緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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ニジンスキーって・・・。

2025年02月28日 | お出かけ
2月15日、尼崎市のピッコロシアターに「人間を脱出したモノたちへ」という舞台を観にいきました。

そこでの演目は二つ、一応バレエらしい「バレエ・リュス作品の再創造『ペトルーシュカとロベルト・モンテネグロ』」と、もう一つは浄瑠璃人形を用いたファリャのオペラ『ペドロ親方の人形芝居』でした。
この二つ、バレエとオペラですが、どちらも人形にまつわるお話です。
詳しくは以下を参照。

【中之島に鼬を放つⅢ】関連公演「人間を脱出したモノたちへ」

「中之島に鼬を放つⅢ——大学博物館と共創するアート人材育成プログラム」の「〈アートとその分身〉人間/人形の境界を超えて」では、公演「人間を脱出したモノたちへ」を開催...


なぜそんな舞台を観に行くことになったかというと、去年の1月、京都で「劇場実験 蘇るバレエ・リュス ー薄井憲二バレエ・コレクションの同時代的/創造的探究ー」という催しを観に行ったことを記事にしました。

劇場実験〝蘇るバレエ・リュス〟に行く - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

なんとも奇妙な劇場体験をしました。きっかけは前々回の記事「12月の男子新体操演技会振り返り②」で触れたバレエ鑑賞です。プログラムと一緒に貰ったチラシの中に「劇場実験...

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昨年の〝蘇るバレエ・リュス〟は無料でしたが予約が必要でした。
ネットから予約したのですが、予約して行った人達にメールで今回の舞台の案内が届いたみたいです。

そして今回も無料。
さらに嬉しいことに京都ではなく近くの町の劇場での公演でした。
それでバレエ好きの友人を誘って行ってきたのです。

最初の演目、バレエ・リュス作品の再創造『ペトルーシュカとロベルト・モンテネグロ』は、〝蘇るバレエ・リュス〟で、同じくバレエ・リュス作品の再創造『パラード』を踊った関典子さんの踊りでした。
最初、舞台を見ると、舞台中央左寄りの場所に、大きな柱みたいに1辺が1m近い、高さ3,4メートルはありそうな黒くて四角い箱状の物が置かれていて、友人と「あの中に絶対に人がいるね」と話していたのですが、やはり入っていました。

老人が出てきて重々しく扉を開くように箱を横に開きました。
箱の中にある台の上でダンサーの関典子さんは踊り続けて、あんな狭い場所でよく踊り続けられるものだと思いましたが、人形と言う限界から何とかして逃れようとするペトルーシュカの苦しみが表現されていたのかもしれないです。

実はこの時、私は昼食後の睡魔に襲われて、目を開けているだけでも精一杯の状態。
昼食後の睡魔、医師によれば病気ではない私の体質だそうで、ダンスが退屈で眠かったわけではありません。
医師からそれを防ぐ薬もあると言われていたのですが、仕事をしてるわけではないのでお断りしていました。
でもこんな時には欲しかった。

「ペトルーシュカ」はバレエ・リュスで伝説のバレエダンサー、ニジンスキーによって初演されていますが、今回のダンスは再創造なので当時と同じ振付ではありません。

題にもあるモンテネグロは画家の名前で、彼はニジンスキーの画集を発行しているのです。
その中の一つが劇場のホワイエに飾られていました。

描かれたニジンスキーの吊り上がった目、絵全体の黒と金と白の配色、とくに金泥を思わせる背景。
どうやら日本が意識されているようです。

踊っている台の上もその絵のような書割りであり、雰囲気でした。
それを受けてか、今回の舞台そのものも和洋の種類の異なる沢山の大きな布を使っていて、その色彩だけでも西洋と東洋の混淆を思わせました。
そして西洋と東洋の混淆というテーマは二つ目の演目、ファリャのオペラ『ペドロ親方の人形芝居』にも引き継がれていました。

休憩を挟んで二つ目の演目は、「えっ!?」という程いつのまにか舞台が始まっていて、気が付くとスタッフが働く尼崎市の劇場=現実と、舞台の世界の中=虚構が入り混じっていました。
ドンキホーテの世界に浄瑠璃人形が登場し、そこでも西欧と東洋が出会い、人形と人間が入り混じるという趣向。
その時はすっかり目も覚めて、とても面白かったです。

二つの演目の後のアフタートークでは、ダンサーの関典子さんを初め、企画した人達のお話でした。
二つ目の演目では、本当はドンキホーテの従者サンチョパンサも登場する予定だったそうですが、演者が体調を崩して出られなかったとか。
出てきていたらもっと面白かったみたいです。
この演目は4月に箕面市メイプルホールで入場料を取って行われるそうです。
なぜ私達は無料で観られたのか不思議・・・。

一つ目の演目の関典子さんはコンテンポラリーダンサーで、兵庫県立芸術文化センターにある薄井憲二バレエ・コレクションのキューレター(学芸員)もされている人です。
ご自身で“踊るキューレター”とおっしゃています。
元々はバレエを習っていて後にコンテンポラリーダンサーになられた人です。

私はこの公演の前に兵庫県立芸術文化センターにも行き、展示されていた薄井憲二バレエ・コレクションの一部も見ていました。
阪急の西宮北口駅から兵庫県立芸術文化センターへと続くアプローチです。

展示は一部で、展示室そのものも小部屋で、所蔵しているコレクション自体は多いそうですが、ちょっと物足りなかったです。

アフタートークでMCらしい人が少し触れたニジンスキーの東洋的側面の発見は面白かったです。
家に帰ってからも少し調べてみました。

昔、ニジンスキーには東洋系の血が混じっていると何かで読んだような記憶があったのですが、実際には彼は旅芸人だったポーランド人の両親から生まれていました。
ただキーウで生まれ、彼自身はロシア人としてのアイデンティティを持っていました。

彼はいわゆるヨーロッパの白人らしくない顔立ちをしていたそうです。
ロシアビヨンドによれば「学校ではあまり好かれていなかった。見た目はモンゴル人またはタタール人風で、あだ名は日本人だった。民族的にはポーランド人。つまりよそものだった。」とのこと。

彼はいわゆるコミュニケーション障害で、学校では陰湿なイジメにあっていたらしいです。
同級生のイタズラで派手に転倒し、4日間意識不明だったこともあったそう。
日本人というあだ名ももちろん悪口です。
実際にはどんな顔立ちだったのか写真を探してみました。





少し上がり気味の目が日本人を思わせたのでしょうか。
ポーランドを含め東欧・ロシアには歴史的にアジア系の人達がなだれ込んでいますので、そういうタイプがいてもおかしくないと思います。

その上、彼は背も低く(165cmくらい?)、スタイルもお世辞にも良いとはいえなかったらしいです。

スタイルが分かりそうな写真を探しました。
「薔薇の精」


「牧神の午後」



確かに足が短い。日本人に近い体形・・・。
ロシアの男性バレエダンサーに想像されるような、背が高く、小顔で手足の長い、おとぎ話に出てくる中世ヨーロッパの王子様タイプではない。
そんなんだったのですね。イメージがかなり違っていました。

むろん、空中で10回転したとか、自分の身長よりも高く跳んだとか、跳んでなかなか降りてこなかったとか言われている驚異の跳躍力の持ち主で、見るもの誰もが魅了されたダンスの巧さがあったがゆえに伝説の男性バレエダンサーなのですが。

動画は残されていないのですが、残されている彼の写真を切り抜きました。







ニジンスキーは振付師としてもモダンバレエの祖としての才能を発揮していますし、決して跳躍力だけのバレエダンサーではなかったようです。
彼は不世出の天才ですから、比較はできないのですが、バレエなどで常に体型的に劣るとされている日本人は、体型がすべてではないと認識を改めなければならないようです。

ニジンスキーについては自分でも調べてみたのですが、今回の公演、色々と楽しく、発見することも多かったです。


イスラエルにレッドカード

2025年02月26日 | 話題


Xを見てたら表示されました。
日本語にするとこうです。
ここ数週間、あらゆるスタジアムで見られた「イスラエルにレッドカードを見せろ」運動は、近年のサッカーファンが主導した最大の革命の一つかもしれない。

なぜ主流のスポーツメディアはそれを積極的に無視しているのですか?何の反応も、それに対する報道も一切ありません。

私も知りませんでした。
Xだから真偽も不明ですが本当だったらサッカーファンにリスペクトしたいです。
日本ではこういう動きはないのでしょうか。
あればイスラエルに対するプレッシャーになるでしょうし、パレスチナの人達は励まされるでしょう。


muricaというアメリカ

2025年02月21日 | 話題
アメリカについて、ちょっと書いてみます。
タイトルにある「murica」ですが、主にネットスラングとして使われていて、意味はアメリカのことだそうです。
といっても、ある特徴を持ったアメリカのことです。

検索して調べると最初に以下のように出てきました。
「murica」という言葉は極端に訛りの強いアメリカ人が「アメリカ」を発音時の発音である。この言葉は極端な国家主義や愛国心を表すのに使われるが、人種差別というわけではない。通常は、アメリカ人を軽蔑的だがユーモアのある方法で表していると取られる:肥満で、拳銃を持って、戦争好きで、馬に乗って、酒場で喧嘩して、ビールを飲んで、エッチ好き等々。

上記以外にも色々と調べてみると、保守的で、共和党支持者で、愛国心の強いアメリカ南部の人々とか、「極右が理想とするアメリカ」というニュアンスがあるとか、頭の悪いアメリカ人(レッドネック、田舎者、共和党支持者かウヨとか)のアメリカとか、まあだいたいイメージできる感じです。(レッドネックというのはアメリカ南部に住む保守的な貧困白人層のことらしい。)

私がmuricaという言葉を知ったのは、YouTubeにあった、2016年のインターハイ、井原高校男子新体操部の演技のコメント欄からです。
たくさんのコメントの中の一つで使われていたのです。

去年、「男子新体操・ジェンダー・LGBTQ」の記事を書いた時、そのコメントも取り上げてみようとも考えたのですが、自分が考えたコメントの意味にどうしても自信が持てなかったので触れませんでした。
どのようなコメントであったか載せてみます。


スペルの間違いを直して読みやすくすると以下のような文章です。

Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders.

この文章、muricaの意味が分かって、英語の構文としても難しくないと思うのですが、私には自信を持って意味を把握するのは難しいものがありました。
一応、Google翻訳では以下のようになってました。

ただ、Google翻訳は間違いや意味不明なものが多いのです。
私はこの翻訳もそういうものの一つのように思いました。
特に“29000000000000 genders”を「29兆人の性別」と訳した点で、「何ですか、それ」って感じです。

それではなく私が考えた意味は、意訳すると「一方、ムリカのアメリカでは、彼らは数えきれないくらいジェンダーについての論争をしています」みたいなものでしょうか。
この場合のジェンダーとは性別のことではなく社会的・文化的に規定された男らしさや女らしさのことではないかと考えたわけです。

正確にはとても訳せないですし、私が考えた意味が正しいのかどうかも私には判断がつきません。
そういうわけでブログの記事では使わなかったのです。

ですが私がそういう意味ではないかと考えたのは、“Meanwhile”とは「一方」という意味ですが、そこでいう一方のもう一方は2016年の井原高校の演技だからです。
それは体操のスキルと、芸術スポーツが持ち得る最高レベルの芸術性で見る人を圧倒する演技でした。



先のコメントの書き手もまた井原高校の演技について同様の認識をしたと思います。
と同時にコメント主は、井原高校のその演技がアメリカにおいてどのように捉えられるかも瞬時に想像がついたのだと思います。

それは私が自分のブログで、男子新体操が欧米西側諸国、とりわけアメリカでずっと言われ続けていると指摘したジェンダーがらみの否定的文言と重なっていたと思うのです。
なぜなら、それこそmuricaのジェンダー規範では、日本の男子新体操は決して受け入れられないからです。
その上で、“Meanwhile in the murica they are arguing about 29000000000000 genders”というコメントは、慨嘆と皮肉を込めた一言ではなかったかと私は思ったわけです。

もちろんコメントの意味は、私はそう思っただけで実際のところは今でも分かりません。
ただ最近になって、トランプ大統領のやることなすことを知るにつれ、『まさにmuricaのアメリカだ』と、何度も思わされました。
というのも、muricaの非文化的で反知性的な価値観はジェンダーにおいてのみ保守性が際立っているのではなく、あらゆる面に及ぶみたいだからです。

トランプ大統領の滅茶苦茶ぶりは他国に対してだけでなく、アメリカ国内でも、取り換えのきかない重要な役職についていた人達を大量に解雇するなど、アメリカそのものを根底から壊そうとしているかのように見えます。
それでもmuricaの人達にとっては、エリートに対する反感からか、危機感よりエリートを痛めつけることで溜飲が下がるだけなのかもしれないですが・・・。
結果、近い将来、murica自身が困ることになり、プーチンが大喜びしそうです。

ところで、私が観てきたアメリカ映画は、むしろmuricaのアメリカを批判するようなものが昔から多かったような気がします。
無茶苦茶古い映画ではビンセント・ミネリ監督、デボラ・カー主演の「お茶と同情」とか。
高校生の頃の映画では「イージーライダー」とか、当時のニューシネマと呼ばれる映画はほとんどそうだったような。

比較的最近のものでは「グリーンブック」とか。
そういうのって私の映画の趣味が反映されていて、実際のアメリカ映画にはmurica好みのものの方が多分多いのでしょうけど。
拮抗する勢力は昔からあったけれど、今はトランプ大統領のアメリカ=muricaが勝っているというところでしょうか。

それにしてもトランプ大統領の言っていること、やっていることは想像の斜め上というか極端で、彼自身がフェイクニュースの世界を生きているのではないかと思えます。
実際、ロシアが流すフェイクニュースを誰よりも信じているみたいだし。(あるいは人がそういうフェイクニュースを信じていると思い込んでいるのか)
あと15年もすれば「史上まれに見る酷いアメリカ大統領」と歴史的にも評価が下されそうです。(いやもう既にそういう評価なのかも)

もちろん、muricaのアメリカなどといって、日本人が笑っていられません。
男子新体操だって日本人でもその存在を知らない人が大半です。

いつだったかYouTubeでテレビの地方局のスポーツニュースを見たのですが、男子新体操が行われておらず一人の選手もいない県で、初めて男子新体操の選手が現れたというニュースでした。
その時、その番組のご意見番的にコメントする年寄り男性の、苛立ちと侮蔑に満ちた態度に私は少なからずショックを受けました。

彼は早くその話題を終わらせたくて必死の様子でした。
多分、彼は男子新体操がどういうものか全く知らないまま「男が新体操なんぞするのか」という気持ちが出てしまったのだと思います。
実は最近も、そういう年寄り男性は意外といると知りました。

murica的な人は日本にもいるし、日本もまた安泰からほど遠いと思い知るべきなのでしょう。


福引、当たりました。

2025年02月17日 | 茶道
1月に参加した今宮戎の献茶式ですが、参加者には福引券も渡されていました。
当たる筈がないと思い、ほぼ忘れていたところ、今宮戎神社から郵便が届きました。
開けてみたら福引が当たっています、ついては賞品を受取りにきてくださいとのこと。

当たったのは嬉しいけど、受取りに行くというのはめんどくさい。
今宮戎神社って大阪のど真ん中にあって、兵庫県に住んでいる人間には行くのはそれなりに手間なんです。
それに賞品がつまらない物だったら交通費や時間がもったいない。
要するに費用対効果があるかどうか考えたのでした。

でも受取りに行かなかったら、えびす様に『こいつ、わしが福を授けようというのに受取りに来なかった。福がいらんのやな』と思われて、せっかくの福を逃すのも悔しい・・・。
というわけで、今宮戎神社まで賞品を受取りに行くことにしました。



今宮戎神社では神官みたいな人から紙袋に入った小さな木箱を手渡されました。
手渡される時「神像です」と言われました。
家に帰って開けてみると高さ3㎝ほどのえびす様の像でした。

金ピカですが金ではありません。(一応24Kとか18Kとかの刻印がないか探しましたがありませんでした。)

さて、これから私にどんな福が舞い込むのでしょうか。


雛の掛け軸

2025年02月07日 | 日記
去年の9月、立ち雛の掛け軸を手に入れました。
昨今は、掛け軸を売りに出す人も多く、二束三文で買いたたかれ、市場に中古品として出回っています。
私がネットの道具屋で手に入れたのも多分その手の物。
お安かったです。



我が家には雛人形のようなものは、子供もいませんし、ありません。
ただ床の間に飾る季節の掛物として買いました。
お茶の先生にいつ頃から掛けてよいかお聞きしたら、立春が過ぎてから旧暦の雛の節句までということでした。関東ではまた異なるそうですが、私の住んでいる場所は関西です。

この掛け軸が送られてきた時は少しびっくりしました。
立派な桐の箱に入っていたからです。
中古の掛け軸は箱のないものが多くて、あってもせいぜい紙の箱です。

画家は佐々木柏楊。私の知らない名前でした。

4月3日まで家の床の間に掛け、公民館でお稽古の日は外して公民館でのお稽古時に使う予定。
先生に掛け軸を見てもらえば、また詳しい話も聞けるかもしれません。

               


最近ちょっと疲れ気味です。
兄の認知症がここにきて一気に悪化しています。
話すとまるで4,5歳児の相手をしてるみたい。
どうやら頭の中がグチャグチャで整理がつかない様子です。
毎日毎日、何かが無いと騒いでいます。

それでも毎日出かけています。
詳しくは書けませんが色々と人に迷惑もかけているみたいです。

兄の部屋の中の様子も酷い。
孤独死する人の部屋みたいです。
部屋に斜めに万年床を敷き、その周囲、手の届くところに電子レンジやら電気湯沸かし器やら小型の冷蔵庫を置いてます。
もちろんゴミやら何やらも散乱してます。

本人がいる前では話せないのでケアマネさんにメールで相談したところ、「お部屋がどのようになっているかは想像できます。いや、想像以上かとも思います。」と返ってきて思わず笑ってしまいました。

今日きた訪問看護師さんに話したところ(兄は都合よく出かけたので)、その看護師さんのお母様も目下認知症で、よく似た感じみたいです。
「お部屋の中の状態がお兄さんの頭の中の状態」と言われ、思わず納得。
色々と考えなければならないのですが、ケアマネさんや訪問看護師さんが付いているのが心強いです。

こんな状態ですので、かなり疲れます。
旅行もしたいけれど到底無理です。
気晴らしのお出かけだけはしています。