10月に入りました。
2週間後には遅めの夏休みを満喫~
しているんだろうな。ってことで、
忘れないうちに1月の中欧旅行をアップしていきたいと思います。
ヘルシンキで乗り継いで到着したベルリン・テーゲル空港。(1/19の記事 )
ドイツ国内、ヨーロッパ各地からのほとんどの便が発着するメイン空港なんですが、
想像していたよりもこじんまりとしていて意外でした。
東西冷戦時代には、アメリカ・イギリス・フランスの3国の国際便に制限されていた
そんな場所に降り立った・・・という感慨に浸る間もなく空港から出てしまい
。
添乗員さんの話では来年の3月に新しい空港が出来るので、この空港は閉鎖される
とのことでしたが、どうも工事が遅れているようですね。来年10月に延期という記事が
出ていました。

ベルリンの壁が残っている3ヶ所の
うちのひとつ、East Side Gallery。
手前は旧東ドイツ、そして川の向こう
は旧西ドイツ。
O2 Worldという多目的アリーナの前の壁が撤去されていて、
「ベルリンの壁」の厚さはこれくらいでした。
この壁が2重に西ベルリンの周囲を囲んでいたんですね。
壁が出来る前は東西ベルリン間は往来が可能で、自由に
行き来できていたようです。そのため多くの東ドイツ国民が
ベルリンを経由して西ドイツへ移住していってしまい、国民
の流出を食い止めるために壁が出来てしまったのでした。
東ドイツの中にあるベルリンの、そのごく一部が西ドイツと
いう複雑な状態だったんですものね。
1788~1791年にプロイセン王国の
凱旋門として、アテネの神殿の門を
手本にして建てられたブランデンブ
ルク門。門の上の勝利の女神と4頭
立ての馬車は1806年にプロイセンを
破ったナポレオンがパリへ持ってい
ってしまいましたが、1814年にベル
リンに戻り、こうやってまた門の上
に設置されています。
東西分裂されていた時代には、門の
すぐ傍に壁が築かれていたため、く
ぐることはできなかったんですよね。
ドイツ連邦議会議事堂。
屋上に見えるガラス張りのドームは
スロープになっていて見学できます。
ただテロ対策のため、今は事前に
申込む必要があるようです。
ホームページを見たらドームだけで
なくガイドツアーもあるようですよ。
↓
Visiting the Bundestag
ペルガモン博物館
古代ギリシアのペルガモン(現トルコ・ベルガマ)で発掘
された紀元前2世紀の「ゼウスの大祭壇」が博物館内に再建
されています。他にも小アジアの古代都市ミレトスの市場門
や古代バビロニアの「イシュタール門」と「行列通り」など、
巨大な遺跡がそっくりそのまま展示されていて、その大きさ
に圧倒されてしまいます。
現地ガイドの話では、大英博物館やルーブル美術館のような
ものをベルリンにも、ということで発掘調査の費用を持つ代わ
りに発掘したものをドイツに持ち帰るという契約をトルコと交わ
し、出来上がったのがこの博物館なんだそうです。とはいえ、
高さ9.66mの祭壇や全長100m以上に及ぶ浮彫りなど再現され
たものを見ると自国に取り返したくなるのも分かるような気がし
ます。バラバラになっているものを持ってきたのだから、返す
のならバラバラにして返すと言ったとか。


バビロニアのイシュタール門

☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:☆。.:*:・'゜
ベルリン新空港、3度目の開港延期 工事遅れ理由に(朝日新聞) 2012年9月8日
ドイツの首都ベルリンの新空港の開港が、来年3月17日から10月27日に延期された。ベルリン市などでつくる空港会社が7日発表した。工事が遅れているといい、延期は3度目。地元のベルリン市長とブランデンブルク州首相に対し、「首都の恥さらしだ」との批判が強まっている。
空港建設が始まった2006年時点での開港予定は2011年110月。先延ばしした今年6月の開業は、直前の5月に「防火設備の整備の遅れ」を理由に再び延期されていた。それすら守れず、「20年後も完成していないかも」(大衆紙ビルト)、「カオス空港」(フィナンシャル・タイムズ独語版)との声が出た。
冷戦時代に東西に分割されていたベルリンには、テンペルホーフ、テーゲル、シェーネフェルトの3空港があった。テンペルホーフは08年に閉鎖。新空港ができれば残る二つも閉鎖される予定だ。
2週間後には遅めの夏休みを満喫~

忘れないうちに1月の中欧旅行をアップしていきたいと思います。
ヘルシンキで乗り継いで到着したベルリン・テーゲル空港。(1/19の記事 )
ドイツ国内、ヨーロッパ各地からのほとんどの便が発着するメイン空港なんですが、
想像していたよりもこじんまりとしていて意外でした。
東西冷戦時代には、アメリカ・イギリス・フランスの3国の国際便に制限されていた
そんな場所に降り立った・・・という感慨に浸る間もなく空港から出てしまい

添乗員さんの話では来年の3月に新しい空港が出来るので、この空港は閉鎖される
とのことでしたが、どうも工事が遅れているようですね。来年10月に延期という記事が
出ていました。

ベルリンの壁が残っている3ヶ所の
うちのひとつ、East Side Gallery。
手前は旧東ドイツ、そして川の向こう
は旧西ドイツ。

「ベルリンの壁」の厚さはこれくらいでした。
この壁が2重に西ベルリンの周囲を囲んでいたんですね。
壁が出来る前は東西ベルリン間は往来が可能で、自由に
行き来できていたようです。そのため多くの東ドイツ国民が
ベルリンを経由して西ドイツへ移住していってしまい、国民
の流出を食い止めるために壁が出来てしまったのでした。
東ドイツの中にあるベルリンの、そのごく一部が西ドイツと
いう複雑な状態だったんですものね。

凱旋門として、アテネの神殿の門を
手本にして建てられたブランデンブ
ルク門。門の上の勝利の女神と4頭
立ての馬車は1806年にプロイセンを
破ったナポレオンがパリへ持ってい
ってしまいましたが、1814年にベル
リンに戻り、こうやってまた門の上
に設置されています。
東西分裂されていた時代には、門の
すぐ傍に壁が築かれていたため、く
ぐることはできなかったんですよね。

屋上に見えるガラス張りのドームは
スロープになっていて見学できます。
ただテロ対策のため、今は事前に
申込む必要があるようです。
ホームページを見たらドームだけで
なくガイドツアーもあるようですよ。
↓
Visiting the Bundestag

古代ギリシアのペルガモン(現トルコ・ベルガマ)で発掘
された紀元前2世紀の「ゼウスの大祭壇」が博物館内に再建
されています。他にも小アジアの古代都市ミレトスの市場門
や古代バビロニアの「イシュタール門」と「行列通り」など、
巨大な遺跡がそっくりそのまま展示されていて、その大きさ
に圧倒されてしまいます。
現地ガイドの話では、大英博物館やルーブル美術館のような
ものをベルリンにも、ということで発掘調査の費用を持つ代わ
りに発掘したものをドイツに持ち帰るという契約をトルコと交わ
し、出来上がったのがこの博物館なんだそうです。とはいえ、
高さ9.66mの祭壇や全長100m以上に及ぶ浮彫りなど再現され
たものを見ると自国に取り返したくなるのも分かるような気がし
ます。バラバラになっているものを持ってきたのだから、返す
のならバラバラにして返すと言ったとか。






☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:☆。.:*:・'゜
ベルリン新空港、3度目の開港延期 工事遅れ理由に(朝日新聞) 2012年9月8日
ドイツの首都ベルリンの新空港の開港が、来年3月17日から10月27日に延期された。ベルリン市などでつくる空港会社が7日発表した。工事が遅れているといい、延期は3度目。地元のベルリン市長とブランデンブルク州首相に対し、「首都の恥さらしだ」との批判が強まっている。
空港建設が始まった2006年時点での開港予定は2011年110月。先延ばしした今年6月の開業は、直前の5月に「防火設備の整備の遅れ」を理由に再び延期されていた。それすら守れず、「20年後も完成していないかも」(大衆紙ビルト)、「カオス空港」(フィナンシャル・タイムズ独語版)との声が出た。
冷戦時代に東西に分割されていたベルリンには、テンペルホーフ、テーゲル、シェーネフェルトの3空港があった。テンペルホーフは08年に閉鎖。新空港ができれば残る二つも閉鎖される予定だ。