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懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,391 篠山市の民家  

2017年09月11日 | 日本茅葺紀行
篠山市の北部に火打岩という地名がある。
どんどんと山の中に入り家も少なくなる。
最後の集落に茅葺民家があった。ここまで来た甲斐があった。
篠山市の民家も入母屋で端正な造りだ。まだ茅も痛んでいない。
もうこんな民家も姿を消したであろう。

集落を訪ね歩き茅葺き民家に出会うのは嬉しいものだ。
どんな民家に出会えるのかとワクワクしながら走る。
何でもワクワク感と感動がないと駄目だ。
篠山は各地に茅葺民家が残されていた。
自分は茅葺民家しか見ていなかったが建造物や石仏なども残っていたと思う。
地元の人との会話も十分でなかった。
ブログに書き込むという狙いがあればもっと違った物を発見していたかもしれない。

篠山市の道はすべて走ってみるべきだった。


蒸気機関車 直方駅発車

2017年09月10日 | 蒸気機関車
朝の通勤時間帯は直方駅のヤードには煙が点々と見える。
煙で存在位置や発車が近づくのが分かるのが蒸気機関車である。
黒煙が高く上がると発車が近づく心躍る瞬間である。

この瞬間は電車や気動車では味わえない。他の風景写真でも味わえないように思う。
それは心の持ちようで感動に変えられるとお叱りをうけそうだ。

9600型の牽引する貨物の横をC5557の門鉄デフの客車が走っていく。
毎日繰り返され行われた通勤風景、撮ったのはわずか一日か二日である。10年も前に気付いていたらもっと撮れていたかもしれない。
過ぎ去った人生を思うと若い頃にはもっと本を読みる自分の目標をしつかり持つことだなあとおもう。中年になっても遅くはない。それから打ち込める目標を見つける事だなあ。

懐かしい物 縁側の女性

2017年09月09日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧大佐町

茅葺の縁側に女性が座っていたので撮らせてもらう。所かまわずシャッターを押すので何を撮つたかも覚えていない。
縁側、板張り、障子戸が懐かしい。
無くなる茅葺民家とそこで暮らす人々を一心に撮影記録しようと思っていた。
平成の時代に入り茅葺民家は減少の一途に向かっていた。
そんなのを撮っている時に民俗学者の宮本常一氏の「わすれられた日本人」の本を知る。
戦後間もない頃の辺境を訪ね歩き農民や漁民の暮らしを記録している。
単行本だが司馬遼太郎氏も感銘を受けた三冊の本にあげている。
司馬遼太郎氏の街道をゆくも忘れられた日本人が原点になっているように思う。
私もこの本を読んだのが50才になってからだ。
こんなのは20代に読んでいないといけなかった。
人間は何歳になってからやっても遅くはないが20歳で始めたのと50歳から始めたのでは時代背景が違う。

写真でも50年も撮り続けている人は20代からしっかりと目標を持ち撮り続けている。
サラリーマンは結婚して30代から40代は時間的に難しい物があるが

茅葺き民家 岡山県旧加茂町の民家

2017年09月08日 | 茅葺き民家
加茂町は津山市に編入された。津山の北側に位置する。
その端に物見集落がある。
因美線が横を走って鳥取県の智頭町につながる。
峠を越えたら鳥取県である。
この峠は曲がりくねった山道だが車の対向はできる。車に出会う事もないが
私は中国五県の茅葺民家を探すために中国山地の峠をすべて越えて麓の集落を訪ねた。
物見は岡山県内なので10回は訪れた。
最初物見に行ったときは昭和の風景を漂わせていい雰囲気だった。
しかし、行くたびに茅葺き民家は姿を消した。
最初訪れた時から次に訪れたのは3年は経過していた。
一度行ったところは後回しで別の場所を探すのを優先した。

物見には10軒ほどの茅葺民家があった。物見までは加茂町の中心地から大きな登りはなくこの集落では小学生も何人か見かける。
倉見という集落がある。これも加茂町の端である。こちらは登りもありダムが出来て集落の交流がなくなり孤立している。若い人や子供は見かけない。

このあたりの川べりの野原にはコゴミが生えるので四月二〇日位に取りに行く。
野菜売り場にウドもでるので買ってきて天ぷらにして食べる。

オークションは利用しますか

2017年09月07日 | 日記
オークションは買うより売ることが多い。

買い物したのは中古のパソコン。フィルムスキャナー用でUSBでなくIEEE1394のインターフェスのものがいる。いままでに2台故障して三台目、スキャナーも製造中止にななっていてパソコンもXPのが必要だった。オークションにでていたので5800円で購入。
中古パソコン屋を見ていたがなく手に入りうれしかった。故障もなく使っている。

若い頃に鉄道趣味で入場券や記念切符、時刻表や鉄道雑誌を7年ほど買っていた。写真のネガも沢山ある。それ以前は切手を集めていた。それが衣装箱に10箱ほどあり死ぬまでに処分しようと思っている。子供はそんなものには興味もなく残しても焼却処分されるだけ。
ネットオークションで売却している。切手や記念切符は50年経過して全く人気がなく額面の7割以下
切符も硬券は使用済みでも売れる。鉄道友の会に入っている時に国鉄の改札担当の人が焼却処分の硬券切符をダンボールにもってきてくれた。余りもらい手がおらずバッグに詰めてもらって帰っていた。45年後それを売ったら30万円になった。自分で買った記念切符や切手は全く人気が無いが貰ったものが高く売れるとは不思議なもものだ。
鉄道写真の古いネガは売れる。蒸気機関車などは全廃になったので売れる。デジタルカメラのものは人気がない。

日本茅葺紀行 NO,390 広い家

2017年09月07日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  山形県飯豊町


東北や関東の茅葺民家は大きな家が多い。この家も大きい広角レンズでも端まで入らない。
茅葺き民家の人は農家の人が多く広い土地を持っている。
土地には困らない。

こんな家を建てるならサラリーマンの買える50坪の敷地では到底建てられない。
この家は周囲に屋敷林もあり敷地は一反は必要だ。
サラり―マンでも東北の田舎なら退職金と貯金で5000万円もっていれば広い家に住めるかもしれない。
茅葺き民家を撮っていた頃、山間部をうろついていた。
棚田地帯で一反30万円で買わないかとか150坪50万円で買わないかといわれた。
作物を作っても動物にすべて喰われるようなとこではストレスがたまる。
都市部の30坪の家庭菜園の方が我々には向いている。

私の昭和鉄道遺産 その42 南延岡機関庫

2017年09月06日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 日豊線 宮崎県延岡市

南延岡機関区の機関庫にいたD51176とC1255を撮影する。
特徴的機関車ではないがC1255はプレートに型式NOが入っている。

機関区には毎日何台も機関車が入れ替わり入ってくる。
近いとこころなら一日いて機関車の動きや人の作業風景を撮影すれば面白かったと思うが近場の機関区でもそんな事はしていない。
ましてや撮影旅行なら走行写真を撮るため撮影場所に足を運ぶのを優先する。

この時も機関庫に顔を出して一時間程撮影してその場を去った。
立ち寄った時にいた機関車しか撮影できない。

機関車ばかり撮る人、機関庫ばかり撮る人、駅と機関車、踏切と機関車、何かに特化した撮影をすべきだった。
私は浅く広くで終わったように思う。

懐かしい物 路地

2017年09月05日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県玉島

古い街並みの風景や人の暮らしを撮った事がある。
その中に路地を撮った物が数多くある。
撮るのなら路地という物をことごとく撮っていくべきだった。
何でも撮るのなら500箇所は撮らないと物にならない。
岡山県の古い街並みでも500箇所くらいの路地はあるとおもう。
余り撮っていないのはフィルムカメラの欠点である。不要なものは撮らないどうでもない物は撮らない。
しかし、時間が経過するとどうでもない写真も意味もをってくる。
時間が写真を熟成させるという。

人が歩くだけの狭い路地は車が通らない。板張りや漆喰の壁ができればいい。

車椅子生活になり行動が著しく制限されこんなのは撮影できなくなった。
乙武氏と同じで誰かにお世話にならないと何もできないのが辛い。

茅葺き民家 島根県旧広瀬町

2017年09月04日 | 茅葺き民家
広瀬町は北部の平野部は足立美術館があったり尼子家の居城の富田城跡があったりで観光施設もある。しかし南部の山間部に入ると過疎、限界集落に入る。
それでも国道は走っている。
その国道から細い道を一本づつ走り茅葺民家を探す。

細い道をどんどん進む車一台しか通れない道だ。
アスファルトに石が転がっている。落石が多いのである。
落石も割れた断面が三角錐になった石や刃物のような石は怖い。踏んだらパンクしたことがある。落石でフロントガラスが割れた事がある。
ガラスに小石で傷が付いた事は何度もある。フロントガラスに傷が付くと車検に通らないと言われる。
山間通行は大岩で命を落とす事もある。

茅葺き民家があればよいが何時間も走り無い事がある。
無い時はこんなアホな事はいい加減にやめないと思う。
自分の運転の時は苦にもならずに走ったが家内に運転してもらうと気になる。
家内の顔にイライラが募るのが分る。

年々、茅葺き民家は減りこんな趣味も難しくなった。
それでも茅葺民家に出合えれるとうれしいものだ。
私は美瑛や富良野の美しい風景は見たいとも思わない。人の生活している茅葺民家に出会いたい。

日本茅葺紀行 NO,389 草棟

2017年09月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所  岩手県旧大野村

草棟の民家は少なくなった。
私も岩手県に行くのが10年遅かった。
岩手はやはり遠い。
休みが十分ないと東北には行けない。

今はどれぐらい草棟の民家が残っているか。
残っている民家も状態が良くない。
なんとか建物が壊れて維持しているのが多い。
山間部は家の維持もそうだが住む人も高齢化でどんどん少なくなる。
都会に住む子供たちは田舎には帰ってこない。
人の寿命も家の寿命も尽きてしまう。