以前の家では、ポトスを壁に這わせてました。グングン伸びて伸びて壁一面。新芽が次々に。その生命力に圧倒され、励まされてました。
今朝、Eテレ6時前、途中から見た番組で、瀕死の牛がローダーで運ばれていました。
もう首を上げることも出来ないほど衰弱。それをローダーのバケットに乗せて、牛舎へ。
牛飼いさんは、その口元まで餌を与え、口を開ければ入って来るようになった。
そして9日後に息を引き取ったとか。
ローダーに乗せる時の様子を見て、(あと1人か2人、人手があれば、優しく載せられるでしょうに…)と思ったけど、あの牛は、不安ながら牛飼いさんを信頼しているんでしょうーと思えました。これまでの心からの世話で、信頼関係が出来ている。
人間社会の中で暮らしていて、心の底から信頼の思いを寄せていた人や組織などが、そういう存在では無かったと分かったときの失望感といったら・・・
何十年か生きてきて、何度もあったことだけど。
信頼を寄せていた自分にも失望。自分って、こんな程度だったんだよね、って。
でもまぁ、完璧な神サマみたいなニンゲンなんて居ない。お互い未熟な者同士で よっこらよっこら営んでる、とも言えるかもね。
ともあれ、そういう実状・実態だった、ということ。
気づいた今、今からどうするか考えれば良い。
自分もヒトも、その瞬間瞬間を その時の精一杯のところでやってるのよね。
今はそう思って心をおさめたい
私だって、心ならずも 誰かをガッカリさせたり、そんなこともあったに違いない。
そんな お互い――かもね