四天王寺で能楽の「高砂」を地謡の一人として参加する大阪大連吟の本番が近づいてきてます。
今年の大連吟の詳しいことはココです。
今年はコロナも下火と判断されたのか有観客での開催となりました。
大連吟では遊連吟といって、先生も含め大連吟に参加する人達の有志で、ゆかりの神社へ謡の奉納に行くことがあったそうです。
コロナでそれもここ数年はなかったのですが、今年は行おうということになりました。
例年は謡曲「高砂」にちなんで兵庫県高砂市にある高砂神社に行くことが多いのだそうですが、今年は同じく「高砂」の舞台の一つ、大阪市住吉区にある住吉大社に行くことになりました。
あいにくその日は雨でした。
住吉大社の有名な反橋(そりはし)のたもとが待ち合わせ場所でした。
この写真、古いコンデジで歩きながら撮ったのでピンボケです。
子豚のようなワンコが写っていたことには気がつきませんでした。
住吉大社は若い頃に何度かお詣りしたことがあります。
この反橋に苦労した覚えがあります。
今は足元に階段状のものが付いていて渡りやすいですが、昔は途方もなく渡りにくかったような記憶が・・・。
神主さんの話によれば、さらに昔々はもっと渡りにくかったようで、渡る人は転げながら滑りながら、渡っていたとのことです。
心配しなくても近くに平橋がありますので自信のない人はそちらで渡ればよいです。
但し、反橋は渡るだけでお祓いの意味があるとのことで、ネガティブなモノが心身に纏わりついているなと思われる方は是非反橋を渡られることをお勧めします。
この橋を渡ることで俗界から聖域に入ることになります。
私はもちろん反橋を渡りました。
昔々はこの反橋から先に海が広がっていたとか。
四天王寺が、大鳥居の先から海が広がっていたのと同じです。
そしてこの反橋が大阪の八百八橋の第一番目なのだそうです。
神主さんの案内で、建物の内部に入り、祝詞(のりと)の奏上、神楽女(かぐらめ)さんの舞、謡の奉納と続きました。
その後、別室にて神主さんのお話を聞きました。
予定では神主さんの案内で歩きながら国宝である4つの社殿の説明を受ける筈だったのですが、とにかく雨がひどくて、建物の軒下から説明を聞くことになりました。
神主さんは雨のなかです。
実は私の短大時代の友人が、20代前半の頃、住吉大社で神楽女さんとして勤めていました。
神楽女というのは巫女さんのことですが、住吉大社では舞を舞うことが多く、神楽女というのだそうです。
住吉大社の御田植神事は特に有名で、カメラのフラッシュが凄かったと聞いていました。
それ以外にも友人からは色々と面白い話を聞かされています。
神主さんの話は真面目で、歴史的なお話でした。
住吉大社は航海の神、港の神で、遣唐使は住吉大社がある場所から唐へ出発したとのこと。
その時、代々、住吉大社の神官であった津守氏が同乗し、海が荒れて沈没しそうな時は津守氏が生贄として海に身を投じたというような話。
津守氏は古代から続く住吉大社の神官の家柄だったそうですが、明治以降、神官は官僚となり、津守氏が神官となることはなかったそうです。
明治期、神社が国家神道に取り込まれる話は、廃仏毀釈と並んで色々と考えさせられます。
その後は近くのイタリアンのお店に行き、皆でイタリアンのコースをいただいて帰りました。
なかなか有意義な一日でした。
今年の大連吟の詳しいことはココです。
今年はコロナも下火と判断されたのか有観客での開催となりました。
大連吟では遊連吟といって、先生も含め大連吟に参加する人達の有志で、ゆかりの神社へ謡の奉納に行くことがあったそうです。
コロナでそれもここ数年はなかったのですが、今年は行おうということになりました。
例年は謡曲「高砂」にちなんで兵庫県高砂市にある高砂神社に行くことが多いのだそうですが、今年は同じく「高砂」の舞台の一つ、大阪市住吉区にある住吉大社に行くことになりました。
あいにくその日は雨でした。
住吉大社の有名な反橋(そりはし)のたもとが待ち合わせ場所でした。
この写真、古いコンデジで歩きながら撮ったのでピンボケです。
子豚のようなワンコが写っていたことには気がつきませんでした。
住吉大社は若い頃に何度かお詣りしたことがあります。
この反橋に苦労した覚えがあります。
今は足元に階段状のものが付いていて渡りやすいですが、昔は途方もなく渡りにくかったような記憶が・・・。
神主さんの話によれば、さらに昔々はもっと渡りにくかったようで、渡る人は転げながら滑りながら、渡っていたとのことです。
心配しなくても近くに平橋がありますので自信のない人はそちらで渡ればよいです。
但し、反橋は渡るだけでお祓いの意味があるとのことで、ネガティブなモノが心身に纏わりついているなと思われる方は是非反橋を渡られることをお勧めします。
この橋を渡ることで俗界から聖域に入ることになります。
私はもちろん反橋を渡りました。
昔々はこの反橋から先に海が広がっていたとか。
四天王寺が、大鳥居の先から海が広がっていたのと同じです。
そしてこの反橋が大阪の八百八橋の第一番目なのだそうです。
神主さんの案内で、建物の内部に入り、祝詞(のりと)の奏上、神楽女(かぐらめ)さんの舞、謡の奉納と続きました。
その後、別室にて神主さんのお話を聞きました。
予定では神主さんの案内で歩きながら国宝である4つの社殿の説明を受ける筈だったのですが、とにかく雨がひどくて、建物の軒下から説明を聞くことになりました。
神主さんは雨のなかです。
実は私の短大時代の友人が、20代前半の頃、住吉大社で神楽女さんとして勤めていました。
神楽女というのは巫女さんのことですが、住吉大社では舞を舞うことが多く、神楽女というのだそうです。
住吉大社の御田植神事は特に有名で、カメラのフラッシュが凄かったと聞いていました。
それ以外にも友人からは色々と面白い話を聞かされています。
神主さんの話は真面目で、歴史的なお話でした。
住吉大社は航海の神、港の神で、遣唐使は住吉大社がある場所から唐へ出発したとのこと。
その時、代々、住吉大社の神官であった津守氏が同乗し、海が荒れて沈没しそうな時は津守氏が生贄として海に身を投じたというような話。
津守氏は古代から続く住吉大社の神官の家柄だったそうですが、明治以降、神官は官僚となり、津守氏が神官となることはなかったそうです。
明治期、神社が国家神道に取り込まれる話は、廃仏毀釈と並んで色々と考えさせられます。
その後は近くのイタリアンのお店に行き、皆でイタリアンのコースをいただいて帰りました。
なかなか有意義な一日でした。
今回は久しぶり。
高燈籠、気が付きませんでした。
神主さんの話では反橋の向こう側が海ということでした。
もっとも大阪は、昔は河内湖という大きな湖が広がっていて、太閤さんの命令で埋め立てられ陸地になったとか。
そんな話を聞くと地震とか津波が恐いですね。
高砂は「波の淡路の島影や」という詞章で、兵庫県の高砂から船出して、波間に淡路の島影を見て、住之江に着くという意味の歌です。
これも航海の歌ですね。
イタリアン、期待してなかったのにコースで出てきてちょっと嬉しい驚きでした。
反橋も一度渡ったことあります
(若い頃の話だけど)
大社の西の端、 26号線の向こうに高燈篭が ありますね
鎌倉時代の物だとか
ここまで 海だったのだって 分かります
高砂や♪ の中にある ”淡路”って my故郷のことなんだなぁって
小さなころは 島の民謡だと思ってました
日本の歴史を感じる場所を訪ねて、仕上げが イタリアンって
お出かけが ある程度自由になって良かったです
反橋、若い頃渡った時には階段状にはなっていなくて滑り止めの細い板のようなものがあっただけなんじゃないかと思います。
よく覚えていませんが。
住之江の歌の話や意味についても神主さんから説明がありました。
古代からの古い歴史のある場所だと思います。
大阪に来られた時には四天王寺と並んで是非訪れてみて下さい。
小さいワンコも橋を下りてきたのでしょうか。
かわいいですね♡
この橋は下りる方がこわいと小説で読んだことがあります。
住の江は百人一首にも詠まれているので
ぜひ訪ねてみたいところでもあります。
イベントが開催されるようになり、
人と会う機会が増えますね♪
伝統行事という程ではありませんが、徐々に日常が戻ってきました。
でも、その日もご一緒だった方が話されていましたが、茶道のお茶会が開かれなかったので和菓子屋さんがずいぶん店を閉めたとか。
私の茶道の先生も同じ話をしていたので、コロナの影響は見えないところで大きいと思います。
歴史的な話は知らないことだったので勉強になりました。
イタリアンのコース、思いがけず美味しかったです。
少しずつコロナ前の日常が戻ってきてるのですね。
子豚のようなワンコ、プププ、確かにしっかり写ってますね。
雨が降って残念ですがしたが、生贄とか神官を官僚がとか
時代を物語るお話、そうなんだぁ〜と読みました。
イタリアンのコース、いいなぁ