アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

動脈瘤MRI・みるき

2009-02-17 23:41:26 | 日常生活


せっかくのライト付き仏壇なので
年に3回ほど点灯したりします

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さて、私は昨年6月15日から、ずーーーっと
頭痛が発生していて、そのころ半年間、毎日
頭痛で苦しみながら耐えていました。

7月には、頭痛とは関係ないという
脳動脈瘤が発見され、
将来、手術を受けるならと
港区にある有名な先生のいる病院へいって
アドバイスをいただいていました。


そして、今日2月17日は
2回目のMRIです。
この結果次第では、手術になる予定でした。

緊急手術だといわれる可能性を考慮して
下着はこぎれいなものを身につけました。
勝負下着よりは劣りますが。

早朝7時15分に家を出て、
(この時間に出るために家族の食事したくをがんばった)
8時に病院の受付を済ませ、
8時半にはMRI撮影終了。

前回とは違う病院なので、方法も違った。
脳だけだから、検査服には着替えなかった。
手に握らされたのは、ボールじゃなくて
ボール感触のブザーらしい。
押してみたかった。

なるべく動かないように
硬直して寝ていた。

脳はなんでもありませんようにと、
祈ろうかと思ったが、
今祈っても、結果は決まっているので
祈るのもばからしいのではないかとと思った。
でも、ちょっと祈ってみた。

この病院は、芸能人も多く入院する
医大付属の病院では無い病院です。
良い病院らしいけど、古いからドウなんだろ。
新しい病院は、やっぱり、良い機械が導入されている。
でも、古くてもいい機械は入れてるんだろうな。

そして、
午前9時、結果診察。


脳動脈瘤は、2~3ミリで変化無し。
次回は1年後にMRIを撮れば良いでしょう。


こんだけの発言で終了だ。
あっさりしたもんで、
もっと、詳しく説明してくれないもんでしょうか?
わたしも、質問攻めにすれば良かった。
質問を用意しておけばよかったなぁ

この脳動脈瘤以外の所見を聞きたかった。
脳の萎縮は?
脳梗塞は?
他の血管の状態は?
蓄膿は?  とか・・・・

しかし、↓これは、聞いた。


「 動脈瘤は1㍉大きくなるのにどのくらいの日数がかかるのですか」

   たいていおおきくならないよ

「 半年後にMRIをとって大きくなっている人がいるんですか?」

   いないね  急に大きくなるんだな

「 いつも頭が痛いのは、この動脈瘤と関係ないのですか?」

  関係ないね

「 頭痛薬が効かないんですが、偏頭痛の薬は効くんです」

 涙が出るとか、鼻が出る?  「 でません 」

 偏頭痛に関連した頭痛でしょう

・・・・・ 何だかよくわかりませんが、
  脳血管で有名な先生で、結局先生は手術がうまいんでしょうが
動脈瘤破裂を予測出来ることは不可能で、わたしの頭痛のことは、
ぜんぜん気に掛けてくれない。

だから、結局 理由のない頭痛は誰にも治せないんだろうな。
頭痛予防薬が開発されたけど、毎日飲むのは嫌ですよ。

~~~~~~~~
まあ、 良かった良かった。 動脈瘤はおとなしくしていてくれました。

病院のあと、私は仕事に行くはずでしたが
チョコパンが胃けいれんで旅行に行けない!と
いうことなので、
二日前に予約して今日出発の香港旅行をキャンセル!
成田エキスプレスもキャンセル!

病院に連れて行ったりなんだりで

暴忙しい!

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そうそう、

MRIの映像は、かなりボケボケだった。
前の病院の血管映像もボケボケだったけど
こんどのほうがボヤボヤだ。
でも、フィルムじゃなくて、コンピューター画像
だから、映像をぐるっと回して
裏から見たり、斜めから見たり出来た。

動脈瘤一つのみを先生は見ていた。

もしかして、頑固な頭痛を引き起こしている
脳の病気がどこかに隠れているんじゃないかと

私は

思った。
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父の命日・一年目

2009-02-14 12:58:29 | 介護







2008年2月14日木曜日に、父アツル・ジェンギンスは亡くなりました。
今日は、丁度1年目の命日です。

母はデイサービスに行き。
家族は恩師の還暦祝いに揃って出かけてしまったので
私が一人でお墓参りです。


絶好のお天気で、電車はクーラーが効いて涼しいと感じるほど
暑い日でした。

コートも、カーディガンも脱ぎ捨てて私は
のんびり長い時間ジェンギンスと一緒に過ごしました。



2週間前は寒くてお墓の掃除も出来ませんでしたが
今日は暑くてやる気が出ませんでしたが
ぬれ雑巾でピカピカに磨きを掛けました。
砂利に落ちている、細かいゴミも拾い、
隅々まで綺麗にしました。

自分のお墓がきれいだと
近所のお墓の汚れがとても気になります。

2週間前の生花がまだ、綺麗だったので
それを残して、造花を増やしました。
これで、毎日花に溢れた綺麗な住まいです。



ジェンギンスはモテルので
あっという間に、チョコレートの山です。
きっと、近所のお婆ちゃん達からの贈り物です。
あの世で、もてているのです。


わたしは、家で仕事へ行く前に作ったお握りを
ジェンギンスと一緒に食べて、
ジュースを一緒に飲んで、
駅ビルで売っていた美味しそうなペストリーを
分け合って食べました。
友達がジェンの好きだった最中をくれたので
それも、食べてもらいました。

ハワイアンの音楽もでっかく鳴らして
賑やかです。

このお墓は駅のそばですが
山の上だし、広くて人も居ないので
自由です。

友達が葬儀の時にくれたお線香に
友達がくれた、絵ろうそくで火を付けて
マゴコロのいっぱいつまったお参りをしました。

この友達の優しさを私は実感し、
大粒の涙を流しました。

一人でタイマーかけて何枚も写真をとったり
その写真をシャメールしたり
時間を気にしないで
のんびり過ごします。

少し離れたお墓に
30代の男の人が一人でおまいりしていました。
私と同様にすごく長いこと滞在していました。
私と同様に3時間くらい居たな。
きっと、大事なお母さんが居たのでしょうか。
8月に私が一人でお参りした時も
その人は、居たような気がする。

わたしは、よそのお墓を巡りました。
お隣は、14歳の女の子が亡くなっていました。
年をとった夫婦が一年以内に夫婦ともなくなって
いる記録をよんで、それはよく聞く話しだと思いました。
うちの、母もそうとう弱ってきたから危ないな。

一つひとつのお墓にお邪魔すると
家族の気遣いが見えてきます。
わたしは一年に3回くらいしか訪問出来ないけれど
精一杯お墓を綺麗にして上げようと思う。

私が死んだら
お墓はだんだん綺麗じゃなくなるんだろうな。
寂しいです。

広いお墓を周りながら山を下りて
本堂であいさつし、
綺麗な池を眺めて門をくぐって
振り返ったら、
お墓に居た30代のお兄さんが
後ろに居た。 誰もいなかったのに居た。

特急に乗って帰りました。
家に着いたら夕方6時で
母は、私が作っておいたうどんを食べていました。

携帯の写真を見せてあげました。
母にクリックさせて見てもらっていると
施設入所1年間の写真がでてきたので
母は、真剣に見ていました。

元気な頃から、だんだん痩せてきて、
寝る頃となり、口を開けるようになって
そして、死に顔の写真も記録されています。

良い1日となりました。

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ショートの後遺症

2009-02-09 15:50:14 | 母の介護
今日2月9日は、父ジェンギンスの誕生日です。

ひとは、誕生日あたりに死ぬのだと、昨年
病院で知りあった人に聞きました。

そしたら、ジェンギンスは誕生日から5日たって
死にました。

そして、それを言ったその人のお父さんも
予想通り、お誕生日近くに亡くなりました。

老衰的に亡くなるというのは
本当にお誕生日頃なのかも知れません。

一周忌法要のあと、わたしはきちんとジェンギンスに
お線香を上げています。
この一年お線香など、あげていませんでした。
ジェンギンスは喜んでいるのか、怒っているのか
仏壇に入れてある写真を床に落としたり、
額入りの写真を倒したりしてくれます。

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さて、母は、まだショートステイの不満を言い続けています。

とにかく、デイサービスと大違いで
全くつまらなかったというのです。

誰とも話しをしなかったこと
お茶が出てこなかったこと
ごはんがまずかったこと
おかずがほんの少ししかなかったこと

建物は渋谷のどのあたりにあるのか?

私には、悪いと思っているのか、あまり悪いことは
言わないのですが、
スキーから帰ってきたマクドウウェルに
いっぱい話しを聞いてもらっていました。

「 それは、いけませんね~
  デイサービスが一番良いですね~
  そこは駄目ですね!
  ねぇ~!!
ねぇ~!! 」

と、母の満足のいく返事をしていました。

わたしは、今回の施設はとっても良いと
思うんだけど、
内容は良くなかったんだろうか・・・

母の希望

個室希望・・人に気兼ねをしないで、着替えとトイレをしたい
    夜いつまでもテレビを見ていたい

大勢いて賑やかがいい・・・7人のユニット式は母には駄目だな


認知症とは別フロア・・・認知症には理解があると思ったが
            夜、徘徊されると恐いらしい。

普通食・・・噛めなくても豪華に見えなきゃだめらしい

大きなフロがいい・・・小さな家庭的なフロをバカにしちゃってる

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わたしは、今回の母のショートで考えたことがいっぱいあります。

たった2泊で帰ってきたから、普通だったけど
1~2週間もこの、黙っている生活をしてたら
どんどん呆けてしまうだろうな。

呆けさせない、寝たきりにさせないという
取り組みをしている施設が良いと思う。
老健だろうな。

老健は個室じゃないだろうし
お部屋にテレビはないだろうし

家の近所には老健はないしな~

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「 夢だったか夢じゃないのかわからない 」

と、きょう母が言った。
頭がはっきりしていない症状だ。
ジェンギンスがよく言っていた事だ。

母は、買い物に行って

いつもの、わさび野沢菜漬物と たくわんと
あみの佃煮とマーガリンの付いたパンを買ってきてありました。

母の買ってきた物は
たいていほとんど捨てています。
だって、だれも食べないのです。
ゴミ収集所に綺麗にして置いておくと
だれかが持っていってくれますから
無駄にはなっていないでしょう。

私が、いろいろ言った時

「 あーあ~、情けないわね
  もう、買いたい物も買えないなんて
  つまらないわね 」

と、悲しそうに嘆いていたので
わたしも、心を入れ替えて
母には、買いたいだけ買ってもらおうと思ったのです

買い物ができるのは幸せなことです。
何かを買う楽しみって大事です。
だから、買っても良いのです。

メリーに餌もあげいいのです。

アレ駄目、これ駄目 って言わないのが
わたしの介護目標です。
この介護目標は、今、考えました。

母にはもうちょっと長生きしてもらわないと行けません。

だって、やっと私が
やさしくなってきた所ですから。

「 私はしあわせだったな 」と思ってもらいたい。


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初ショートの結果

2009-02-06 01:52:34 | 母の介護
母の始めてのショートステイは、2泊3日でした。

車の都合で、今日の午前11時45分に帰宅予定です。
家族のお迎えもいらないので、母が一人で帰ってきます。

あいにく、わたしは仕事でお迎え出来ず、
でも、温泉帰りのチョコパンがいてくれたので
お出迎えしてもらい、
寂しい思いをさせずに済みました。

快適なホテル生活で
さぞ、満足して帰ってくるだろうと
私には自信がありました。


しかしだ。。。soppo

どうも、不満だらけっぽいぞ。

母は帰宅後、
私の用意してあった焼きおにぎりと
チョコパンが作ったインスタントみそ汁ネギ入りと
今日の夕飯のために朝作った煮物を
バリバリと食べたようです。

チョコパンは学校にも行かず、
母の話をきいてあげたようです。

私が帰宅してからも、ずっと
大体同じ話しをしてくれました。

相当!ソウトウ! 不満です。


◎ 夜中におじいさんが部屋に入ってきた。
◎ そのおじいさんは、だれかにすごく怒られていた
◎ だから、部屋の鍵をかけて寝た。
◎ ついでに覗かれないように、覗き窓には
  新聞を貼って、見えないようにして寝た。

鍵を掛けたのに、介護士の人は鍵を開けて部屋に入ってきた。
【介護士さんは見回りをしないといけないし、部屋の鍵をかけるのは
 禁止なんだよ。。。と言い聞かしてみた 】


◎ デイサービスでは、いつもお茶がでてるのに
  ぜんぜん、何も出てこない
 【 そんなことはないと思う 】

◎ 食事がまずい
  【 出た!!御飯まずい症候群!】

◎ おかずが全然無い。
  デイサービスの豪華なお弁当に比べたら、ヒドイ食事だった。
  【 刻み食でおねがいしたから、見た目にわるかったかな】

◎ みそ汁がでないで、すごくまずい、具のはいっていない
  お吸い物みたいなヘンなのがでた。
  御飯は出たかどうか、忘れた。

◎ お風呂が狭い。
  【 この施設は個浴なので、一人づつのヒノキ風呂です】
  【 デイサービスの温泉風の形に慣れてしまっているのです】
    
 
◎ レクリエーションは音楽会をするというので
  部屋に閉じこもって見に行かなかった。
  自分のお弟子さんが、ボランティアをしていたりしたら
  いやなので、部屋から出ないで引きこもった。

◎ 7人ずつのユニット形式、、、だったらしいと
  帰宅後に気付く。

◎ まどから、街が見えて、郵便局のマークがあった。
  いったい、渋谷のどのあたりなのか? って
  【 それは渋谷郵便局で、施設は坂の方で
    青学へ行く途中で、
    プラネタリウムがあった方で
    むかし、発砲事件があった消防署よりずっと奥の方で
   ・・・・・・どんなに説明しても、地図に不案内な母には
   解らず、でも何回も聞かれたのです 】
  


◎ 認知の人はそんなに居なくて、ちゃんと話しができる
  人もいて、話しをした。
  【 母は認知の人を認知だと思わないからな・・・
    ジェンギンスの認知にもそうとう気付かないし】


◎ ぜんぜん寒くなかった。

◎ 帰る日に目薬をさしに来たから
  もう付けたと嘘をついたらしい

◎ 部屋はすごく綺麗だった。
  でも、部屋に入ってきたおじさんの部屋は
  物置みたいで汚いへやで、床に薄っぺらい布団が敷いてあって
  あわれな部屋だった。
  【 ほんとかなぁ、そこは物置かもしれないし】
    


母は、他に泊る施設はないのか?と聞いてきた。

あと、あるのは

:ジェンギンスがショート中に骨折した一番汚い特養
:ジェンギンスを夜中に迎えに来るように言ってきた特養
:ジェンギンスが申し込んでいた4人部屋の特養
:ジェンギンスがいつも泊まりに行っていたショート施設

: 遠い特養が1軒
: 遠い老健が1軒
; 老人施設が1軒

あと、どんな施設があるかと言うことを話すうちに
母は、この施設の設備が優れていることを
やっと解って来たようでした。
テレビ付きでトイレ付きが希望なんだから
だったら、ここが理想何だけど・・
「ここが、一番いいんだね」
と言ってましたが、食事がまずいんじゃ
それはいけない。

しかし、デイサービスの楽しさを味わっているので
とにかく、がっかりした様子がうかがえる。

母も、楽しみにしていたようだけど

まあ、デイサービスと比較はして欲しくないんだね

また、ひと考え ひと調べしないとな

元気で帰ってきて良かった。

きちんと薬を飲んで
きちんと目薬さして
きちんと3度の食事をして
間食をしないで

体に良かったんじゃないかと思う。
こういう生活なら、胃の具合も良くなると思うけど

あすは、デイサービスにいくんだと
張り切っている母です。

元気になったかも

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初ショートステイです!

2009-02-04 00:31:16 | 母の介護

ショート用に上履きを買いました。
スケッチャーズのバレーシューズ風のスニーカーです。
定価の半額で買いましたが、それでも高かった。
スケッチャーズを履いているお年よりは素敵です。


母は、今日始めてショートステイに行きました。

母が家にいて、特に困ることはありませんが
母の気分転換と、御食事の御世話をしていただくのと
規則正しい食事と生活、気持ちの張り、
そんな目的で、2泊だけ予約しました。

渋谷区には特養施設が5つしかないし、
ショートステイ出来るところも少ししかありません。

ジェンギンスのときに見学してすっごく気に入った
出来て3年目の、ユニット式の特養施設に申し込みました。

もしも母が特養に入ることになったら
この渋谷駅の繁華街的なこの特養に決めています。
そこいらへんの旅館やホテルよりずっと綺麗で広いです。

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荷物の準備

 もう、てんてこ舞いでした。
 2泊だから、それぞれ一揃えしかいらないのに
 準備に走りました。

 寒がりの母の支度は本当に大変でした。

 一度に着ている下着の数が半端はありません。
 
今日の服装

 リハビリパンツ
 長いパンツ
 暖かズボン下
 毛糸のズボン下
 ズボン      下半身は5枚着用
 
 あたたか靴下

 暖か半袖下着
 暖か長袖下着
 とっくりセーター
 ベスト
 カーディガン
 厚いカーディガン 上半身は6枚着用

 オーバーコート


持参したもの

 電気あんか
 ダウンで出来た肩掛け

もう、血が熱を発しないので
冷たい体の母です

家では分厚い羽毛布団を2枚と毛布2枚電気毛布1枚で
寝ているというのに
ショートステイで、薄い布団1枚では
凍え死んでしまいます。

いまごろ、生きているでしょうか?

ジェンギンスの入院していた病院では
下着はたった1枚だけで、ズボン下も履かされず
暖房も弱く、寒い病院でした。
母はぜったいにこの病院に入院させれません。


~~~~~~~~~

今日は朝9時にお迎えの車が来て
わたしも一緒に乗っていきました。
今日だけ同伴し、その後は母が一人でいいそうです。

ジェンギンスが行っていたショートの施設は
必ず家族が同伴だったし、迎えに来てくれない時もあって
とても大変でした。
こんどの施設は、迎えもあるし、
荷物点検も省略希望ができて楽だった。

ワンフロアに7名づつのユニットが4つあり
ゆとりの住まいです。
それぞれ、キッチンがあって7人分をそこのキッチンで
用意して生活します。

部屋もかなり広く、
トイレと洗面付きの個室。
テレビとタンス付き。
それに、歯磨き歯ブラシ、入れ歯入れ、タオル
リハビリパンツなど、使い放題で
まるでホテルの備品ですね。 1日100円だった。
24時間、飲み物が飲み放題だって介護士さんが
言ってました。
家族がいれば、用意も出来るが、遠慮して飲めないだろうな

母は早速、ココアをいただいていました。
その間に、わたしは帰ってきてしまいましたが、
もっと一緒に居てあげれば良かった。
テレビの使いかたとか一緒に工夫して上げるべきだった。
なんか、遠慮しちゃった。

洗面所の使い方とか、一緒にみてあげればよかったなぁ

私が帰る時、ニコニコして手を振っていた。
なんか、かわいそうになっちゃった。

お友達ができるといいんだけど。
周りにいた人たちは、認知っぽかった。

この、特養は9階だての大きなビルで
ショートステイは別フロアです。
だから、みんなショートで利用しているお年よりです。

3時はおやつが出るというし
レクリエーションもるらしいから
楽しめるでしょうか。

それより、
規則正しい食事と
規則正しい薬

健康を取り戻して欲しいです。

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わたしは、施設を出て区役所へいき
滞在費と食費が安くなるという申請をしました。
この申請をしないと
1泊 4300円くらいです。
申請が通れば、もっと安いんだろうな。

ジェンギンスが亡くなっているので
きっと安くなるんだろう。


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母が居なくて、
今日仕事が終わって階下に降りたら
寒くて暗かった。


もっと、母を大事にしようと
決心した。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。