minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

フリーの人

2006年01月11日 | 家族の日常
 この言葉になぜか私は抵抗感がある。今まで私の事をこう呼ぶ人のいかに多かった事か。デビューが山下洋輔さんのビッグバンドだった事や初めてヨーロッパに呼ばれたときもフリーのトリオだったから仕方ないのかも知れないけど。
 日本の音楽界で「フリー」という言葉は「自由」でもなんでもなく「フリー=でたらめ」というイメージがある。もちろん山下洋輔氏の音楽はでたらめではないし、私もでたらめな演奏なんて一度もしてないのよ、というプライドがこの「フリーの人」という言葉にいちいち、ぴくぴくと反応してしまう。

 本来は良い意味なんだと思う。英語で「クレイジー」という褒め言葉と同じように。それにしても日本のフリージャズのイメージがあまりに狭く、ネガティブな意味がありすぎなのだ。昔、大阪のファンの人が私のグループを呼びたいけれど、ライブハウスで「早坂紗知ってフリーの人でしょう?」と断られたという話を聞いて本当にがっかりした事がある。私の演奏もCDも聴いた事もない人がフリーというイメージだけで音楽を判断する。なんて恐ろしい事だろう。そんな事が沢山あってトラウマになっているようだ。

 フリーと言えば、昔、富樫雅彦(dr)さんの家に若い頃連れて行ってもらった事があった。「君はどんな音楽をやっているの?」その頃フリー音楽の最先端を走っていた富樫さんは私に質問した。「はい、ビーバップとかフュージョンとか・・・」しどろもどろで答えると富樫さんは驚いた顔で「俺たちの時代はビーバップは新しいものだったから一生懸命追いかけたんだよ。でも今更なんでビーバップなの?」私は絶句した。そのときに初めて自分のやりたい音楽ってなんだろう、って考えてなんにも実際は考えてない事に気づいたのだ。富樫さんはこうも付け加えた。「悲しいときにも楽しい曲を演奏する、ってつらいでしょ?悲しいときは悲しいっていう感情をそのまま出す、これがフリーなんだよね。」まだ20代だった私には目からうろこの連続。このときから私はオリジナルを作って演奏するようになった、と言っても過言ではない。富樫さんに心から感謝している。
 それにしても、今「ビーパップ」を新鮮に感じて若いミュージシャン達がそれに向かって精進する姿を多くみかける。それはそれで素晴らしい事なのだろう。時代が逆行しているようだけど、彼らにとっては新しい事なのだろうな。でもそれがどうしたの?と富樫さんと同じ気持ちが正直言ってある。もっともっと自分の引き出しをいっぱい作って、一音一音に命をかけた方がいいのに・・・と自分にも言い聞かせる今日この頃。そういう意味では「フリー」って重要な音楽の要素だな。いつまでもこだわっている私ってバカみないだけど、フリーコンプレックスなのかなあ?Lost and Found!(迷ってみつけよ。)