屋はなくなった。

茅葺き民家 兵庫県東条町の民家

2015年12月16日 | 茅葺き民家
東条町は現在、加東市となっている。
滝野、社などと合併して旧の加東郡が加東市にめなったようだ。
私は小野市から吉川、三木市、神戸市と茅葺きを求めて東進した。
まだ健康だったので自分で運転し山坂を歩いて茅葺きを」探していた。
あんな頃は大変楽しかった
兵庫県も姫路や播磨には全く茅葺きがないのに神戸近づくに従い茅葺きが増えてくる。
不思議なものだ何か茅葺きが残った要因があるはずだ。

長年茅葺きを撮っていると感動が薄れてくる。
何事も初心忘れずである。

茅葺き民家の写真撮影は個人の生活圏に入り込み撮影をする。
住人には迷惑な訪問者である。恥を重ね迷惑極まりない行為のうえにたった趣味である。
撮っている本人は時代の建物を記録していると表向きにはいうが


日本茅葺紀行 NO,259 秋田県乳頭温泉郷

2015年12月15日 | 日本茅葺紀行
秋田田沢湖から北へ山の中にある乳頭温泉郷
ブナ林の中の山中に点在している。
1年前から予約していないと泊まれない人気NO,1の温泉だそうだ。
秋の行楽シーズンに電話したらキャンセルがあり泊まる事ができた。
宿泊費も二食ついて8500円くらいであった。
泊まった客と話をしていたら埼玉から来ている若い夫婦、レンタカーが借りられずタクシーで駅から来たら6000円かかったというので田沢湖駅まで送っいく。
途中、一緒に黒湯と鶴の湯に立ち寄り茅葺きの建物を写す。
鶴の湯の乳白色の湯はやはり素晴らしい。
乳頭温泉は乳頭山の麓に点在する。
乳房を伏せたような形で俗に乳頭山と呼ばれている。
由布岳のようなトロイデタイプの山である。
東北の真ん中は火山帯が那須、日光と関東まで続く。
日本海溝に潜り込み摩擦の一番大きい部分に火山があるのであろう。




昭和の遺物たち 消えた特急列車 その2

2015年12月14日 | 昭和の遺物たち写真展
今回はブルートレイン 寝台特急あかつき
岡山ではブルトレは新大阪行きの列車が夏場早朝に撮れた。瀬戸など宇野までの列車は早朝にとれた。
東京行は深夜の運行なので三脚で停車風景を撮るしかなかった。

鉄道趣味をやっていないので寝台特急がどの程度残っているかは知らない。
かって昔から長く走った富士などが廃止になる時は話題になりマスコミで報道された。
大変な人出と人気である。
一杯走っている時にゆっくり沢山撮っておけばとおもうのだが
昭和40年代は寝台特急は花盛りだった。しかし、新幹線の拡充、格安航空券、高速バスとの競争に負けて運行が難しくなった。

ブームになり話題になると一気に人が集まる。付和雷同の言葉がある。
他人がやっていないと不安、他人がやれば安心が人間の心理にはある。
災害のときにもある。大地震のあとみんなが落ち着いていれば安心して津波がくるから逃げる行動を妨げる。相場の格言にもある「人の行く裏に道あり花の山」

儲けも趣味も人の後追いでは大して儲からないということであろう。
どうすれば人のやらない時にテーマの発掘ができるか
これは難しい日頃から新聞やテレビ報道に関心を持ちヒントをもらう事であろうか


蒸気機関車 C57室蘭本線快走

2015年12月13日 | 蒸気機関車
C57型蒸気機関車は貴公子のニックネームの通り格好がよい。
すらっとしている走る姿も軽やかである。スケートの羽生選手のようである。
室蘭本線は直線が続くのであっと言う間に通りすきる。
二台のカメラで撮っていたがあんな事はすべきでなかった。
二兎追う者は一兎もえずである。
三脚に一台手持ちで一台でやってきも上手くいくはずはない。
鉄道写真は三脚撮りは平凡である。
列車を状況に合わせ追っていく写真が撮れる手持ちがよい。
三脚写真は躍動感がない。
映画の撮影もやくざ映画や戦闘シーンは人の動きに合わせてカメラも移動する。
スポーツも陸上や水泳でもおなじみである。
特に蒸気機関車は煙が時々刻々動くのでそれに合わせて向きを調整する必要がある。

C57ばかり追っていた人もいることであろう。




岡山の茅葺民家 旧吉永町八塔寺の民家

2015年12月12日 | 茅葺き民家
八塔寺は岡山県のふるさと村に登録されていた。
昭和50年代に消えゆく故郷の風景が残る地域を選定し保存していた。
しかし、この財政難の時代、支援は打ち切られた。
それでも茅葺きは残っている。それを支える団体や個人がいるのであろう。

費用対効果の少ない事業を40年も続けただけでも素晴らしいとおもう。
これからの日本は少子高齢化に多額の借金、ギリシャのようになれば年金支給の半減、さらに増税の時代がくるかもしれない。いろいろな優遇策は見直しの時代がくる。
そんな時代がくると文化財の保存にも見直しがくる。
文化財も未来永劫残るとは限らない。

こんな人の住んでいない保存された民家を投稿するのは八塔寺を知らない県外の人をだますようで心苦しい気もする。

茅葺き民家 消えた茅葺き民家

2015年12月11日 | 茅葺き民家
撮影場所 広島県熊野町

熊野町は広島市の東隣りになる。
ここに茅葺き民家が沢山あると聞いた時は疑った。
広島県南部にしかも広島市の隣に茅葺きがあることは想像できなかった。
それでも広島でコツコツ茅葺き民家を撮っている人がいる。
広島県に住んでいる人が茅葺き民家の写真展があると教えて教えてくれた。
何回か写真展や絵画展に行った.
こんな機会や人との出会いがなければ広島県南部の茅葺き民家に出会わなかった。

どの県に行っても地域の茅葺きや民家を撮っている人がいる。
そんな人から情報を教えてもらうのが一番である。感謝感謝です。

熊野町に7年ぶりに行ったら茅葺き民家が消えていた。
茅葺きがあるだけで故郷の風景になる。
懐かしい風景に出会えるのを楽しみにしている。