2011年7月12日(月)〜2011年7月16日(金)
昨日、戸隠神社の神事の後、善光寺に立ち寄った。
大勧進では座禅会が開催されていた。
ちょうど終わって出てきた20代と思われる男性たちの感想。
「体験して良かった。思っていた感じと違う。」
「そうだろう、説明はできないけど良いんだよ」
そうか、昔高野山に行った時に行ったことあるが、日常とは違う時間だった。
また参加してみようかな。
実は、ここに来る途中で地面に落ちているひな鳥がいた。
お腹を向けていたから死んでいるものと思い踏まないようにして通った。
また、その道を帰る。
「この道、小鳥が落ちてるの」
いた、ひなは死んではいなかったし、自力で何とかしようとしていた。
居合わせた僧侶の方が紙を持ってきて拾い上げた。
きっと、先ほどの豪雨で巣から落ちてしまったのだろう。
近くには親鳥と思われるスズメもいる。
巣がわかれば返すのだが、どこにあるのかわからない。
「家で保護する?」
「野生動物は飼ってはダメだから」
「じゃあ、動物園に持って行ってみるか」
近くの市営動物園に保護をお願いしてみた。
「野生のものは飼えません。他に問い合わせてください」
予想通りの回答。
同居人さんはとりあえず家に行って考えようと言う。
助手席で紙に包まれた雛を手に包み、動くたびにぎょっとする私。
絶対無理、くちばし開けて餌をあげることなんて。
家に帰ってどうしたら良いのかネットで調べた。
保護して元気になってから自然に放した人。
保護はしたけど死なせてしまった人。
鳥によっては子供を減らすために、親鳥や兄弟が弱い子を巣から落としてしまうらしい。
やっぱり、巣に戻すのが良いらしい。
巣に戻せないなら、巣の近くに巣を作って雛を入れておけば、親スズメが見つけて世話をするという。
それくらい、スズメの子供への愛情は強いらしい。
というわけで、再び善光寺に戻り巣がありそうな場所に借りを巣を作り雛を入れた。
近くで心配そうに見ているスズメがいた。
母鳥だろうか。
「子供を見つけて餌を運んでね」そう祈るだけである。
この出来事で自分をすごく反省した。
私だけだったら、雛を拾い上げることはなかった。
先のことを考えると面倒なことばかり。
見て見ぬふりした方が楽である。
いつも偉そうなこと言っていて命をひとつ見捨てようした。
何の迷いもなく拾い上げた二人。
先のことよりも今ある命を助けようとする気持ち。
それって、子供時代の純粋な気持ち。
いろいろな経験や情報を得ていくと先の先を考え過ぎてしまう。
単純に何が大切なのか。
それが判断できないとダメだな。
スズメを助けたのだから、恩返しに来てくれるだろう。
大きな葛篭ではなくて、小さな葛篭を選ばなくちゃ。
そんなことを考えるのも大人のいやらしさだろうか。
7月12日(月)
何だか疲れちゃって手抜きの夕食。
そうめんとご飯って私的にはありえない。
7月13日(火)
今週の1枚は「今決断のとき」
もう少し収入を増やすか、もう少し支出を減らすか。
7月14日(水)
通勤途中の朝顔。夏休みも近い。
7月15日(木)
来週の月曜日は祭日ではないとわかっていた。
それなのに、明日が終われば3連休の気がした。
7月16日(金)
夕焼けが綺麗だった。
夏の夕焼け空で、今週も終了。