緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

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高野山 宿坊体験一人旅(2)

2016年09月11日 | 旅行
そして、いよいよ宿坊体験です。

そもそも、高野山に行ったのは宿坊に泊まりたかったから。
宿坊についてはNHKの番組で取り上げられていて興味津々でした。
中でも、高野山の宿坊は一番行きやすそうだったのです。

ただ、友達にその話をしても理解されませんでした。
「雑魚寝なんでしょ」とか言われたりして。

確かに、関西で生まれ育った私くらいの年齢の人間にとっては、高野山の宿坊は、私は行ったことがありませんでしたが、林間学校とかクラブの合宿とかのイメージなんです。

でもそれって、40年以上前の話ですよ。今、雑魚寝の筈がないのです。
(雑魚寝の宿坊もあるのかもしれない、それは分かりませんが、私も調べて行くので)

宿坊で体験したいものは三つありました。

1、精進料理
2、朝のお勤め
3、阿字観

三つとも体験することができました。

私が泊まったのは不動院という宿坊。
口コミの評価が高かったのでそこにしました。

お部屋はトイレ付きで、新しくてきれいでした。
ただ、窓が小さく外がほとんど見えず残念でした。

部屋の床の間のお軸や額。



庭です。




化粧を落とすのが面倒でしたのでお風呂に行く前に食事しました。

精進料理はお膳では出ませんでした。
一の膳、二の膳、三の膳といったお膳で出ることを期待していたので、ちょっとがっかり。
席はテーブル席で、正座しなくてすむので、その点は楽かも。

高野山中でも古くて由緒ある庫裡が食堂になっていて、宿泊客全員でいただくのですが、食べるテーブルは別です。
部屋数は多いようでしたが、泊まっている人の数は見たところ16人くらい?
食事中、庫裡は少し寒かったです。

私は一人旅でしたので、6人席を一人占め状態です。

お料理です。


お味の方は雑味のない精進料理です。
ただ、カラーピーマンや茗荷の炊いたのなどは微妙な感じ。


不味くはないのですが、冒険し過ぎの印象でした。

特筆すべきはご飯が美味しかったこと。
普通の白ご飯ですが、ご飯だけで、他に何もなくても食べられるくらい美味しかったのです。
私はいつも1膳しかいただかないのですが、2膳いただきました。

それでもお櫃にご飯が少し残ったのですが、内心、🍙にして持って帰りたいくらいでした。
美味しいので塩もいらないくらい。
おかげでお腹いっぱい。

夜はお風呂に入り、朝が早いのでテレビを9時まで観て寝ました。

夜中1時30分頃、汗びっしょりで目が覚めました。
自律神経失調症によるホットフラッシュです。
高野山の気温の低さに体温調整が狂ってしまったみたいです。
浴衣はもちろん、枕もシーツも汗でジットリで

その後は眠れず、寝ても変な夢みたり・・・。

翌朝は6時30分起床。

朝のお勤めは7時からで、6時50分には宿のお坊さんが迎えに来ます。
だから大慌てで着替えて身支度整えました。

本堂で行われるお勤めは参加自由ですが、欧米系の外国人宿泊客も含め、ほぼ皆さん出てきてたみたい。
やはり椅子席で、足は楽でした。

法主さんに二人の弟子僧の3名での読経。
その後、渡されていた般若心経をみんなで唱えました。

小鳥の声が聞こえる寒いほどの凛とした空気の中、最後に法主さんの説法でお勤めは終わりました。
日本人宿泊客が席を立つ頃、法主さんは外国人宿泊客の傍に行き、流暢な英語で何か(たぶん説法)言ってました。

そのまま朝ごはんになりました。


やはりご飯が美味しい。精進料理だからか、卵はありません。
でもヨーグルトはついていました。(精進料理でヨーグルトはOKなのか?)

食後はいったんお部屋に戻り、お坊さんのお迎えをうけて、また本堂に行き、阿字観を体験しました。
来ていたのは5名でした。

阿字観というのは、真言密教の瞑想法の一つで、目的は大日如来と一体化することです。
というと特殊で難しそうですが、ヨガや禅同様、その実践は精神の安定をもたらすものでもあるようです。

最近、たまたまNHKの番組の「助けて‼ きわめびと」というのを観ました。
そこで、すぐ人と争ってしまう人が、合気道で「争わない“チカラ”」を学んでいたのですが、その時の合気道の呼吸法と阿字観で学んだ呼吸法が似ていました。

ここで私がいい加減な事を書いてはいけないのですが、要するに吸うことより吐くことにポイントを置く腹式の呼吸法です。
詳しくは、本当に阿字観体験してくださいと言うしかないです。

それで私が少しは悟りに近づいたかというと、当然のことながら、全然です。
でも、今後は少しでも複式の呼吸法を取り入れればと思っています。

その後は、10時にチェックアウトして、観光することなく、そのまま家に帰りました。

下界というか、俗界というか、煩悩にまみれた日常を離れて、たまの高野山は良かったです。