きょうは、完全に「つぶやき」っていうか、
「ぼやき」になりそうです。
『介護百人一首』に出てきた、「漢(おとこ)」という言葉。
念のために検索して確認してみると、
「男の中の男というような意味の美称」
「この語を使用する場合は、生物学上の雄個体であるというような意味よりは寧ろ、勇猛さ、大胆さ、潔さ、堅い信念など、古来より男たるものが持つべきとされている美徳を備えている男前に対して贈られる称号である。」
とありました。
こういうのって、手話ではどう表すのかしら…。
また、「お父さん」「父さん」「おやじ」「パパ」など、
手話では、全部同じ。 一緒らしい。
かなりニュアンスが違いますよねぇ。
明治時代あたりの小説では「お父様」って呼んでいたり。
わたし自身は、子どもが幼い頃は「お母ちゃん」と呼ばれてて、
「お母さん」になって、息子からは いつの間にか「母さん」に。
あるとき、
電話で友だちと話しているのを聞いていると「おふくろが」と言ってました。
(そんな風に変わって行くたびに、成長してきたな、と嬉しくもあり、
だんだん離れていく淋しいような感覚もありました。)
手話では、「あなた」は、相手を指差す。
先生は「手話では、相手を指差すことは失礼にならないんですよ」とおっしゃるけれど、
ふだん手話の世界で暮しているわけじゃない私は、やっぱり躊躇してしまう。
また、「私は」ってしゃべってて、なにかの時に
「あたしゃねぇ」なんて言いたくなったり、
「僕が」って言ってて、話の流れで 急に「オレ」って言ったり。
そこに 意味 がある。
「僕」と「オレ」と「ワシ」――全然違うと思う。
手話では、そういうのも全部同じのようですね。
手話と同時にそういう口の動きをしてもらえれば、
ゆ~っくり・ハッキリなら、たぶん読み取れますが…。
また、特に強調したいときは、指文字を使うとか?
「姑さん」のことを「おかあさん」と言ったりしますよね。
手話では? 『「夫」の「母」』ってするんでしょうか。
なんか、他人っぽい。
さらにさらに、
「とても嬉しい」だったら、「嬉しい」の手話を、うんとオーバーに表現する。
ただ、それだけ。
でも、「とても嬉しい」にも色々、種々様々あると思う。
この疑問、ちょっと前にコミュニティでも問いかけたけど、答えて下さる方は現われず、
「同感です」という反応があっただけ。
私はやっぱり、こんな辺りも大事にしていきたいんですけどね。。
でも、とにかく大まかな辺りとか伝われば「良し」としたらいいのかしら。
TVだったら字幕がかなり付くようになったけれど、付いてない番組もたくさんあるし、
生放送の字幕は、時間的にかなりズレが。
図を指しながらの説明などは分かりにくいし、
何人かがポンポン話す番組では、字幕を集中して見ていても誰が言ったものか分かりにくい。
はぁ。。
挙げるとキリ無いね。
仲間うちのイベントなどに行くと、おもしろい場面で、隣同士で顔見合わせて笑い合ったりする。
でも、聴こえなくて舞台でナニやってるのか分からない私は、「は?」って感じ。 その瞬間、
相手も戸惑うような微妙な表情になる。その笑顔をどこへ持ってけば良いのやら…と。
そういう時のなんともいえない、自分の周りの調和してない空気がたまらないんです。
もし、それから筆談、書いてもらったとしても、
それを読んではじめて「ああ、それでみんな笑ったのか」と分かる。
その時点では、もうほとんど笑えてこない。
わたしは、耳が聴こえる・聴こえない関係なく、
顔見合わせて笑い合いたい。声あげて思いっきり。
これって、贅沢な望みでしょうか。
IT関連というのでしょうか、科学技術は、すごいスピードで進歩している。
でも、聴覚障がい者は、フツウの会話すら・・・・・。
本気で開発して戴けないものでしょうかね。
音声の話を、即 文字に変換するようなもの。
スマホか、タブレット端末くらいの大きさの。
今のこういう社会の中では、ムズカシイのでしょうかね。
あぁ、思いっきりグチったら、――ちょっぴりスッキリしました。
読んでくださって、ありがとう。
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