(朝、書いたものの、なんか…って感じで気になって、
ちょっと手を加えたりしました。)
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以前(10年以上前)お参りした神社に、こんな可愛いのが。 ↓
まったく共感。おんなじ願いです。
『敬老の日(今年は9/18)』『老人の日(9/15)』ということで、お祝いが続々。 母は 今年度100歳になる、ということで。
とても有り難い。ありがたいんだけど、当人は「エッ、わたし100才!?」と、少々戸惑い気味の様子。
表彰状や 高価な飾り物など、ピンとこないらしい。
お花や、美味しいものは、とても喜んでたけど。
「今年度100歳になる」なんて説明したって、わからない。
それに、‘長生き’ が どうして ‘おめでたい’ のか 分からないということらしい。
ちょっと前から、よく周りの方が「100歳までがんばりましょうね~」なんて言ってくださる。本人は、ちょっと微妙な表情で「そうねぇ」。 実は私も、そういうのって よくわからないんです。がんばって長く生きるの?
母は前に「長生きしたって、、別に…」と言ったことがある。
生きていて、今こうして生活していて、辛いとか、そういうのは無い筈。(たぶん)
自分のやれることは、進んで自分から出来るだけやろうとする。
暮らしの中の ささやかなプチハッピーは、折々に感じている様子。
けど、‘長生き=長寿‘ ……そうなのかなぁ?と考えてみました。
よく母の妹(80代、90代)からの手紙で「姉さんのように いつまでも元気でおられるように がんばります」なんて言われます。
目標の一つのような?
目標といえば、祖母は享年101歳でした。母はよく「わたしのお母さんは(数えで)102歳まで元気だった」と言ってます。
祖母は晩年、寝たきりでしたが、‘気’はシャンとしてました。お見舞いに来た叔母のためにリンゴを剥いたりしていたそうです。いそいそと。 自分は食べられないけど。
市長さんが自筆の色紙を持って 100歳のお祝いに来てくださった時には、丁寧にお礼を伝えた。市長さんが帰られると、色紙を眺めて「字ぃが曲がっとぉ !」と言ったそうです。
叔父や叔母は「市長さんも、明治女には かなわんなぁ~」と笑ったとか♪
そういうのを思い出すと、う~ん、なんか良いよねー、って思うんですけどね。
「〇〇歳、おめでとう」「100歳までがんばりましょうね」とか言ってもらったら、
「ありがとうございます そうですね~」と素直に、その温かいお気持ちを受け取ったら良いんじゃない?って思えて来ました。