懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺民家  兵庫県旧千種町 あれから22年

2017年02月11日 | 茅葺き民家
岡山県内の茅葺民家を撮り終え隣県へと足を伸ばした。

兵庫県で早くから通ったのが千種町だった。
岡山県の東粟倉村から峠を越えたら千種町だった。
そのころは千種町にも茅葺民家は沢山残っていた。

あれから20年以上になる。
20年も一生懸命続けるとプロになれるという。
しかし、一向に写真はうまくならない。センスとアピールする知恵がない。
センスのある人はコンテストに入選し先生と呼ばれていて人の指導もしている。

写真のクラブに入り習ったこともなくコンテストに応募したこともない。
人に知れず自己満足の世界でやっている。
写真をやっている人で知っている人も居ないので平気で写真展をする。

40代も終盤になったころ自分は20年以上続けた趣味がなかった。
何か残さないと死ぬ前になり悔いが残るとおもった。
それから現在まで茅葺民家を撮っているが活動は少なくなったがたまにはカメラを持ち出かける。


日本茅葺紀行 NO,345 鳥取県智頭町の民家

2017年02月10日 | 日本茅葺紀行
鳥取県智頭町は今年度一月の大雪で長時間渋滞になった国道373号線
これは岡山県の西粟倉村と智頭町を結んでいる。
これに並行して鳥取自動車道が並走している。

またの大雪でかなりの積雪が予想される。
智頭町は何度も足を運んだ。茅葺民家が沢山のこっていた
それがここ15年ですっかり姿を消した。

建物も人々の暮らしも社会的環境も少しづつ変化かしている。10年20年30年と時間の経過で時代は大きく変わっていく。

岡山からは国道53号線から黒尾峠を越えていくのが一般的でる。
峠の手前でタイヤチェーンを付けて登っていく。
雪が少ないとタイヤチェーンはガタガタと乗り心地が悪い。

雪の降り続く日は立往生するのきが怖いので行かない。
智頭町の映像が出る都度冬の雪の日にも何度か撮影に行ったのを思い出す。

私の昭和鉄道遺産 その19 日豊線宮崎駅

2017年02月09日 | 私の昭和鉄道遺産

日豊線の宮崎駅にC6118号機

普通客車を牽引してこれから発車だ。
C61型蒸気機関車は奥羽線の電化で日豊線に転属になった。
大型の蒸気機関車が廃車になり僅かに残った路線だった。
ここ日豊線も電化で蒸気機関車も姿を消した。

昭和の時代の客車や貨車が写真に記録されている
現在では大きな問題になる線路に入っての撮影。
マナーの悪さまで記録されているのだ。
こんな鉄道風景を追いかけた20代の自分、家でゲームばかりして人との会話もないよりましだったか。

機関車ばかり撮るのではなく乗客や駅前の風景など人々の暮らしも記録がほしかった。






2016年 茅葺写真展 各地の形 四方蓋造り

2017年02月08日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 徳島県貞光町

四方蓋造りは寄棟の民家に広い瓦の庇を付けた民家
庇は下屋とも呼ばれている。瓦は本瓦の重量感のあるものが多い。
この民家は香川 、徳島 岡山の瀬戸内海周辺で見られるがこの近辺の茅葺民家は少ない。
絶滅前に是非撮りたい民家である。

鉄道マニアならば廃止されるとなると大勢のファンが押し掛ける。
茅葺ファンは数えるくらいの人数 知らぬ間に消滅していくのだろう。

茅葺民家  秋田県五城目町蛇喰

2017年02月07日 | 茅葺き民家
乳頭温泉に泊り秋田の茅葺民家を探しながら五城目町に向かう。
五城目町の北ノ股に五軒茅葺民家が並んでいるという情報をもとに訪れる。
着いた時は秋の夕暮れだった。
新幹線できたので三脚は持っていなかった。まだフィルムカメラだった。
五軒茅葺民家は並んでいたが住んでいるのは一軒だけだった。
おとずれるのが20年おそがった。
昭和50年代ならば秋田や山形には懐かしい風景が満載で残っていたと思う。

北ノ股の手前に蛇喰(じゃばみ)という集落があった。
こんな怖い名前が付くには何か伝説てどもあるのだろうか
ここにも茅葺民家は有ったが人の生活している家は少なかった。

あれ以来この地域には行っていない。茅葺きも姿を消したことであろう。
今も懐かしい風景が撮れるであろうか 

日本茅葺紀行 NO,344 兵庫県猪名川町の民家 

2017年02月06日 | 日本茅葺紀行
兵庫県猪名川町は兵庫県の東部で隣は大阪府能勢町である。
茅葺を探してどんどん東に行っていたら猪名川町や能勢町に達した。
この先に何があるのかどんな風景が待ち受けているのかどんどん進むのは面白い。
ガイドブックなどなしで自分で効率が悪いが探すのが面白い。
茅葺民家がなければい猪名川町にはくることもなかった。

縄文時代に日本にやってきた海洋民族や中世にアメリカ大陸を発見した船乗りなどはどんな思いで新天地をめざしたのであろう。

茅葺民家など発見しても何にもならないが自分自身にしたら発見する都度生き甲斐になっていた。人間は楽しい物や夢中になれる物に出会えるのが一番幸せだ。
定年後になり健康であればテーマをもって各地を巡る人は大勢いる。
ブログやSNSで公表できる媒体が高齢者をふくめての行動力を増している。

猪名川町から篠山に向かう県道沿いあった茅葺民家、早々とトタンを掛けた。

白内障両目手術

2017年02月06日 | 日記
年々目が見えなくなってきた。次第に字も見えなくなる。ぼやける、濁る右目は視力が0.04まで下がった。新聞も見出しだけで半年以上読んでいない。
ブログを書くのが毎日苦痛だった。
そんな目で昨年写真展をしたものだ色が合っていたかピントがどうだったか見えにくいままやった。

検査から四ケ月待ちで両目の手術が完了した。
白内障は目の老化で年間140万人が手術を受けるそうだ。
毎年老人の仲間入りが200万人、その7割が手術を受けている。
老人の数だけ儲かる眼医者かなである。

白内障はレンズの役目の水晶体が加齢のために濁り視力低下やカスミを起こす。
目を二ミリほど切開し水晶体のゼリーのような物質を破砕吸引してゼリーの入っていいた袋に人工レンズを入れる。
手術は20分から30分で終わるが準備の点滴や目薬で一時間、術後安静一時間かかる。

麻酔を点眼するので痛みはないが目は見えるので針が刺され糸で縫うのもよくわかるので気持ちいいものでない。

眼帯が外せたがパソコンは長時間見るのはよくない。大変疲れたしぼやけてくる。
完治まで炎症防止で一か月点滴日に三回

手術後は目は輪郭鮮明、色は鮮やかブラウン管の出始めのカラーテレビが50インチの液晶テレビになったくらいの差がある。
北京のPM2.5の冬空と日本の田舎の空程鮮明度が違う
ただし色は少し青みが強い。染色をする人は困るのでは