『地球(ガイア)のささやき』 龍村 仁 著
図書室にあった本、タイトルに惹かれて読み始めたら、以前読んだことがあるのに気づいた。
でもかまわず読み続けました。
良い本は、何度読んでも感動します。
う~ん、ほんと、そうなんだよねー、
ニンゲンって、地球で頂点に立つ生き物なんかじゃない。
自分たちにとって都合の良いようにして当然なんて、とんでもない! 傲慢すぎる。
そして私たちは、文明を発達させてきたような気でいるけれど、
ほんとうに、そうなんでしょうか?
例えば、〈気の交信〉という章から抜粋してみます。
(本で使われているカッコは、ここでは文字化けになるかも、と思って、別のカッコに替えています。)
「ブッシュマンの男たちが狩に使う弓は、素朴でかわいく、一見おもちゃのように見える。自然の素材を使い、すべて手作りで一本の弓を作ってしまう。このやり方はたぶん、数万年間変わっていない。
道具を進歩させてこなかった人々のことを西洋近代文明は、「未開人」と呼んで蔑んできた。ところが、それがとんでもない誤りであったことに最近ようやく気づき始めた。
ブッシュマンの人々が道具を進歩させてこなかったのには深い理由があり、そこには、自然と調和しながら生きる彼らの、素晴らしい叡知が隠されていたのだ。
(例えば)「象を仕留める」という結果だけから見れば、弓よりマシンガンのほうがずっと効果的で正確だろう。何より、人間は「楽」ができる。
しかし、そのことによって、最も大切なものを失ってきた。
――
自分自身が、その動物になりきるのだ。自分自身の「気」を、鹿なら鹿、象なら象の「気」と同調させるのだ。
――
ブッシュマンの言葉には、「動物」「植物」「人間」といった抽象概念によって世界を分類し理解しようとする営みがないのだ。
その代わり「生命を分かち合う者」「生命を脅かす者」という大きな分類があって、
「生命を分かち合う者」の中では、動物も植物も自然現象も区別はないのだ。
「生きる」ことは、「生命の移しかえ」である。
こういったことを、もっと身近な言葉であらわし、
心に しみじみと伝えてくれたのが、
たとえば、金子みすヾさんの詩じゃないでしょうかね。