2008年2月17日 日曜日 戒名
かつて、何もしない自由の日が欲しいと願ったことがありましたが
私は今日、なーーーにもしないでジェンギンスが寝ていた部屋に
ずーーーーーっと居ました。
けして、悲しんで座り込んでいたわけではなく
寒いし、何もしたくないのです。
頭は痛いし、肩もせなかも重くて重くて。
大雪が降った日も
台風の日もジェンギンスの病院に通って
気持ちが張りつめていましたが、
用の無いつまらない日となりました。
人間はする事がないと駄目です。
あと、健康でないと駄目です。
朝食の用意もしなかったので
寝たきりだった母が、コンビニからサンドイッチと
おでんを買って来ました。
すいませんです。
とにかく、母とふたりでだらだらと夕方まですごし、
夕方になったら、姉が
『 片付けを手伝いに来たわ』 といって来てくれたけど
ごちゃごちゃの家は片づけていません。
これを機会に
葬儀で着る母の着物をだして、
帯の締め方の練習をして。
49日まで祭壇をかざる部屋の敷物をとりかえることにし、
姉がオペラシティなどへ買いに言ってくれました。
姉は椎間板ヘルニアを患ったひとだから
無理は禁物なのに
わたしは、霊の浮遊するお部屋にこもってるため
姉が頑張ってくれました。
あねが買い物に行ってくれている間
なんとか、敷物を剥がして
掃除機を掛けました。
そのあと、戒名とやらで
変更がありました。
わたしは
お坊さんと話して『お金はかけなくていいんだよ』といわれるままに
どうやら、一番下のランクの戒名にしたらしいのです。
お返しのお手紙の中にその名前も載せるとやらで
+20万円で真ん中の位の戒名にしました。
あと20万円以上プラスすると最高の位の戒名がいただけるそうです。
日本のこんな風習は辞めてしまえと思いました。
キリスト教に入信しようかと家族で話しました。
チョコパンとマクドは
日本の葬儀が受入れられません。
キリスト教信者になったら、この真言宗のお墓には入れないのでしょうか?
でもこのお寺さんは、どんな宗派もうけいれますってたしか
どこかに書いてあったと思う。
お坊さんと長女が初めてはなしをしました。
お坊さんは私が必死でジェンギンスの看病をする頃を知っているので
いかにも
『 お金と手をださない長女が、この場に及んで口を出してきた』と
いう風にとらえたかも知れません。
姉には
『 長い間の介護でそうとうなお金もかかったし、これから葬儀費用もかかる
墓も建てなければ行けない、生活もくるしいということですから』と
言ってくれたそうです。
私をかばってくれたんでしょう。
まあ、わたしと姉の関係は悪くないので
そして、お金もたぶん有るから大丈夫で、
戒名は真ん中の位にしました。
予定より40万円多く出して最高の戒名を
いただく気持ちにはなれません。
夕飯は冷蔵庫にあったうどんです。
もちを入れて食べました。
夜、いつものように仲間が宴会に誘ってくれました。
いつもは飛んでいくんだけれど
体が重くて飛べず、
お断りし、鏡を見たら、泣いてもいないのに
目の下がジェンギンスみたいにやばいことになってるし、
つまり、顔に緊張がないから
容疑者の写真状態になってる。
夜、母の姉から電話で母と話す。
みんなが泣きもせず明るく過ごせるのは
後悔が無いのです。
十分に尽くして
十分に癌を小さくし
十分に肝臓数値を下げ
痛みもなく
肺炎もなく
熱もなく
苦しみもなく
食欲がなくなるまで食べさせ、
最後まで人として意識を持ち、
私はジェンギンスの死に満足している。
わたしの出来る限りの努力はすべてできた。
これが私と会った最後の写真。
この日はご機嫌で、音楽を聴いて手拍子を取っていたのです。
栄養ゼリーをのんで、ポタージュスープも飲んで
絶好調でした。
そんな絶好調から徐々にしぼんで3日目の早朝亡くなり
最高の亡くなりかたでした。
かつて、何もしない自由の日が欲しいと願ったことがありましたが
私は今日、なーーーにもしないでジェンギンスが寝ていた部屋に
ずーーーーーっと居ました。
けして、悲しんで座り込んでいたわけではなく
寒いし、何もしたくないのです。
頭は痛いし、肩もせなかも重くて重くて。
大雪が降った日も
台風の日もジェンギンスの病院に通って
気持ちが張りつめていましたが、
用の無いつまらない日となりました。
人間はする事がないと駄目です。
あと、健康でないと駄目です。
朝食の用意もしなかったので
寝たきりだった母が、コンビニからサンドイッチと
おでんを買って来ました。
すいませんです。
とにかく、母とふたりでだらだらと夕方まですごし、
夕方になったら、姉が
『 片付けを手伝いに来たわ』 といって来てくれたけど
ごちゃごちゃの家は片づけていません。
これを機会に
葬儀で着る母の着物をだして、
帯の締め方の練習をして。
49日まで祭壇をかざる部屋の敷物をとりかえることにし、
姉がオペラシティなどへ買いに言ってくれました。
姉は椎間板ヘルニアを患ったひとだから
無理は禁物なのに
わたしは、霊の浮遊するお部屋にこもってるため
姉が頑張ってくれました。
あねが買い物に行ってくれている間
なんとか、敷物を剥がして
掃除機を掛けました。
そのあと、戒名とやらで
変更がありました。
わたしは
お坊さんと話して『お金はかけなくていいんだよ』といわれるままに
どうやら、一番下のランクの戒名にしたらしいのです。
お返しのお手紙の中にその名前も載せるとやらで
+20万円で真ん中の位の戒名にしました。
あと20万円以上プラスすると最高の位の戒名がいただけるそうです。
日本のこんな風習は辞めてしまえと思いました。
キリスト教に入信しようかと家族で話しました。
チョコパンとマクドは
日本の葬儀が受入れられません。
キリスト教信者になったら、この真言宗のお墓には入れないのでしょうか?
でもこのお寺さんは、どんな宗派もうけいれますってたしか
どこかに書いてあったと思う。
お坊さんと長女が初めてはなしをしました。
お坊さんは私が必死でジェンギンスの看病をする頃を知っているので
いかにも
『 お金と手をださない長女が、この場に及んで口を出してきた』と
いう風にとらえたかも知れません。
姉には
『 長い間の介護でそうとうなお金もかかったし、これから葬儀費用もかかる
墓も建てなければ行けない、生活もくるしいということですから』と
言ってくれたそうです。
私をかばってくれたんでしょう。
まあ、わたしと姉の関係は悪くないので
そして、お金もたぶん有るから大丈夫で、
戒名は真ん中の位にしました。
予定より40万円多く出して最高の戒名を
いただく気持ちにはなれません。
夕飯は冷蔵庫にあったうどんです。
もちを入れて食べました。
夜、いつものように仲間が宴会に誘ってくれました。
いつもは飛んでいくんだけれど
体が重くて飛べず、
お断りし、鏡を見たら、泣いてもいないのに
目の下がジェンギンスみたいにやばいことになってるし、
つまり、顔に緊張がないから
容疑者の写真状態になってる。
夜、母の姉から電話で母と話す。
みんなが泣きもせず明るく過ごせるのは
後悔が無いのです。
十分に尽くして
十分に癌を小さくし
十分に肝臓数値を下げ
痛みもなく
肺炎もなく
熱もなく
苦しみもなく
食欲がなくなるまで食べさせ、
最後まで人として意識を持ち、
私はジェンギンスの死に満足している。
わたしの出来る限りの努力はすべてできた。
これが私と会った最後の写真。
この日はご機嫌で、音楽を聴いて手拍子を取っていたのです。
栄養ゼリーをのんで、ポタージュスープも飲んで
絶好調でした。
そんな絶好調から徐々にしぼんで3日目の早朝亡くなり
最高の亡くなりかたでした。
これから一生この寒い時期に命日を迎えるわけです。墓参りは暖かくなってから行くべきだと思いますから、きっとそうします。
ババママさん、良いことを教えてくれてありがとう! 棺の中にジェンギンスの好きだった葬式まんじゅうを入れて上げますよ。