緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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着物の買取、騙されないで!

2016年12月26日 | 着物
先日、新聞の折り込み広告で「読売ファミリー」というのを何気に見ていたら、ある広告が目に入った。

着物の買い取りの広告で、「福ち✖ん」という業者である。
実は私、この業者に着物の出張買取をお願いしたことがあった。

広告によれば
「福ち✖んは、どんな着物でも、高く買い取る自信があります。
大量の着物やシミがあっても大丈夫!
どんな状態でも買取可能!」なんだそうだ。

私の経験とは大きく違うので、それを書こうと思う。

母が遺した大量の着物があって、その処分に困って、ネットの口コミサイトで着物買取で確か一位だったのが福ち✖んだったのだ。
とりあえず電話してみると「どんな物がありますか?」と聞くので、家にあった着物、羽織、コート、帯、の各枚数を知らせた。

そうして買取の日。業者の人が見やすいように着物や羽織、コート、帯をすべて出して畳の上に並べて置いた。
それだけでも大変な手間だった。

やってきたのは齢の頃はアラフォーくらいの女性だった。
なぜか最初から居丈高で、攻撃的というか、フツフツと怒りまくりの状態だった。

羽織やコート、帯については「そんなもの要りません」とバッサリ。
じゃあ、なんで電話で羽織や帯の数を言った時、それは買い取りませんと言わなかったのか疑問。

着物についても、シミではない、おそらく染の段階で付いたと思われる直径1ミリに満たない小さな点を見つけて、「シミがありますね。買取は無理です」

私の若い頃の着物などは反物で買って仕立ててもらっていたので、反物の端切れが付いていたのだが、反物の一番端には品質を示す印版が押されている。
一応品質を示すものだからその端切れも出しておいたところ、染屋さんなのか仕立屋さんなのか分からないが、そこに何か書いているのを見て、印判が汚れているからダメだと言う。
大島紬なら証紙の有無が値段に関係するかもしれないが、染の着物の端切れに書かれた文字が着物自体の価値と何の関係があるのか意味不明。
要するに、2枚ほどの着物を訳の分からぬ理由をつけてこき下ろし、それ以外の着物は見ないまま、すべてダメなのである。

そして、今どき着物を着る人なんていない。ブランド物のアクセサリーや服の方がよほど売れると、人に口を挟ませない勢いでまくしたて、さっさと帰って行った。すごく怒っていた感じだった。

私は唖然呆然状態。
何をしに来たのかさっぱり分からない。
正直、彼女の、というか、福ち✖んという業者の目的が分からず、気持ちが悪くなった。
人の家の中を探りにきたのかとも思えたのだ。
少なくとも、着物を買い取る意志が最初からまったくなかったのは明らかだった。

これが私が買う立場であれば消費者センターにでも訴えたと思うが、買うのは向こうで、ある意味向こうが客なのである。
だから消費者センターに訴えることはできない。たぶんそれを分かった上での態度だと思う。
でも、いくら買い取る方だからといって、人の家に上がり込んで、あれほど無礼な態度を取っていいのかと思うが、構わないと思っているらしい。

その後、私も色々と経験を積んで、着物買取に関しては多少は分かってきた。
購入時には高価で、現時点でもシミ一つない手入れの行き届いた着物であったとしても、売る場合は、ほとんど一律に1500円くらいにしかならない。少しでもシミがあれば値段がつかない。

例外は人間国宝が作ったような着物や帯だという話だが、そんなものを持っている人は稀だと思う。
自分でもこれはと思う良い着物を、多少は高く売りたいのであればネットのオークションに出すか、デパートで売ってくれるような委託販売を利用するかである。ただし手間がかかるし、必ずしも売れるとは限らない。

買取業者が着物の出張買取をする理由も分かってきた。
福ち✖んもそうだが、買取業者は着物の買取だけやっているわけではない。(というか、あくまで私の経験だが、福ち✖んは着物の買取はやっていない。)
本命はブランド物のアクセやバッグ、服、貴金属なのである。
着物は相手の家に上がり込む口実である。

買取の店は、いまでは街のあちこちにあるけれど、大量の着物の処分に困っている人は、そんな店に大量の着物を持っていけない。
逆に買取業者は着物の買取を口実に人の家に上がり込むことができる。
そこで良心的な業者なら、売れそうな着物を低価格で買うと言ってくれる。

そして話のついでにブランド物のアクセやバッグ、貴金属の買取の話を持ち出すのである。
骨董・茶道具なども、要らない物があれば見せてほしいと言われたりする。
むしろそっちがメーンなのである。
押し買いのような犯罪もあるけれど、通常の買取業者もいるので何とも言えない。

また、こちらとしても、タダでも良いから持って行って欲しい場合もある。
シミがあるのはたいてい胴裏で、表はそんなに問題なかったりする。そういうものは解いて外国(中東辺り)に売ることができるのだそうで、タダで良ければ送料無料で引き取るという業者もある。
それはそれで着物が無駄にならないので、シミのひどい着物などの処分には、私はそういう業者を利用したりもした。

さて、そこで私が経験した福ち✖んだが、「今どき着物を着る人なんていない。ブランド物のアクセサリーや服の方がよほど売れる」とは言ったけれど、そういうものがあれば買取るみたいな話はしなかった。
彼女が一体何しに来たのかいまだに謎である。

福ち✖んの経験は、私にとってはとても不快で不気味なことだったので、あえてブログに取りあげるつもりはなかったのだけど、新聞に挟まれていた広告を見て、一気に思い出した。

あくまで私の経験なので、着物の処分を考えている人は参考にしてほしい。


60年前の夏紬

2016年07月21日 | 着物
大阪道頓堀の松竹座に歌舞伎を観に行ってきました。
例によって株主優待で頂いたチケットです。



観たのは昼の部で、春日八郎の歌で有名な「お富さん」=与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)の話がメーンでした。

お富さんの歌が大ヒットしたのは1954年のことだったそうです。実はその年に私は生まれています。

たぶん、その頃に誂えたであろう夏紬を着て、私は歌舞伎に行きました。
(襦袢のエリが見えませんが、ちゃんと着てます(^^;)もう少し見えるように着ないとね。)



一昨年、母が亡くなり、古い箪笥を整理していたら、たくさんの端切れの奥からクルクルと丸めた一枚の着物が出てきました。それがこれです。

多少汚れてはいましたが、特に傷んではいませんでした。
たぶん母のものだろうと思いますが、私の記憶にはなく、母の比較的若い頃(20代後半から30代前半?)の着物のようでした。

母が遺した他の着物の手入れのついでにこの着物もクリーニングに出しました。
業者の人にこの着物のことを聞いてみると、とても古いもので夏紬だということでした。
あまりに古いので、染み抜きはできないと言われました。(どうなるか分からないらしいです。)

夏紬は単衣の時期(6月と9月)と、7月8月の盛夏に着ることができるのだそうです。
今はあまり作られていないとか。柄行きから、おそらく十日町あたりのものではないかという話でした。

生地は薄手で、シャリ感があり、多少透けます。

紬は基本普段着で、この着物も高価なものではなかった筈です。
でも、誰が仕立てたのか、とても丁寧に仕立てられていました。
着たらビリッと破れるのではないかと心配でしたが、全然大丈夫でした。

松竹座では、知らない人から「涼しそうな柄のお着物」と言われましたが、建物の中はともかく外は暑かったです。(何を着ていても暑い日でした。)
大量の汗をかいて帰りました。

60代の私が着るには若すぎる着物かもしれないけれど、夏の太陽の下、こんな着物を着て出掛けるのも、着物遊びの一つです。


着物を帯にリフォーム

2016年01月29日 | 着物
前回、亡き母の着物を帯にリフォームした後の残り布で、御朱印帳を入れる袋を手作りしたことをアップしました。

するとコメントで、ブログ友達のkebaさんが、リフォームして作った名古屋帯に興味があるとのこと。

で、帯の方をご紹介します。
帯の出来上がりはこんな感じでした。


同系色の小紋の着物と合わせてみました。無地の濃い紫ですので、柄の主張の強い着物を落ち着かす効果があります。
上のコーデでお出かけしたこともありましたが、60代の私でもおかしくはありませんでした。

もし着物を着るつもりでも、若い頃の着物や、祖母や母から貰った着物で、サイズや柄行で着られないものがあれば、意外と帯にすると使えることがあります。
帯をたくさん持っているならリフォームまでする必要はないのですが、私は帯をほとんど持っていなくて、それでリフォームしてみました。

仕立て直しする店にもよりますが、実はお値段の方も新たに帯を買うより安いのです。
私がリフォームしてもらった楽天のお店です。→ココ

羽織も名古屋帯になるそうです。

上のお店は帯専門ですが、着物から長羽織も作れるので、若い頃の着物を長羽織にすることもちょっと考えています。(羽織は少々派手でも着られます。)
羽織やコートは母が何枚か残してくれましたが、長羽織は持っていないものですから。

こんなふうに、古いものをどう着るか、色々と考えたり、工夫したりするのも、着物の楽しみかもしれません。


時代背景と俳句鑑賞

2015年08月25日 | 着物
55年前の和裁の独習書が出てきたことから、以前ある俳句の解釈に違和感を持ったことを思い出しました。
ちょっと辛口になるので書かないでおこうかと思ったのですが、書いてみます。
解釈の対象になったのは、三橋鷹女の、とても有名なこの俳句です。

白露や死んでゆく日も帯締めて

作者の三橋鷹女は明治32年(1899)生まれで昭和47年(1972)に亡くなっています。
この句を作ったのは昭和25年、52歳の時です。

この句の季語は「白露」で秋の季語です。
昭和25年当時、52歳といえば初老といってもよい年齢であり、人生の秋と重ねて白露という言葉が用いられ、死を意識し始めての句かと思います。

この句の眼目は、あっという間に年をとってしまう人生のはかなさを白露に重ね合わせつつ、それでも死んでゆくその日も、いつもと同様に帯を締めると表明する、毅然とした生の在り様でしょうか。

私が違和感を持ったのは、俳句の勉強の為に買った石寒太著「初めての俳句の作り方」の中のこの句の解釈です。

この句について彼は「白露のはかなさと清浄さとの配合でナルシズム的な句」としています。
そして句の意味も「私が死んでゆく日も、・・・きちんと帯を締めた正装で死を迎えたい」としています。

私が『えっ?』と思ったのは、「正装」という言葉です。
正装とは、何らかの儀式の際に身に着ける装いのこと、要するに和装洋装を問わないフォーマルな衣装のことです。

句そのものには正装という語は使われていません。ただ、昭和25年という年代から「帯締めて」の言葉だけで正装と考えるのは無理があります。当時、日常的に着物を着ていた人は珍しくなく、帯もまた普通に締められていました。

実は例の55年前の雑誌にも、和服の正装に関する記述がほとんどありません。和服に正装が連想されるのは、近年のことなのです。

そして、この句の帯を締める着物が、正装かどうかで、句のイメージがガラッと変わってきます。

句では、死んでいく日、ですから、その日だけでなく毎日、正装だということになります。
毎日、正装の人って、どんな人ですか。その勘違いから、「ナルシズム的な句」と評されているみたいなのです。

私がこんなことを書くのは、母が亡くなって、残されていた着物をたまに着るようになって、その時の人の反応が、ちょっとビックリだったからです。

要するに、着物というだけで、カジュアルな場にフォーマルな衣装で来たみたいな反応をされたことがあったからです。(もちろん私はフォーマルな着物、つまり正装で出かけたわけではないのです。)

石寒太氏の解釈は、そういう、着物=正装という感覚に基づいてされているのではないかと思ったのです。
着物=正装という感覚は、現代の、間違った知識による感覚です。
今でも、着物全体から見れば正装といえる着物は少ないのです。

過去の俳句を解釈する場合、作られた時代背景をある程度知っていなければならないのは当然です。
と同時に、着物みたいな日本文化については、基本的な知識を抑えておくべきだと思います。

時代という側面では、女性作家の作品について安直に「ナルシズム的」というような評は、昭和ならともかく平成ではNGだと思うのです。





55年前の雑誌を発見

2015年08月19日 | 着物
先日、仏壇の下の地袋の奥を整理していたら、面白いものを見つけました。

55年前、昭和34年2月発行の雑誌「婦人倶楽部」の付録の「初歩の方でもよくわかる和裁の独習書」です。母が持っていたものです。


表紙のモデルは白川由美。

当時はファッションモデルを使わなかったのか、中のモデルの人達は、皆、映画や劇団のスターです。

男性のモデルの中にはメチャメチャ若い田村高広がいます。
私の知らない名前も多いですが、知っている名前もちらほら。
淡路恵子、十朱幸代、木暮実千代、小山明子。皆さん、とてもお若いです。

雑誌の内容も、当時の着物に対する考えが窺えて興味深いです。
当時は、普段にも着物を着ていた人がまだ少なくなかった時代。
当然のことながら、合理的に、おしゃれにって感じです。

特集として「ふとんと寝具のすべて」とあって着物の裁ち方だけでなく、和ふとん、洋ふとん、子供用、赤ちゃん用、かいまきetc、色んなふとんの作り方も載ってます。

当時はふとんは買うものではなく、綿や布等の材料を買って自宅で主婦が作っていた時代だったんですね。
打ち直しをしてもらった綿を使って、母が家で作っていたの、私も覚えています。

着物も、女性用だけでなく、男性用、子供用、赤ちゃん用と、それはそれは色んなタイプの着物の裁ち方縫い方が載っていて、感心します。

ただ、この独習書、私のような、まったくの初心者が読んでも着物は縫えません。
ある程度、縫える人が読む本です。
当時の主婦は、多少の和裁はできて当たり前だったから役に立ったのかもしれません。
私の母も浴衣はもちろんのこと、単衣、つまり裏地のない着物だったら自分で縫ってました。

今は、着物は自分で縫わないどころか、滅多に着ない時代。
隔世の感があります。