「NEWS23」の多事争論がまず思い浮かびます。
いつも見ていていたわけではないのですが、ニュース番組もバラエティぽい作りが
多くなっている中で良い悪いは横に置いといて 一つのスタイルを貫いているコラム
コーナーが新鮮に感じたものでした。ここ数年は平日にそもそもテレビをつけない
ことが多く、番組内で病気を告白したことも知りませんでした。
自分自身、ちょうど1年前は入院のために病院巡りをしたり、セカンドオピニオンを
受けたりしていた時期でした。(2007年11月7日の記事)
過ぎてしまうとあっという間の1年ですが、いろんなことを学んだ1年でもありました。
☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:☆。.:*:・'゜
筑紫哲也氏死去=記者出身の民放キャスター-番組でがん告白(時事通信) - goo ニュース
ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、
肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳だった。大分県日田市出身。
葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
1959年に早稲田大政治経済学部を卒業、同年朝日新聞社に入社し、政治部記者や米軍
統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員などを歴任。週刊誌「朝日ジャーナル」編集長を
務め、「新人類」「元気印」などの流行語を生んだ。
編集委員に就任後の89年に退社し、同年10月からTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS
23」キャスターに。日々のニュースを鋭い視点で掘り下げるとともに、イラク戦争直前には
同国入りするなど現場取材を続け、民放キャスターの代表的存在となった。
2007年5月14日、同番組内で初期肺がんであることを告白していた。
いつも見ていていたわけではないのですが、ニュース番組もバラエティぽい作りが
多くなっている中で良い悪いは横に置いといて 一つのスタイルを貫いているコラム
コーナーが新鮮に感じたものでした。ここ数年は平日にそもそもテレビをつけない
ことが多く、番組内で病気を告白したことも知りませんでした。
自分自身、ちょうど1年前は入院のために病院巡りをしたり、セカンドオピニオンを
受けたりしていた時期でした。(2007年11月7日の記事)
過ぎてしまうとあっという間の1年ですが、いろんなことを学んだ1年でもありました。
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筑紫哲也氏死去=記者出身の民放キャスター-番組でがん告白(時事通信) - goo ニュース
ジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日午後、
肺がんのため東京都内の病院で死去した。73歳だった。大分県日田市出身。
葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。
1959年に早稲田大政治経済学部を卒業、同年朝日新聞社に入社し、政治部記者や米軍
統治下の沖縄特派員、ワシントン特派員などを歴任。週刊誌「朝日ジャーナル」編集長を
務め、「新人類」「元気印」などの流行語を生んだ。
編集委員に就任後の89年に退社し、同年10月からTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS
23」キャスターに。日々のニュースを鋭い視点で掘り下げるとともに、イラク戦争直前には
同国入りするなど現場取材を続け、民放キャスターの代表的存在となった。
2007年5月14日、同番組内で初期肺がんであることを告白していた。