懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 寂れゆく民家

2017年09月21日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市玉島

昔からの古い街並み家が傷み住む人もいなくなりそのまま放置され解体される。
現代の生活をするには駐車場も必要である。
町家は道路一杯に家が建てられ隣とはくっついている家もある。
こんな家は外壁が痛んでも補修のしようがない。

建てられて100年も経過すると工法も材質もまるで違う。
100年前の材料と工法にするには職人がいないしコストも掛かる。
道路が狭く防災的に密集地は危険性がある。
都市計画の進んだ新興住宅地に住んだ方が便利で安全性が高い。

昔からの古い街並みは観光客を誘致できるところ以外、再開発は難しい。
別な地域に新興住宅地を造った方が効率的だ。

茅葺民家 モノクロ 広島県高野町

2017年09月20日 | 茅葺き民家
高野町は現在、広島県庄原市になっている。
国道で峠を越えれば島根県
県境の町でもある。
現在は高速道路もできて随分はやくなった。
初めて訪れたのは一般道で四時間以上かかった。
途中に茅葺民家や木の橋や半鐘などがあれば撮影するのでどれくらいかかるのかは分からない。

初めて訪れた時は田舎の雰囲気を十分残していた。茅葺きも15軒はあったか
田舎の雰囲気を残している風景とは
1.川が自然のまま 石垣の護岸や自然のまま コンクリートでない。
2.鎮守の森が維持管理されている。
3.民家も日本家屋が多い プレハブメーカーの建物がすくない
4.田畑も山も手入れがされている
などであろうか

しかし何度が訪れていこる間に田舎の雰囲気が変質してきた。
過疎高齢化、若者の人口流出で活気が失われているように思う。

日本茅葺紀行 NO,393 秋の新潟の民家

2017年09月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県旧大島村(現在は上越市)


岡山を早朝にでて新潟県上越市に着くのが14時くらい。
一般道で山間部に入る。茅葺民家のあるところまでは一時間はかかる。
秋の夕暮れ陽が暮れるのが早い。明るさのある時間まで撮っても二時間しかない。

それにしても台風18号は偏西風に乗ったら早かった。
寝る時は兵庫県にいたのに起きたら男鹿半島だった。
朝食後テレビを見ていたら北海道までいっていた。

高速道路より断然早い。最短距離で走るしトイレ食事休憩はないし早いはずた。
時速80km/hだと。オートバイでこの速度で走ると受ける風圧は凄い。台風の風速が加わり台風の威力は増したくらいだった。

夕方の光は赤身がかかり美しくないので好きではない。
デジカメになり調整ができるのが楽だ。
山間集落に少しは茅葺民家が残る。
新潟県特有の中門造りと壁は板張りである。豪雪地帯なので家の背が高い。
ススキが穂を白くしている。
ススキは9月では穂が出かけ、白くなるのは10月中旬、11月のススキが一番美しいか。



蒸気機関車 伯備線総社郊外

2017年09月18日 | 蒸気機関車
伯備線の下りの線路を重連の貨物列車が走る。
しかし、場所が思い出せない。
伯備線は倉敷と高梁は複線で上下線が離れるところは何か所しかない。
どう見ても総社市郊外の井尻野あたりではないかと思う。

車など持っていなかった時代、総社駅から線路いに歩いてきたのだろうか

写真を撮って置けば日々の自分の行動の記録が残る。
しかし、撮るほどにコストが掛かる。今の時代は恵まれている。
今自分の生きた人生を振り返ると思い出の貯金を一杯持っている人はハッピーだと思う。

日々の行動を写真に残す。スクラップブックに資料を張り付ける。日記を書く。
俳句川柳を作る。コレクションをする。
自分の行動や思考が資料に残れば生きた人生の証だ。

懐かしい物  郵便配達

2017年09月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井

なまこ壁の蔵の続く通りを自転車に乗った郵便配達がくる。
郵便配達がバイクになって何十年になる。
平成も来年で30年になるのだ。平成にはバイクになっていたであろう。

昭和の昔からの街並みは美しいと思う。派手さ奇抜さもなく落ち着いた風景だと思う。
全国各地にこんな風景はひっそりと沢山残っていたと思う。
その美しさにどれほど人が気付いたであろうか
中には痛んだり壊れかけた民家も多かったのでこんなの取り壊して新しくしたら思う人も多かった。

高度成長期に日本の美しい建造物が壊される恐れがでて町並み保存の気運が生まれた。

今は観光地としての古い街並みが多い。金を落としてくれない事には建物の維持が出来ない、
しかし私のみたい古い街並みは普段着の街並みである。


茅葺き民家 石垣の民家

2017年09月16日 | 茅葺き民家
撮影場所  兵庫県三田市

三田市の山の中に入る。篠山市の境まで登る。
山間集落が点々とある。
山際に石垣を積み宅地を得ている。
石垣に人々の長い暮らしの歴史が見える。

重機のない時代に地域の人々が協力して石垣を積み人力で宅地造成して家を建てたのであろう。
山間地で暮すのは大変も多いと思うが地域に住む楽しみもある。
山菜やキノコを採ったり猪を獲ったりと楽しみもある。

こんな石垣には蛇も沢山棲んでいそう。石垣から蛇が頭を出したり逃げてはいったりの子供ころの記憶が今も残る。




日本茅葺紀行 NO,392 お富さん

2017年09月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 滋賀県

鼻歌交じりでお富さんの歌を歌っていた。
昭和29年の曲だが我々年代は誰でもしっている。
学校でお富さんを唄って先生に叱られた。
軽快な曲なので鼻歌に出てくる。
その歌詞と内容の理解が大誤解
この歳になっても知らない事ばかり。
粋な黒塀 見越しの松にを粋な黒兵衛 神輿の松にと思っていた。

お富さんもやくざな男とおもっていたら女だった。
粋な黒塀 見越しの松の写真を貼っておきます。
昭和の歌は難しい語句もある。

知恵袋にお富さんの歌詞の意味を教えてほしいと質問がありそのコピペを貼っておきます。
歌舞伎の演目を歌にしたようです。


唄っていて粋な黒兵衛さんの意味を教えて下さい

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 玄治店


粋な黒塀 見越しの松にーーー源氏店の妾宅 松が黒塀から覗いている
仇な姿の 洗い髪------いまは別の男の妾になっているお富さん
死んだ筈だよ お富さんーー- 海に飛び込んで死んだ筈のお富さん
生きていたとは お釈迦さまでも-- 生きてたのかって与三郎もびっくり
知らぬ仏の お富さん ---こんなところで生きてたのかお釈迦さまでも知らぬ
エーサオー 玄治店 ----現在の日本橋人形町、昔幕府の医師の岡本玄治
の屋敷があった、その後、料亭浜田屋など粋筋の街になった


江戸の若旦那の与三郎は放蕩の結果、木更津の親類に預けられていました。
木更津の浜をぶらついていた与三郎はお富とすれ違い、互いに一目惚れしてしまいます。
ところが、お富さんは、地元のヤクザ赤間源左衛門の妾でした。
与三郎とお富さんとの浮気はバレて、その場を逃げ出したお富さんは赤間の子分に追われ海に飛び込みました。
木更津沖を船で通りかかった和泉屋の大番頭多左衛門に助けられ、保護されました。
与三郎は源左衛門と子分にめった斬りにされ、顔も体も切り傷だらけで、木更津の親類のもとへ担ぎ込まれ、強請りのタネにされました。

それから三年。
与三郎はどうにか命を取り留めたものの、家を勘当されて無頼漢となり、体中三十四箇所の刀傷の痕を売りものにする「キラレの与三」として悪名を馳せ、お富さんは多左衛門の妾となっていました。
与三郎は、ごろつき仲間の蝙蝠安に連れられて、因縁をつけて金をねだりに、洒落た構えの 黒塀から 松が覗く(見越しの松) 妾の家を訪れました。
そこに住む女の顔をよく見れば、なんとそれは三年前に別れたのお富さんだったのです。










EF664号機

2017年09月14日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所  山陽線倉敷駅

蒸気機関車が全廃に向かっている時に電気機関車や特急列車を一部撮った。
EF664号機番号が若いので撮ったのか。
国鉄時代の電気機関車も今も残っているようだ。

しかもモノクロでは色も分からない。
こんなのでは写真展も出来ない。
四十数年間捨てずにも持っていたものだ。 
死なずに長生きしたから残ったようなものだ。
死んでいたらとっくに焼却処分されていたであろう。
残された者は写真に私の怨念が滲みでてくるのではと不気味だと処分されそうだ。

懐かしい物 番犬ですけど

2017年09月13日 | 懐かしい物
撮影橋場所  岡山県新見市

茅葺民家の庭に農作物を干している。
豆でも干してあるのか筵(むしろ)や竹籠が懐かしい。
犬が番犬のため繋がれている。
顔を見ると優しい顔をしている。
吠える気配もない。
君は番犬は向かないね。
それでも夜に怪しい者や猪が来れば吠えるのだろうね。
来訪者の確認が終ったら丸くなり寝始めた。




茅葺き民家 洗濯日和

2017年09月12日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧長船町

家の庭に三又に棹を渡し洗濯物を干してある。
庭一杯に物干し場が占領している。

人がくると迂回するか洗濯物をくぐって玄関にいかなくてはならない。
三又の支えは折りたたんで移動もできる。

洗濯物を見るだけで家族構成がわかる。
独り暮らしか夫婦の二人暮らしか子供のいる家か
小さな男の子が沢山いる家は洗濯物が多い。

お婆さんの一人暮らしは物騒なので男物の作業着なども一緒に干すのだとお婆さんから聞いた。