ひとり気ままに

バツイチ女のひとりごと。離婚した人も、離婚を考えている人も、そしてこれから結婚する人も、「気ままな話」を聞いてください。

セミナー「富士山を知ろう」

2009-10-07 01:00:58 | うんちく・小ネタ
静岡県県民部世界遺産推進室が開催した
富士山世界文化遺産公開セミナー「富士山を知ろう」に参加した。
全部で3回のセミナーであるが、1回だけの参加も可なので、今回だけ参加した。

今日のセミナーは
心のふるさと、富士山の歴史と信仰
と題し、静岡産業大学情報学部 中村羊一朗教授が講師をしてくれた。

富士登山をしてから、周りの浅間神社に行ったり、1周ウォーキングに参加したりしたので、私の情報量は増えている。
おかげで、講義の内容がよくわかった。

富士山は、山岳信仰の山だと思っていたが、海上安全、大漁満足の神としても祀られている。
理由は、昔は漁に出たとき、海上で自分の位置を知るために山を使っていたという。
魚が取れる場所は大体いつも同じであるので、近くの2つの山の交点で覚えていたということだ。
富士山は、高い山であるのでどこでも見えるため目印に使われていたという。
また、この目印の山は大抵、霊山的な山だったようだ。

もともと富士登山は、修験者の心と体を鍛え、高い精神能力を得るための、富士峯修行だった。
その後、信仰目的の登山者を「道者」といい、地方から道者たちを引率するものを「先達」といった。
登山ルートは東海道からなら、浅間大社→村山→山頂となった。
このように、富士登山は個人で登るのではなく、団体で登っていたようだ。

戦国時代には、富士修験関係者は駿河・甲斐で今川氏・武田氏の保護を受けていた。
理由は、富士登山が地域経済の支えになっていたこと、全国からの情報を得ることが出来たこと、修行を通じて優れた能力を獲得した修験者は忍者として利用していたことなどである。

江戸時代になると、富士講が広まった。
真面目に生きることは、幸せな生き方であり、男女は平等であるという教えから、とても信仰されていた。
富士講の人たちは富士吉田口を利用していた。
また、信仰以外にも登山する人が増えていった。
しかし、富士信仰の修験者の家の「御師」を利用し、そこからまとまって登山をしていたようである。


この講義を聴いて、富士登山の歴史がよくわかった。
近年富士登山をする人が増えているが、その理由はなぜなのだろうか?
物質文化が進んでしまい、精神部分が欠落してきたことに気がついて、心と体を鍛えようとしているのか?
私が富士山に登る理由は、達成感とご来光の美しさ、自然の偉大さを感じるためである。

先生が言っていた。
「日本人には潜在的な富士山信仰があるのではないか。たとえば、富士山の写真愛好家が多いこと、富士山を語ってあきることがないこと、また富士山と向き合うと何かを感じるなどがある」
そうかもしれない。
「富士山のふもとから来ました」と話すと、みな「いいですね、毎日富士山が見えて」と答える。

富士山のことをひとつ知ると、もうひとつ知りたいと思う。
これこそ、富士山信仰なんだろう。

余談であるが、三保の天女伝説と富士宮のかぐや姫伝説と木花咲耶姫神(このはなさくやひめ)には何か交わるものがあるのだろうか?
私の散歩のルートにいくつか石造があるのだが、その中に天女がいた。
その天女の頭には馬が乗っている。
これって、馬頭観音?
馬頭観音は、怖い顔をしているのが普通。
何かこの辺に伝わるものがあるのか?
知りたいことはたくさんある。







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