懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 縁側 モノクロ

2017年05月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県旧吉田村 (現在は雲南市)

吉田村には茅葺きが残っていると役場で教えてもらった。
南は中国山地が迫る初めて行ったときは時代が昭和で停まっていた。
それが何とも懐かしかった。
茅葺き撮影冥利に尽きる風景が残っていた。

一般道を走って五時間はかかる。撮影時間は限られている。
もう夕暮れになった。
おとずれた家の御主人が縁側で休んでいるところを撮影させてもらう。

普段着のまま普通の生活が撮りたい。
家の中まで入り顔まで撮影する。厚かましい趣味である。
こんな趣味をしていると随分恥を重ねてきた。

縁側のある家も少なくなった。

吉田村は高速道路が出来て2時間半で行けるだろう。
さて茅葺民家がいくら残っているであろうか

日本茅葺紀行 NO,365 水鏡と茅葺き民家 その2

2017年05月11日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県篠山市、三木市

兵庫県南部の田植えは6月中旬までに終わる。
5月の末から6月初旬に代掻きや田植えが見られる。
今年は一度もカメラを持って出かけていない。

もう人生を諦めて投げてしまった感じだ。
新しい物に挑戦しても残された映像や資料もゴミを増やすだけと思うと時間と金を掛ける気になれない。
兄が亡くなり自分も死ぬための整理と片付けをしておかないと思う。

過去に撮影した兵庫県の水鏡と茅葺き民家をお送りします。
水鏡は風があれば波が出来てと美しくない。
気温が上がると対流で風が吹く出来るだけ早朝がよい。





朝日を浴びて 蒸気機関車

2017年05月10日 | 蒸気機関車



撮影場所  兵庫県播但線寺前付近
C57型蒸気機関車が貨物列車を牽引して山越えだ。

親父ギャグに準備万端(播但線)というのがある。今ならば準備万端(播但)自動車道という。

真夜中に準備万端で出発し早朝の播但線を目指した。
早朝に飛び出し撮影に向かう時はエネルギーが満ち溢れている。
八時に起きてゆっくり飯を食べて新聞読のとは一日の時間の過ごし方が違う。
天気がわるかろうが雨が降ろうが出かけていく活発さがうらやましい。

夜明け前から出かける事がなくなった。
これを老化といいのだろう気力が萎えている。
日の出前から散歩やラジオ体操に行く人は偉い。

私にも早朝からエネルギーに満ちて活動した時代があったのだと写真を見て思った。
歳を取っても止めることなく何十年も継続している人は生涯に素晴らしい足跡を残す事であろう。



若い女性も歩く

2017年05月09日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市玉島


古い本瓦葺きの民家の前を若い女性が通る。
本当はこんな風景に似合うお年寄に通ってもらいたいがなかなか通らない。
しかたなく若い女性を撮影する。
こんな若かった女性も今ではおばあちゃんになっているだろう。

古い民家は味わいがある。
一軒一軒丁寧に記録しておくべきだった。
死ぬ間際がきて人間はあの時こうすればよかったと悔むものだ。

毎年何をする毎月何をすると目標を決めて生きてこなかったのに起因する。
自分の興味のあるものを書き出してみる、スクラップや資料を集めることも日々必要だった。

今の人はデジカメでどんな目的で撮影しているのだろう。
ブログやSNS投稿、家族の記録 自分の生活の記録、後世に残すため。
コンテストや写真クラブの活動のため

今はフィルム代を気にする事なく撮れるがテーマが見つけられない。
どんな物を撮影するのか一生涯のライフワークになるテーマを探すのが必要に思う。
何歳になっても世の中の動きには関心を持ち何がどう変化していくかを考える事か



2016年 茅葺写真展 造り酒屋 その2

2017年05月08日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 大分県耶馬渓町

中津市から耶馬渓町に入る。
九州の東側はまだ高速道路が出来ていなくて結構時間がかかる。
九州自動車道から大分自動車道で遠回りしたのと変わらな。

中津市で中津名物の鳥のから揚げを食べる。B級グルメで話題になっている。
沢山のから揚げ屋がありケンタッキーフライドチキンが撤退したと言われているから揚げの街だそうだ。
一度は物は試しに買って食べる。
一袋買い家内とぼそぼそ車の中で食べる。
所詮から揚げである腹が空いていたら美味しく感じるが満腹だったらそう感じない。
歳を取ると若い時の様に空腹でたまらない事がなくなった。
特に私など動かないので腹が空かない。
孫など家に来たらさっき食べたばかりでおなか空いたとばかり言っている。

耶馬渓町に茅葺民家の造り酒屋があった。レンガ造りの煙突がある。
山国川の川ぞいにあった。
他にも茅葺民家があった。

ここから日田市の小鹿田焼きの里を目指して走る。


茅葺き民家 岡山県旧加茂町倉見

2017年05月07日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧加茂町倉見

県北部の端の集落は過疎化、限界集落が進んでいる。
もうこの集落には15年行っていない。
自分で車の運転が出来なくなったこともあるが絵になる茅葺民家も消えてから撮影する物がなくなった。
茅葺き民家が無くなるとどんな物を撮ればいいのか思いつかない。
どんな物を撮れば日本の田舎の風景が表現できるのか
小さな神社、田の石垣、自然の小川、棚田、田の法面の柿の木
しかし、車椅子では行ける場所に限りがある。所詮撮るものも限られる。

倉見の集落にはかって300人が暮らしていたそうだ。
私が訪れた頃は十数軒の茅葺民家が残っていた。
穏やかな人々の日々暮らしがあった。
小学校が閉校になりその小学校の痕跡も残っていない。
あれから二十数年で風景は大きく変わった。
変ったのはここだけでない全国の過疎地で見られる現象である。
かっては小さな棚田だった土地も区画整備で広い田に生まれ変わったが米作のおかられている厳しい現実や過疎化による働き手の減少で村落の維持、土地の維持も難しい。

写真の民家の痕跡は今も残っているのだろうか


日本茅葺紀行 NO,364 水鏡と茅葺き民家

2017年05月06日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県大朝町

田植え前に代掻きをして水を張った状態の田は日本の風景だ。
出来る事なら茅葺民家や日本家屋と撮影したい。
プレハブや地中海風の屋根の民家は日本の風景に程遠い。

田植えのための代掻きは早いところは4月下旬から遅いところでは6月初旬と幅がある。
おおよその想定で行ってみても土のままだったり張った水が抜けていたら丁度というわけには行かない。
田植え前の代掻きの終わった後は水鏡になり美しい。
田植えが終ると苗が浮くので水を抜くところもある。
丁度いいタイミングに出会うには数いくしかない。

何年も通っていたら偶然出会えることもある。






私の昭和鉄道遺産 その29  北九州の9600型

2017年05月05日 | 私の昭和鉄道遺産
北九州へ夜行に乗り向かった。

着いた北九州は雨だった。
休暇を計画的に取っているので雨でも行かなくてはならない。
朝になっても暗い。気分も暗くなる。

蒸気機関車の写真撮りの日は雨が多かった。
晴れの日がむしろ少なかった。
フィルムの感度も低かった。
撮影には厳しい一日だった。
雨に濡れている線路を見ていると何か寂しい。
自分の生きてきた自信のない人生を見ているようで虚しい。

自信に溢れて生きている若者がうらやましい。
人生は何とも頼りない者も結婚を家族を守りながら次第に自信もついてくるととものに厚かましくなってくる。

雨に濡れた線路を見ていると自分の生きた時代を思い出す。

筑豊線の駅にたたずむ9600型蒸気機関車

板壁の通り

2017年05月04日 | 懐かしい物
通りの板壁やなまこ壁、漆喰壁の続く路地
車の通るところではない。歩いたら自転車から見る風景だ。
都会ではショッピングなどで歩く事が多いが
田舎では買い物も車でこんなところを歩く事もなくなった。

こんな所は今では貴重な風景だ。
モノクロで撮るといい味がある。
100箇所くらい板壁を探したかった。
なまこ壁100箇所、板壁100箇所、漆喰や土壁100箇所と目標を決めて撮っておいたほうがよかった。




2016年 茅葺写真展 造り酒屋 その1

2017年05月03日 | 2016茅葺写真展
茅葺きの造り酒屋を投稿します。

私の子供の頃には造り酒屋も各町村にひとつはあった。
造り酒屋や醤油味噌、製材所が町や村の製造所で産業であった。

地方の金持ちの家が代々造り酒屋をやっていた。
しかし、酒もビール、ワイン、ウイスキー、焼酎など嗜好も時代のめ変化があり飲む人も減った。
あれだけあった造り酒屋も淘汰されていった。
小さな造り酒屋は廃業に追い込まれた。現在は2000箇所くらいか

そんな厳しい状況の造り酒屋で茅葺のところをひろってみた。茅葺き民家を撮影しながら偶然見つけたものです。

撮影場所 佐賀県鹿島市三河内