ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

夏休みの宿題3(社会)

2006-08-16 01:56:44 | 社会・経済
8月15日。今日は終戦記念日。
小泉首相が靖国神社を参拝した。
それが正しいことなのか?間違っていることなのか?それは私にはわからない。
ただ、日本も戦争をしていた時代があって、多くの人が犠牲になったんだ。って事を多くの国民に知らせる、いい機会だったと思う。

私の実家も、毎年8月15日は戦没者慰霊祭に参加している。
5年ぐらい前までは、今年89歳を迎える祖母が参加していた。
最近は、嫁である母が参加している。

私が物心ついたとき、我が家の仏壇の横には、曽祖父と祖父の写真の横に、20代の軍服を着た、父の弟によく似た人の写真があった。
「この人、誰?」
「おじいちゃんの弟。戦争のときにね、中国の向こう岸も見えないような大きな川で、船を沈められて死んじゃったのよ」
祖母が教えてくれた。それ以上は、何も話してくれない。
私が少し大きくなったとき、父が話してくれた。
「帰りの燃料も積まないで船は出て行ったんだよ。大きな川だから、生きているのか死んでいるのかまったくわからない。遺留品も何もないから、お墓の中は空っぽなんだよ」
我が家のお墓の横に、このおじさんの石塔が立っている。

もちろん祖父も出兵している。「傷病軍人」である。
銃弾でやられた祖父は、死体の中にいたそうだ。
近くにいた人が、祖父が生きていることに気づき、祖父は助かった。
銃弾で傷ついたため、一足早く帰国することができ、命拾いをしたそうだ。
死ぬときまで、体の中に銃弾の欠片が残っていた。と聞いている。

数年前、市内の公園の一角に、戦争に参加した人の慰霊碑が建立された。
祖母は「おじいちゃんの名前も載っているわよ」と、嬉しそうにその慰霊碑を拝んでいた。

小さいとき、祖母の家に泊まりに行くと、「すいとん」を作ってくれた。
家に帰って、母に作ってくれと言っても、作ってはくれなかった。
父も、母も「すいとん」にいい思い出なんてないのだ。
父が生まれたのは、真珠湾攻撃の1週間前、そして母が生まれたのは、その前の年。


私は思う。戦争を好む人など誰もいないと。
人が人を殺して平気でいられるはずがない。
殺さなければ、自分が殺される。その思いだけである。

誰が悪くて、誰が悪くないなんて、決めることは出来ない。
勝者、敗者があるから、悪い、悪くないが決まっただけである。

戦争による犠牲者、出兵した人、空襲や原爆で亡くなった人、飢えで死んでいった人、そして裁判に掛けられた人、すべての死を無駄にせず、平和を祈るのではなく、守る気持ちを忘れてはいけないと思う。
みんなが求めるものは「平和」だったはず・・・

8月15日。
自分が平和に暮らせることに感謝して、多くの犠牲者に黙祷を捧げる。
戦争が終わったのは、たった61年前。
私の生まれる20年前の話。
そんな昔話ではないのである。






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