懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 特急とすれ違い

2017年11月15日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山県 山陽本線倉敷駅

山陽線の特急と伯備線の蒸気機関車がホームが隣なので一日2回ほどすれ違う。
583系の特急「はと」と蒸気機関車のすれ違いである。
博多行の表示がでている。電車にJNLの国鉄の銘板がついている。
こんな銘板もマニアの人は集めているのだろう。
国鉄が解体されたときに貨物列車に付いていた日本国有鉄道の銘板を取り外しダンボールに一箱もっていると元国鉄に勤めていた人が私の写真展でいっていた。国鉄に勤めていた特権でプレート等いろいろ集めていたと話もしていた。
こんな話には時効はないと思う。他人に言うべきではないと思う。墓場までもっていくべき話だと思う。

朝は寝台特急の霧島と伯備線の蒸気機関車の牽引する通勤普通列車がすれ違う。
寝台特急は九州から来るので五分遅れですれ違いが見られない事もあった。
そんな出会いを子供のように何度か撮りに行った。
撮影と言っても一時間ほどいるたけだった。駅で一日いてくる列車をすべて撮らなかったのか残念だ。蒸気機関車に限らす電車から気動車まですべて撮る。

懐かしい物 看板のある風景

2017年11月14日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県高梁市

古い地元醤油屋の板の看板
昔は由緒ある店にはこんな看板が掛かっていた。
街並み撮影に合わせて店の看板や暖簾も撮っておくとよかった。
300とか500も撮るといいコレクションになったと思う。
その必要性に気づいていないのてで仕方ない。
こんな古い看板でなくてもナショナルとか松下電器の看板も今となっては懐かしい。

広告や看板のなかに時代が写り込む。
看板も全体写真から細部の写真までフィルムでも5枚は撮りたかった。
一枚目はセーラー服の女子高校生が通る。
二枚目小学生の女の子が通る。



茅葺民家 モノクロ 岡山県勝山町星山の民家

2017年11月13日 | 茅葺き民家
勝山町に星山という千メートルくらいの山がある。
その登り口に星山集落がある。

昔の出雲街道であったそうだ。次は美甘の宿である。
昔の街道は厳しい山越えである。
そんな山道を殿様の篭を担いでのぼったのか殿様は馬か徒歩でのぼったのか
峠の谷底に殿様を放り投げこんなのやってられない止めたと思う人はいなかったのだろうか。

星山の集落は30戸ほどの小さな集落でここの小川が神庭(かんば)の滝に落ちる。
洗濯や風呂の生活排水も滝の水として降り注ぐ。
そんな集落に茅葺民家が7軒ほど残っていた。

下屋のない古い民家があった。縁側は昔のままで時代を感じる。お婆さんの一人暮らしだった。
もっとじっくりとっておきたかったがフィルムカメラの辛いところだ数枚撮って終わりである。

宮本常一氏の著書に忘れられた日本人という本がある。忘れられた集落や忘れられた人々は今後も問題として取り上げられるであろう。

日本茅葺紀行 NO,406 山口県徳地町の民家

2017年11月12日 | 日本茅葺紀行
各県の茅葺民家を撮ろうと頑張っていた時期がある。
山口は同じ中国地方なので行かなければならなかった。
所在の確固たる情報がないまま訪れる。

現地に行って自分の感にたよるしかなかった。
最初の旅は観光旅行も兼ねてありそうな場所を探す事だった。
昔からの落ち着いた風景の土地に茅葺民家は残っていた。

高速道路の防府あたりで降りて北上する。
茅葺民家は点在していたが来るのが15年遅かった。
時間が待ってくれなかった。

庭木の手入れの行き届いた茅葺民家があった。
屋根は箱棟で下屋もついている。赤い石州瓦が使われてる。
広島や島根でも見られる風景だ。

今日のNHKの小さな旅は新潟県阿賀野市の安田瓦の製造所の映像だった。
雪国は瓦は厳しいと思ったが土地土地の工夫がされてるのだ。
若い人の新築民家も家内安全を祈って怖い顔の鬼瓦を注文があるようだ。
瓦は重くて地震の被害も大きいので嫌われているが甍の風景は日本の伝統文化だ。

私の昭和鉄道遺産 その50  行橋機関区

2017年11月11日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 福岡県行橋機関区

行橋機関区で給水中の9600型蒸気機関車
田川線を蒸気機関車が走っていた。
ボイラーに使う水は普通は純水を使うが鉄道の場合は純水装置を各給水所に設置出来ないので水道水を使うのであろうか
水には炭酸カルシウムなど沢山の不純物を含んでいる。沸騰するほど加温すると配管に石のようにスケールが付着する。
電気ポットを長年使うとスケールが付着するように。ポットの場合酒石酸で溶解させるが蒸気機関車も定期的に配管などの酸洗いをしていたのであろう。
蒸気機関車は走行中はボイラードラムの下から不純物が濃縮しないよう常に数パーセントブローしていた。

日豊線は大分まで電化されていたので駅構内は架線が張られていた。
行橋には旅行で何度も通ったが車のため駅構内に行くことはない。蒸気機関車を撮影に通ったところも行くこともない。
車椅子生活で行けないのもあるが余り行こうとも思わない。

駅構内には貨物列車や客車、気動車が停車されている。
こんなのが廃車されるとは思わなかったので撮影もしていない。
蒸気機関車が廃止され給水設備もいずれ無くなるとはイメージできたが貨物や客車は無くなるとはおもっていない。
あれだけ沢山貨物や客車が置いてあれば廃止がイメージできないものだ。

トイレが綺麗と思う施設はどこ

2017年11月10日 | 日記
トイレは昔に比べると綺麗になった。
昔の駅や映画館の公園のトイレは酷かった。3Kトイレである。汚い臭い暗い
男のトイレは俗称金隠しもなく横並びで放尿していた。尿の炭酸カルシュームが積層していた。

私は障害者のため車椅子で身体障害者のトイレを使う。
高速道路SA,PA,道の駅や大型スーパー、公共施設に障害者用トイレを設置してくれているのて旅行もしやすくなった。
障害者用トイレは広く大人用着替えベッドやオムツ替えの設備も備え温水も出るので使い良い。
音も気にする事もなくあれを一度使うと病みつきになる健全者がいる。
観光バスのおばちゃんや長距離の運転手が入っている事がある。
障害者トイレで小学生が煙草を吸っていたのもいたし若い男女が出てきた事もあった。着替えベッドでセックスをしていたのではないかと思われる。
犬のケージが汚れたのか中で洗っていた女性がいた。床面がビチョビチョで出るのでちゃんと拭いてくれといったらそのまま立ち去った。車椅子では追いかけてこないとおもったのか仕方なく家内にモップを借りてきてもらい拭いた。

懐かしい風景 坊さんお経

2017年11月10日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県岡山市庭瀬

庭瀬の古い街並みの中を僧侶がお盆前に供養に回っている。
スーパーカブ号に乗って回っている。
このころは原付はヘルメットがいらなかったのだ.
原動機付き自転車で自転車扱いだったのだ。
私の子供の頃には自転車にエンジンを付けた原動機付き自転車というのがあった。
しかしスーパーカブは明らかにオートバイである。
息の長い低燃費のオートバイである。

私はこれを撮る前に自動二輪の免許を取っていたがヘルメットは当然着用で試験も難しかった。自動二輪の事故も多く厳しい試験になっていた。私より三歳年下の同僚が16歳になったので自動二輪の試験に行ったら乗ったのはスクーターでコースアウトで草むらに入ったのに合格したと聞いていた。自動二輪の試験などチョロイと軽い気持ちで試験場に直接受けに行ったらエンジンを掛けてものの10メートルも走ったら検定中止。そんな安全確認なら100回来ても通らないので教習所に入学して勉強しろといわれた。

昔のことわざに「男は度胸 女は愛嬌 坊さんお経」という言葉があった。
こんな言葉が生まれた背景には男でも度胸のない者、女も愛嬌のない者、坊さんもしっかりお経を唱えられないのがいてこんな言葉が生まれたのではないかと書いてあった。

男の子は勉強はしないのに卑猥な歌を歌ったり言ってたりしたものだ。男は度胸もよく言った。
男は度胸 女は愛嬌のあとにまだまだ言葉遊びが続いていたように思う。
ネットで調べたり知恵袋で見たが載っていない。
記憶にあるのは「男は度胸 女は愛嬌 坊さんお経 子供は勉強 親父は説教 爺さん隠居 鶯ホケキョ 住むのは東京 カレーにラッキョ 長嶋立教」など適当な言葉遊びであった。

茅葺民家 モノクロ 兵庫県旧南丹町

2017年11月09日 | 茅葺き民家
今は篠山市になっている。舞鶴自動車道の高速道路も通り田舎の雰囲気はなくなった。
昔の丹波篠山である。
田舎の雰囲気が満載であったが次第に宅地化が進み茅葺民家も姿を消す。
国道372号線沿いにあった茅葺民家も解体撤去されたものが多い。
漆喰壁の倉も在来工法で補修する人もいないし金も掛かる、剥がれたままである。

無住になったものは帰る人もなく解体し更地になる。
日本に持ち主が特定できない土地が北海道の面積だけあると書いてあった。
山林や田畑で耕作していない土地は遺産相続もされておらず持ち主も多岐にわたり大規模造成するにも困惑している。
過疎地の田畑はいくらの金にもならず放棄する人が多い。
私の住む地元の農家の人がいっていた。農地はこちらから売るといえば農地の価格で安く買いたたかれる。しかし、病院や介護施設の建設ならは買手が坪15万円で売ってくと言ってくるるので何倍から十倍にも売れるといっていた。

空き家と放棄地、人口減少、過疎化、高齢化で新たな問題が起きる。

買ってくれるなら中国人でも山林を売却しているところがあるが将来に禍根を残しそうだ。


日本茅葺紀行 NO,405 新潟県の民家

2017年11月08日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県旧松之山町

松之山町に辛うじて残る茅葺民家。中門造りである。
秋であったので洗濯物の横に大根を干してある。
11月3日頃の連休に新潟に撮影に行った。

帰って三日後に寒気が降りて新潟の山間部で70センチの積雪と報道があった。
雪に慣れていない私などは11月になって車で雪の降る地域には行くべきでない。
新潟の故郷の風景の茅葺民家も少なくなった。
残るは素晴らしい棚田と郷土の祭りなどか


蒸気機関車 室蘭本線

2017年11月07日 | 蒸気機関車
室蘭本線下り客車をC57型蒸気機関車が牽引する。
11月の中旬もう雪が降っていた。
普通の靴で雪解けの土の上を歩くので靴が汚れ旅館に泊まれない。
水道で外側だけ洗うが濡れて冷たい。

人の住まない原野が続く。
クヌギやミズナラの木が多い。ここならばシイタケの菌を打込めばシイタケがたらふく食べられる。春の山菜やキノコも穫れそうとおもった。

白樺の木も見える。白樺やカエデの木に穴を開けストローを挿し込むと春先に甘い樹液が採れるそうだ。

野山の恵みものを採るのは楽しい。先人の田舎暮らしをやってみるのは野生的だ。
家内の知り合いに女性だが野生人がいて山菜やキノコをくれる。